賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

2008-06-01から1ヶ月間の記事一覧

第3回 三角線の終着駅・三角駅から天草、島原へ!

(JTB『旅』2004年1月号所収) さあ、歩くゾ! 旅は出発までのプラニングが楽しい。今回の「終着駅から始まる旅」にしてもそうだ。『旅』編集部でIさん、Tさんと九州の地図を広げ、JR三角線の終点、三角駅と、島原鉄道の終点、加津佐駅をどのよ…

カソリの島紀行:第2回 屋久島・縄文杉へ!

(JTB『旅』2003年3月号所収) 憧れの「縄文杉」! 「いつの日か、行ってみたい!」と憧れて、憧れて、それでもなかなか行けないところがある。屋久島の「縄文杉」というのは、ぼくにとってはのその代表格だった。それだけに、「旅」編集部の鵜澤さ…

カソリの島紀行:第1回 屋久島一周・温泉めぐり

(JTB『旅』2003年3月号所収) 「屋久島一周」の出発点は東海岸の安房だ。屋久島空港にも近い港町。ここで50㏄バイクを借り、島を一周しながら魅力的な屋久島の温泉、全5湯に入ろうと計画した。名付けて「屋久島一周・全湯制覇」計画。バイクの機…

シルクロード横断:第22回 塔中→ニヤ

2006年9月9日、7時起床。この時間だと、まだ暗い。トイレをすませ、シャワーを浴びたところで外に出る。ひんやりとした砂漠の朝の空気。7時半、夜明け。さっそく目の前の砂丘に登る。タクラマカン砂漠の砂は白っぽい。砂の壁を崩しながら這うように…

シルクロード横断:第21回 倫台→塔中

天山山脈南麓の町、倫台で「天山南路」の国道314号を離れ、「タクラマカン砂漠縦断路」の「砂漠公路」に向かっていく。いよいよ「タクラマカン砂漠縦断」の開始だ。 その入口には「塔里木(タリム)沙漠公路」のゲートがあり、「砂漠公路」完成の記念碑が…

カソリが選ぶ「ニッポン郷土料理」(4)山陽編

40、ばらずし(岡山) “ばらずし”というのは、押しずしや握りずしに対しての散らしずしのことで、関東の五目ずしが関西ではばらずしになる。関西のばらずしのなかでもとくに有名なのは岡山南部の備前地方のばらずしだ。具を混ぜたすし飯の上に、さらにさま…

いよいよファイナル

6/30(月) 03:35~05:45 TBS サッカー サッカー欧州選手権・決勝「ドイツ×スペイン」 (最大延長6・30まで)加藤浩次ベッキー小倉隆史金田喜稔土井敏之(5・45終了) ~~~~ 管理人は準決勝スペイン×ロシアを見逃しました。 目覚ましつけていたのに、電池…

カソリが選ぶ「ニッポン郷土料理」(3)四国編

29、讃岐うどん(香川) 讃岐路を走ってすぐに目につくのは、“讃岐うどん”とか“手打ちうどん”、“饂飩屋”といったうどん屋の看板の多さだ。ここではそば屋の看板は、ほとんど見られない。讃岐はそれほどの“うどん大国”。香川県民のうどん消費量は断トツで日…

カソリが選ぶ「ニッポン郷土料理」(2)九州編

11、きびなごの刺し身(鹿児島) きびなごは南日本で多くとれるウルメイワシ科の小魚で、そう珍しいものではないが、ツーリング途中で、このきびなごの刺し身を食べると、「今、鹿児島にいる!」という実感がする。きびなごの“きび”は昔、薩摩地方で使われ…

カソリが選ぶ「ニッポン郷土料理」(1)沖縄編

1、ごーやちゃんぷる 那覇港に着きフェリーから降り立つと、まっさきに食べたくなる琉球料理がこれだ。食堂でふつうに食べられる。沖縄人のごくふつうの家庭料理にもなっている。ごーや(にがうり)を使った“ちゃんぷる(豆腐入りの炒めもの)”のことで、薄…

カソリの峠越え(2) 九州編(その2):背振山地の峠 (Crossing Ridges in Japan: Kyushu Region)

(『月刊オートバイ』1996年7月号所収) 九州の峠越えの第2弾は背振山地の峠だ。 背振山地というのは、福岡県と佐賀県の県境に連なる山地。最高峰は標高1055メートルの背振山。 福岡を出発点にし、この背振山地の坂本峠、三瀬峠、長野峠といった峠…

カソリの峠越え(1) 九州編(その1):北九州の峠 (Crossing Ridges in Japan: Kyushu Region)

「さー、九州の峠越えだ。九州の峠を総ナメにしてやるんゾ!」 とカソリ、東京港フェリー埠頭で吠え、オーシャン東九フェリーの「おーしゃん うえすと」に峠越えの相棒のスズキDJEBEL200とともに乗り込んだ。 1995年12月10日のことだった。…

海を渡った伊万里焼を追って(5)

(『海を渡った日本のやきもの』1985年・ぎょうせい 所収) マラッカ海峡に流れ込むマラッカ川は、下流でさえ幅が十数メートルほどの小流で、その河口にマラッカ港がある。現在のマラッカ港には、かつての東西貿易の拠点として繁栄を謳歌した面影はまっ…

甲武国境の山村・西原に「食」を訪ねて(17)

(日本観光文化研究所「あるくみるきく」1986年10月号 所収) モロコシの詩(うた) 最後が「モロコシの詩」である。モロコシは精白したものを飯に炊いたり、餅に搗いたりするが、ヒエ餅と同じように粉を餅にすることもある。 そのつくり方は、 「熱い…

甲武国境の山村・西原に「食」を訪ねて(16)

(日本観光文化研究所「あるくみるきく」1986年10月号 所収) ヒエの詩(うた) 次に、「ヒエの詩」である。 「ヒエの色は グレーかな」とあるように、ヒエの穀粒は灰色を帯びた黄褐色をしている。ヒエの脱穀は、キビのように簡単にはいかない。天日で…

シルクロード横断:第20回 コルラ→倫台

天山山脈南麓のコルラの夜明け。 トイレ、シャワーをすませると、さっそく夜明けの町を歩く。さわやかな朝の空気。歩道も車道もきれいに掃ききよめられ、ゴミひとつ落ちていない。鉄道はカシュガルまで通じているが、列車の汽笛が聞こえてくる。 1時間ほど…

『忘れられた日本人』再び:第6回目

(『ゴーグル』2007年3月号 所収) 「300日3000湯」計画 ぼくは今、「温泉めぐりの日本一周」の真最中。2006年11月1日午前6時30分、東京・日本橋を出発した。バイクはスズキGSR400。「ツーリングマップル」でおなじみの昭文社の…

シルクロ-ド横断:第19回 トルファン→コルラ

2006年9月7日9時、トルファンを出発。「吐魯番賓館」前のブドウ棚の道から目抜き通りに出、国道312号を西に行く。20キロほど走った一木一草もない砂漠の中に、「G312 4000」と表示された国道312号の「4000キロ」のキロポストがポ…

(14)「アフリカ一周」(1968年~1969年)のレズリー

「タカシ! 早く来て、ほら、ベルデ岬よ」 レズリーの弾んだ声に、ぼくはデッキにかけ寄った。 真っ青な大西洋の大海原のその向こうに、アフリカ大陸最西端のベルデ岬が見えてきた。オーストラリアのブリスベーンで生まれ育ち、イギリスの大学で学んでいるレ…

(13)「アフリカ一周」(1968年~1969年)の「村松千恵子さん」

モザンビークのロレンソマルケス(現マプト)を出発点に、アフリカ大陸を北上。エチオピアの首都アディスアベバでは日本人画伯の水野富美夫先生にずいぶんとお世話になり、先生のお宅で何日か、泊めてもらった。 その間、何冊もの本を読ませてもらったが、強…

(12)「オーストラリア2周7万2000キロ」(1996年)の「レイコさん」

「大陸縦断路」の内陸の町、テナントクリークではユースホステル(YH)に泊まった。YHとはいっても、バックパッカーズのような自由な雰囲気のところだった。 ここではなんと、カブでまわっている「ベンジー」に再会した。彼とはアデレードのバックパッカ…

(11)「オーストラリア2周7万2000キロ」(1996年)の「熊クミさん」

オーストラリア中央部の中心地アリススプリングに着くと、「アリスロッジ」というバックパッカーズに泊まったが、ここは男女同室。隣のベッドにはデンマーク人の女の子。彼女はスケスケルックで、ピンクの下着が透けて見えてしまう。刺激が強すぎるよ‥‥。 夕…

(10)「オーストラリア2周7万2000キロ」(1996年)の「トトロちゃん」

国道1号での「オーストラリア一周」中でのことだ。 北部オーストラリアのブルームを出発。猛烈な暑さの中をダービーに向かう。その間は240キロ。昼過ぎ、ダービーに近づいたときのことだ。町まであと10キロぐらいのところを、何と、日本人女性が歩いて…

甲武国境の山村・西原に「食」を訪ねて(その15)

(日本観光文化研究所「あるくみるきく」1986年10月号、所収) キビの詩(その2) 「みなげて洗って」だが、ごみや小石をとり除くために、精製したキビをくりかえし洗った。最低、3度は【みなげなおし】をした。 西原で栽培しているキビはほとんどが…

シルクロード横断:第18回 トルファン(その3)

2006年9月6日、午前中はバイクで「交河故城」と「カレーズ博物館」をめぐり、午後は有志をつのってタクシーツアーでアイディン湖に向かった。ここは海面下の世界だ。 タクシーは中国製フォルクスワーゲンのサンタナ。トルファンの町を出ると、交河故城…

シルクロード横断:第17回 トルファン(その2)

2006年9月6日、この日は一日、トルファンに滞在。 6時に起床し、トイレ、シャワーのあと町を歩く。7時になってもまだ、真っ暗だ。外は半そで1枚で十分。街角で明かりがついているのはナン屋で、すでにナンをつくりはじめている。イスラム教寺院のモ…

シルクロード横断:第16回 トルファン

2006年9月5日、昼食後、トルファン郊外のベゼクリク千仏洞へ。周囲の山々は燃え盛る炎のような真っ赤な山肌をしている。赤い山肌には草木一本もない。国道312号からそんな赤い山並みの中に数キロ入ったところに、ベゼクリク千仏洞はある。 「ベゼク…

『忘れられた日本人』再び:第5回

(『ゴーグル』2007年1月号、所収) 『食生活雑考』 宮本常一先生の著作集、全45巻の『宮本常一著作集』(未來社)の中でも、ぼくが何度となく繰り返し読んでいるのは第24巻目の『食生活雑考』だ。この本の第2章が「食生活雑考」になっている。 「…

海を渡った伊万里焼を追って(4)

(『海を渡った日本の焼きもの』1985年・ぎょうせい、所収) マカオに行ったあと、次にマレーシアに飛んだ。首都クアラルンプールからは乗り合いタクシーに乗って、マラッカ海峡に面した古都マラッカへ。緑濃い密林とゴム園、熱帯の強烈な赤色土壌のなか…

甲武国境の山村・西原に「食」を訪ねて(14)

(日本観光文化研究所「あるくみるきく」1986年10月号、所収) キビの詩(1) まず、「キビの詩」だが、西原ではキビのことを「キミ」といっている。 キビは「黒くてのめっこい」とあるように、表皮は濃いチョコレート色をしており、ツルツルし、光沢…