シルクロード横断:第16回 トルファン
2006年9月5日、昼食後、トルファン郊外のベゼクリク千仏洞へ。周囲の山々は燃え盛る炎のような真っ赤な山肌をしている。赤い山肌には草木一本もない。国道312号からそんな赤い山並みの中に数キロ入ったところに、ベゼクリク千仏洞はある。
「ベゼクリク」というのはウイグル語で「絵の飾られた家」という意味だそうで、その名の通り、石窟内は無数の壁画が描かれている。火焔山の北麓、ムルトク河の断崖に、6世紀末から14世紀にかけて開かれた石窟寺院だ。
ここでは劇的な出会いがあった。「シルクロード軍団」のメンバーの1人、池田さんと奥さんが何とベゼクリク千仏洞の入口でバッタリ出会ったのだ。奥さんはお友達と2人でシルクロードをめぐっていた。なんという偶然。池田さんは柄にもなく(失礼!)、顔を上気させ、照れ笑いを浮かべていた。
そのあとのことになるが、池田さんの奥さんからはお手紙をいただいた。その一節を紹介させてもらおう。
「私達の旅も終章を迎えつつベゼクリク千仏洞へ。その時、オートバイの一団を発見し、その中に主人がいるかと思うと心が震え感動致しました。皆様方の雄姿がとても頼もしく思え、異国の地で日本男児万歳!と叫びたい思いでした」
ベゼクリク千仏洞には57の石窟があるが、そのうち見学可能なのは20窟ほど。ウイグル人は14世紀ごろまでは仏教を信仰していたが、その後の偶像崇拝を禁じるイスラム教の侵攻で石窟内の壁画の顔は削り取られ、仏像の顔も削られ…で、何とも痛々しい。ベゼクリク千仏洞の受難はそれだけではない。20世紀初頭、各国からやってきた探検家たちはこぞって石窟内の壁画を切り裂き、母国へと持ち去っていった。
ベゼクリク千仏洞の見学を終えると国道312号に戻り、国道の右手に横たわる火焔山に行く。
「火焔山」の名前からは燃えたぎるような真っ赤な山肌を想像していたが、予想したほどは赤くはなく、どちらかというと灰色がかっていた。「西遊記」の孫悟空が鉄扇公主から芭蕉扇を借りて火を消そうとしたのが、この「火焔山」だという。国道を離れ、ダートを走り、スズキDR-Z400Sで一気に火焔山に登っていった。フカフカの土。見晴らしのいい高台でバイクを停め、火焔山山麓の風景を見下ろした。
ハミから430キロ、19時にトルファン到着。この時間だと、まだ日は高く、日中のような明るさだ。「トルファン賓館」に泊まる。池田さんの奥さんも同じホテル。ホテルのロビーでは池田夫妻と語り合った。奥さんは高知県の宿毛の出身。「八金」などの「土佐談義」で盛り上がった。
夕食後、「シルクロード軍団」の井染さんと夜の町を歩き、広場の露店で羊肉のカバブーを食べ、「天山ビール」を飲みながら話した。井染さんは大手建設会社の幹部だったが、1960年代の後半にはアフリカ・ザンビアの現場にいた。首都ルサカからは遠く離れたカフエ川という河畔が現場だった。ぼくはちょうど同じ時期、スズキTC250でアフリカ大陸を縦断中。カフエ川にかかる鉄橋は爆破され、大変な思いをして川を渡った。
「40年近くも前に、ニアミスしていたのですね」
ということで、井染さんともおおいに話が盛り上がった。
シルクロードのトルファンにいながら、土佐の話をする、アフリカの話をするというのが、これがまたすごくよかった。