2008-06-01から1ヶ月間の記事一覧
九州編 392 県道72号の峠(福岡) 393 サヤ峠(福岡) 394 県道25号の峠(福岡) 395 県道28号の峠(福岡) 396 味見峠(福岡) 397 仲哀峠(福岡) 398 県道204号の峠(福岡) 399 県道34号の峠(福岡) 400 薬師峠…
関西→四国→九州編 299 原山峠(京都・兵庫) 300 天引峠(京都・兵庫) 301 天王峠(京都・兵庫) 302 古坂峠(兵庫) 303 県道49号の峠(兵庫) 304 国道372号の峠(兵庫) 305 三本峠(兵庫) 306 赤松峠(兵庫) 307 県…
中国編 207 戸倉峠(兵庫・鳥取) 208 江浪峠(兵庫・鳥取) 209 若杉峠(岡山・鳥取) 210 志戸坂峠(岡山・鳥取) 211 右手峠(岡山・鳥取) 212 黒尾峠(岡山・鳥取) 213 物見峠(岡山・鳥取) 214 辰己峠(岡山・鳥取) 215…
関西編 177 栃ノ木峠(滋賀・福井) 178 国道8号の峠(滋賀・福井) 179 山中峠(滋賀・福井) 180 マキノ黒河林道の峠(滋賀・福井) 181 栗柄河内谷林道の峠(滋賀・福井) 182 国道303号の峠(滋賀・福井) 183 佐々里峠(京都…
関東・中部編 113 大峠(福島・栃木) 114 大川林道の峠(福島・栃木) 115 山王峠(福島・栃木) 116 安ヶ森峠(福島・栃木) 117 田代山峠(福島・栃木) 118 馬坂峠(福島・栃木) 119 三平峠(栃木) 120 富士見峠(栃木) 12…
東北編 051 龍泊ラインの峠(青森) 052 増泊林道の峠(青森) 053 やまなみラインの峠(青森) 054 県道2号の峠(青森) 055 県道26号の峠(青森) 056 大釈迦峠(青森) 057 県道27号の峠(青森) 058 入内峠 059 国道3…
北海道編 001 宗谷奥宗谷林道の峠 002 道道138号の峠 003 道道84号の峠 004 道道785号の峠 005 天北峠(国道275号) 006 咲来峠 007 加須美峠 008 道道120号の峠 009 美深松山峠 010 幌内越峠 011 天北峠(…
中央分水嶺の峠越え ぼくがバイクでの「峠越え」をはじめたのは1975年3月18日のこと。サハラ砂漠を縦断したスズキ・ハスラーTS250で奥武蔵(埼玉)の峠を越えた。 記念すべき第1番目の峠は国道299号の高麗峠。気がつかないままに通りすぎて…
南のアデレードから北のダーウィンを目指して大陸を縦断したときのことだ。 キャサリンではバックパッカーズ、「クックバラロッジ」に泊まった。ここは男女同室のバックパッカーズなのだが、なんと8人用の部屋に女の子が4人、男はぼくだけというまるで花園…
1993年7月25日、盛岡を出発点にして八幡平の温泉をめぐった。 無料化されてまもないアスピーテラインで八幡平を登っていくと、数メートル先も見えないような濃霧の中に突入。ところが海抜1000メートルの御在所温泉まで登ると、雲海の上に出た。 …
(『ゴーグル』2006年11月号、所収) 東米良の焼畑 宮本常一先生は日本の焼畑農耕には深い関心を持っておられた。 『日本文化の形成・下巻』(そしえて)の「焼畑」の項では、「戦前旅の途中で焼畑をしばしば見る機会を持ったし、宮崎県東米良、椎葉、…
2006年9月5日早朝、ハミのホテル「哈密賓館」で、神戸から天津への「燕京号」で一緒だった趙文利さん(第2回目参照)に再会した。うれしいというよりも、驚きの再会だ。大連で会社を経営している趙さんは、我々のために4個のハミウリを持ってきてく…
2006年9月4日、甘肅省から新疆ウイグル自治区に入った。同じ中国とはいっても、何か別な国、新疆国に入ったかのような感じを受ける。道標は漢字とともにウイグル文字でも書かれている。時間は正式には中国の標準時間の北京時間だが、それとは2時間の…
2006年9月4日、名残おしい敦煌を出発。国道215号を北へ。平原の中に舗装路が一直線に延びている。あたり一面、半砂漠の荒涼とした風景だが、国道沿いにはピンクの花をつけたタマリスクや刺のついたラクダ草が目につく。 ところで敦煌からこの国道2…
(日本観光文化研究所「あるくみるきく」1986年10月号 所収) 大学ノートの詩 脇坂芳野さんは大学ノートにびっしりと自作の詩を何編も書きとめていた。それを見せてもらい、ページをめくっているちに、私の目はあるページにくぎづけになってしまった。…
(日本観光文化研究所「あるくみるきく」1986年10月号 所収) 西原の女(ひと) 私は昭和54年以来、西原に通いつづけている。その回数は20回を超えている。車やバイクを使ったこともあるが、大半は足を使った。道のあるところはすべて歩いた。 歩…
(初出:「ゴーグル」2006年9月号) 観文研の共同研究と共同調査 今年の1月30日、東京・西国分寺の東福寺で宮本常一先生の26回忌がおこなわれた。宮本先生が1981年1月30日に亡くなられてから25年間、1度も欠かさずにおこなわれている。…
(『海を渡った日本の焼きもの』1985年・ぎょうせい、所収) マカオ滞在の最後の1日を使って、ワンデーツアーで中国に行った。アメリカ人やカナダ人、オーストラリア人などの観光客とともに、マイクロバスで広東省中山県をみてまわった。 そのツアーの…
(日本観光文化研究所「あるくみるきく」1986年10月号 所収) 「白芳館」の食事 さて、西原の「白芳館」の家まわりの畑だが、石垣の下には菜の花畑とイチゴ畑。茶の植えられた比較的、大きな畑には雑穀のキビとウグイス菜、シュンギク、コカブ、レタス…
2006年9月3日、その日は1日、敦煌に滞在。敦煌といえば井上靖の名作『敦煌』の舞台だ。 「趙行徳が進士の試験を受けるために、郷里湖南の田舎から都開封へ上がって来たのは、仁宗の天聖4年(西紀1026年)の春のことであった」。 このような書き…
(共同通信配信 1998年~1999年) オーストラリアは大陸を2周した。全行程7万キロ2000キロ。地球2周分ぐらいの距離を走ったことになる。 オーストラリア人はアメリカ人と同じように、ハンバーガーが大好きだ。うまいハンバーガーを食べようと…
(共同通信配信 1998年~1999年) モンゴルの首都ウランバートルを出発点にして“草原の国”をバイクで走った。草原のいたるところで羊や山羊、馬、ラクダなどの家畜の群れを見る。遊牧民のテントのゲルもよく見かける。 ゲルの中からは、バイクのエン…
(共同通信配信 1998年~1999年) 北に天山山脈、南に崑崙山脈、西にパミール高原と、高い山々に囲まれた中央アジアのタクラマカン砂漠を一周した。その出発点は中国・新疆ウイグル自治区の中心地ウルムチ。 オアシスの町や村の食堂で一番よく食べた…
(『海を渡った日本のやきもの』1985年・ぎょうせい、所収) 日本とマカオの結びつきは深く、なおかつ古い。種子島に鉄砲を伝えたポルトガル船も、日本ではじめてキリスト教を布教したフランシスコ・ザビエルも、マカオを中継してやってきた。近世の初期…
(『海を渡った日本のやきもの』1985年・ぎょうせい、所収) 江戸時代、日本の伊万里焼(有田焼のこと)は長崎からバタビア(現在のジャカルタ)、アフリカ南端のケープタウン経由でオランダへ、さらにはヨーロッパ各国へと送られた。それは「イマリ・ロ…
1995年6月10日、大分県の長湯温泉「丸尾旅館」に泊まった。 翌朝は、宿の湯に入ったあと、芹川の河畔にある無料湯の混浴露天風呂「カニ湯」に入る。川の流れを目の前に見、対岸に旅館街を眺める湯だ。早めにしてもらった朝食を食べ、7時30分に長湯…
(共同通信配信 1998年~1999年) 「インドシナ一周」の最後はベトナム国境からタイ国境までのカンボジア横断だ。内戦の最中で、情勢のきわめて悪い時期。それこそ命を張ってのカンボジア横断になったが、その中でも私はしっかりと食べ歩いた。 首都…
(共同通信配信 1998年~1999年) ラオス北部のほとんど交通量のない山道を走り、タイチャン峠に到着。幾重にも重なり合った山々を一望する。 峠がラオスとベトナムの国境で、峠上にはベトナムの国境警備隊の事務所と宿舎があった。すんなりとベトナ…
(日本観光文化研究所「あるくみるきく」1986年10月号所収) 再び西原へ 5月中旬にひきつづいて5月下旬にも西原を訪ねた。その時は下城の「白芳館」に泊まった。白芳館は木造3階建の旅館で、それまでに何度か泊まっている。私の西原での定宿になっ…
1991年8月14日、いよいよ迎えたサハリンへの出発の朝。気持ちが高ぶっている。午前10時、稚内港のフェリーターミナルで、出国手続き。“WAKKANAI”の文字の入った出国印が、ポンと、パスポートに押される。 「これで、日本を離れていくんだ」 …