賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

東アジア走破行

東アジア走破行(20)環日本海ツーリング(5)

我々がウラジオストク港に到着したのは14時。ギリギリ「セーフ!」といったところだ。港内に入り、韓国の東海から日本の境港まで行く韓国船のフェリー「イースタンドリーム号」の停泊する岸壁前でバイクを止めた。ウラジオストクの道路工事区間で泥まみれ…

東アジア走破行(19)環日本海ツーリング(4)

ハバロフスクに到着したのは2011年8月13日。翌8月14日はハバロフスクに滞在した。ポリッジ、ピラフ、ヌードル、ソーセージ、ハム、チーズ、スープの朝食を食べ、「ホテルインツーリスト」を出発点にして、その周辺を歩いてまわった。川岸の展望台…

東アジア走破行(18) 環日本海ツーリング(3)

タタール海峡(間宮海峡)の港町、ワニノを出発。ロシア沿海州の中心都市、ウラジオストクを目指す。この日の目的地はアムール川流域のリドガだが、トラブル発生。「ワニノホテル」までやってきた我々のサポートカーのトラックは、リアのバネが折れたとのこ…

東アジア走破行(17)環日本海ツーリング(2)

サハリン西岸最大の港湾都市、ホルムスク(真岡)の人口は5万人。サハリンでは第2の都市になっている。我々はホルムスク駅前でバイクを止めたが、ここは正確にいうとホルムスク北駅。ホルムスクにはもうひとつホルムスク南駅があるが、今は使われていない…

東アジア走破行(16)環日本海ツーリング(1)

「東アジア走破行」の第13弾目は、2011年の「道祖神」のバイクツアー、「賀曽利隆と走る!」第15弾目の「環日本海ツーリング」だ。 我が愛車、スズキの400㏄バイク、DR-Z400Sを走らせて東京から新潟へ。新潟から日本海に沿って北上し、稚…

東アジア走破行(15)台湾往復縦断

「東アジア走破行」の第12弾目は2011年の「台湾往復縦断」。5月26日から8日間、台湾のスズキ、台鈴工業の125㏄スクーター、「TEKKEN(鉄拳)125」で1155キロを走った。台北の台鈴工業本社前を出発点にし、台湾南部の中心都市、高…

東アジア走破行(14)台湾一周

「東アジア走破行」の第11弾目は2010年の「台湾一周」。6月17日、成田空港から9時40分発のチャイナエアラインCL107便の台北行きに乗り込んだ。成田を飛びたってから3時間後、台湾が見えてきた。長年の夢だったバイクでの「台湾一周」がい…

東アジア走破行(13)広州→上海

「東アジア走破行」の第10弾目は2009年12月1日~12月12日の「広州→上海2200キロ」。この中国ツーリングはいろいろな意味で、すさまじいものだった。またそれを成しとげたことによって自分が新たなステップを踏み、別な世界に昇っていったよ…

東アジア走破行(12)チベット横断

2009年の「道祖神」のバイクツアー、「賀曽利隆と走る!」の第14弾目の「チベット横断」が第9弾目の「東アジア走破行」になる。 7月1日に日本を出発し、北京から西安へ。西安から中国製のバイクで蘭州→嘉峪関→敦煌とシルクロードを走り、敦煌からチ…

東アジア走破行(11)シルクロード横断

2006年の「道祖神」のバイクツアー、「賀曽利隆と走る!」の第12弾目、「シルクロード横断」が「東アジア走破行」の第8弾目になる。 8月16日に東京を出発し、神戸港からスズキの400㏄バイク、DR-Z400Sともども中国船の「燕京号」に乗り…

東アジア走破行(10) 韓国往復縦断(2)

「東アジア走破行」第7弾目の「韓国往復縦断」(2005年10月)では、韓国最北端の地、北緯38度35分12秒、東経128度22分30秒の高城統一展望台で折り返し、束草に戻った。 その途中では、日本海の海岸にある李承晩の別荘を見ていく。李承晩…

東アジア走破行(9) 韓国往復縦断(1)

「東アジア走破行」の第7弾目は2005年10月の「韓国往復縦断」。この年の5月1日、韓国へのバイク持込が解禁になった。「道祖神」はそれを記念して「賀曽利隆と走る!」シリーズの第11弾目として「韓国往復縦断」を企画した。 こうしてぼくは200…

東アジア走破行(8)旧満州走破行

「東アジア走破行」の第6弾目は2004年9月21日~10月4日の「旧満州走破行」だ。その一番の感動的なシーンは中国最北端の地に到着した時だ。 「おー、北極だ。おい、尚、ついに北極までやってきぞ!」 中国・東北部、黒龍江省の中心都市、ハルビン…

東アジア走破行(7)中朝国境走破行

「東アジア走破行」の第5弾目は2003年の「中朝国境走破行」だ。 2003年9月25日はぼくにとっては一生涯、忘れられない歴史的な日になることだろう。鴨緑江河口から図們江(朝鮮名 豆満江)河口を目指すバイクツアー「中国・北朝鮮国境を行く!」…

東アジア走破行(6)ユーラシア大陸横断

2002年の「道祖神」のバイクツアー「賀曽利隆と走る!」の第7弾目、「ユーラシア大陸横断」では、ロシアのウラジオストクからユーラシア大陸最西端のロカ岬まで、1万5000キロを走った。そのうちの欧亜を分けるウラル山脈の峠までが第4弾目の「東…

東アジア走破行(5)ソウル→北朝鮮(その2)

北朝鮮に上陸した2001年6月4日の午後は、金剛山の登山口までバイクで登る。 急勾配、急カーブの狭い道。日本でいえば舗装林道のようなもの。気温は30度を超える猛暑。それを1150ccのBMW、R1150RTで登っていくのだからたまらない。あ…

東アジア走破行(4)ソウル→北朝鮮(その1)

1通のFAX 「韓国一周」の翌年、2001年3月22日に50㏄バイクでの「島めぐり日本一周」に旅立った。「本州東部編」、「北海道編」、「本州西部編」、「四国編」、「九州編」、「沖縄編」と、6分割での「日本一周」だ。 最初の「本州東部編」を走…

「東アジア走破行」(3)韓国一周(2000年)

一路、下関へ 「サハリン縦断」を終え、東京に戻ると、今度は「韓国一周」に出発した。 バイクでの「韓国一周」は、ぼくの長年の夢。これほど近い日本と韓国だが、韓国へのバイクの持ち込みは禁止されていたので、それは夢のまた夢でしかなかった。ところが…

東アジア走破行(2):サハリン縦断(2000年)

コルサコフ港に到着! 2000年8月9日、「サハリン軍団」の総勢19名のメンバーとバイクをのせた東日本海フェリーの「アインス宗谷」(2628トン)は午前10時、稚内港を出港した。甲板に全員が集まり、100円の缶ビール(稚内港を離れると自販機…

東アジア走破行(1)

ぼくが初めて海外に飛び出していったのは1968年4月のことで、20歳の旅立ちだった。250㏄バイクのスズキTC250を走らせ、2年あまりをかけてアフリカ大陸を一周した。22歳になって日本に帰ってきたときは、「自分の生きかたはこれしかない!…