賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

2015-01-01から1年間の記事一覧

「広州→上海2200キロ」(9)

「大長江」のゲストハウスで昼食をいただいたあとは、日本から送り出した「広州→上海」を走るアドレスV125Gとのうれしい対面だ。木箱の梱包を解き、さっそく「大長江」の敷地内を走りまわった。 アドレスの軽快なエンジン音が響き渡る。 「やったね!」…

「広州→上海2200キロ」(8)

8時、「銀昌国際酒店」を出発。我々は車で「大長江」へと向かう。 「大長江」に到着すると、昨日の王さんと女性の王(小王・ショーワン)さんの案内で第1工場のエンジンの組み立てラインを見せてもらった。そのあとマイクロバスに乗って第2工場へ。ここで…

「広州→上海2200キロ」(7)

12月3日。夜明けとともに起き、江門の中心街にあるホテル「銀昌国際酒店」を出発。江門の町を歩く。 ホテル前の大通りは、この時間からけっこうな交通量。スクーターが目につく。バスも走っている。幅の広い歩道にはスクーターの駐車レーンがある。さすが…

「広州→上海2200キロ」(6)

江門の中心街のレストランで夕食を食べ終わると、我々はさらに夜の町を歩いた。目抜き通りの店々のウインドウショッピングを楽しんだあとは裏通りを歩き、裏通り沿いにある市場に入った。煌々と明かりの灯る夜市では、色とりどりの野菜や果物がきれいに並べ…

「広州→上海2200キロ」(5)

我々は江門の「銀昌国際酒店」に泊まると、全員で夜の町をプラプラ歩く。建ち並ぶ金専門店の金の装飾品はまばゆいばかり。金持ち国、中国を印象づけるような光景だ。 夕食は町中のレストランで。まずは中国製のビールで乾杯! ガチョウ、スペアリブ&レンコ…

「広州→上海2200キロ」(4)

12月2日14時15分、広州着。中国人スタッフの出迎えを受ける。宋さんと運転手の楊さん、張さんの3人。さっそく2台の車で「大長江」のある江門へ。ここが「広州→上海2200キロ」の出発点になるのだ。 広州から高速道路を200キロほど走り江門に…

「広州→上海2200キロ」(3)

日航機は日本列島の上空を飛んでいく。富士山を過ぎると、南アルプスの連山がよく見える。名古屋上空では伊勢湾岸道の名港トリトンや木曽川の河口がよく見えた。大阪上空では大和川の河口からその南につづく埋立地の臨海工業地帯を見下ろした。まるで実物大…

「広州→上海2200キロ」(2)

12月2日6時、「成田ビューホテル」の朝食を食べ、6時45分に出発。ホテルの専用バスで成田空港へ。そこでスズキのMさん、カメラマンのKさん、女性ライターのTさん、通訳の二村さんと落ち合った。 二村さんは中国語ペラペラ。中国人以上に中国語に精…

「広州→上海2200キロ」(1)

2009年12月1日18時、神奈川県伊勢原市の自宅を出発。さー、「広州→上海2200キロ」の開始だ。 伊勢原駅から小田急線→地下鉄千代田線→JR山手線と乗り継ぎ、西日暮里発20時06分の京成イブニングライナー59号に乗車。21時04分、成田に…

東アジア走破行(20)環日本海ツーリング(5)

我々がウラジオストク港に到着したのは14時。ギリギリ「セーフ!」といったところだ。港内に入り、韓国の東海から日本の境港まで行く韓国船のフェリー「イースタンドリーム号」の停泊する岸壁前でバイクを止めた。ウラジオストクの道路工事区間で泥まみれ…

東アジア走破行(19)環日本海ツーリング(4)

ハバロフスクに到着したのは2011年8月13日。翌8月14日はハバロフスクに滞在した。ポリッジ、ピラフ、ヌードル、ソーセージ、ハム、チーズ、スープの朝食を食べ、「ホテルインツーリスト」を出発点にして、その周辺を歩いてまわった。川岸の展望台…

東アジア走破行(18) 環日本海ツーリング(3)

タタール海峡(間宮海峡)の港町、ワニノを出発。ロシア沿海州の中心都市、ウラジオストクを目指す。この日の目的地はアムール川流域のリドガだが、トラブル発生。「ワニノホテル」までやってきた我々のサポートカーのトラックは、リアのバネが折れたとのこ…

東アジア走破行(17)環日本海ツーリング(2)

サハリン西岸最大の港湾都市、ホルムスク(真岡)の人口は5万人。サハリンでは第2の都市になっている。我々はホルムスク駅前でバイクを止めたが、ここは正確にいうとホルムスク北駅。ホルムスクにはもうひとつホルムスク南駅があるが、今は使われていない…

東アジア走破行(16)環日本海ツーリング(1)

「東アジア走破行」の第13弾目は、2011年の「道祖神」のバイクツアー、「賀曽利隆と走る!」第15弾目の「環日本海ツーリング」だ。 我が愛車、スズキの400㏄バイク、DR-Z400Sを走らせて東京から新潟へ。新潟から日本海に沿って北上し、稚…

東アジア走破行(15)台湾往復縦断

「東アジア走破行」の第12弾目は2011年の「台湾往復縦断」。5月26日から8日間、台湾のスズキ、台鈴工業の125㏄スクーター、「TEKKEN(鉄拳)125」で1155キロを走った。台北の台鈴工業本社前を出発点にし、台湾南部の中心都市、高…

東アジア走破行(14)台湾一周

「東アジア走破行」の第11弾目は2010年の「台湾一周」。6月17日、成田空港から9時40分発のチャイナエアラインCL107便の台北行きに乗り込んだ。成田を飛びたってから3時間後、台湾が見えてきた。長年の夢だったバイクでの「台湾一周」がい…

東アジア走破行(13)広州→上海

「東アジア走破行」の第10弾目は2009年12月1日~12月12日の「広州→上海2200キロ」。この中国ツーリングはいろいろな意味で、すさまじいものだった。またそれを成しとげたことによって自分が新たなステップを踏み、別な世界に昇っていったよ…

東アジア走破行(12)チベット横断

2009年の「道祖神」のバイクツアー、「賀曽利隆と走る!」の第14弾目の「チベット横断」が第9弾目の「東アジア走破行」になる。 7月1日に日本を出発し、北京から西安へ。西安から中国製のバイクで蘭州→嘉峪関→敦煌とシルクロードを走り、敦煌からチ…

東アジア走破行(11)シルクロード横断

2006年の「道祖神」のバイクツアー、「賀曽利隆と走る!」の第12弾目、「シルクロード横断」が「東アジア走破行」の第8弾目になる。 8月16日に東京を出発し、神戸港からスズキの400㏄バイク、DR-Z400Sともども中国船の「燕京号」に乗り…

カソリの峠越え(34) 中国編(17):江川の峠(パート2) (Ridges in Chuugoku Region)

(『月刊オートバイ』1992年11月号 所収) 前回の「江川の峠(パート1)」では、広島県の三次を出発点にして中国地方最大の河川、江川本流の峠を越え、また三次に戻ってきた。 三次盆地の中心、三次はまさに「江川の町」といったところで、江川本流の…

カソリの峠越え(33) 中国編(16):江川の峠(パート1)

(『月刊オートバイ』1992年10月号 所収) 今回の「峠越え」の舞台は、中国地方最大の河川、江川(江の川)だ。この川はきわめて特異な流れで、中央分水嶺の中国山地を突き破り、瀬戸内海側から日本海に流れ出る。このような川は日本中を探しても、ほ…

東アジア走破行(10) 韓国往復縦断(2)

「東アジア走破行」第7弾目の「韓国往復縦断」(2005年10月)では、韓国最北端の地、北緯38度35分12秒、東経128度22分30秒の高城統一展望台で折り返し、束草に戻った。 その途中では、日本海の海岸にある李承晩の別荘を見ていく。李承晩…

東アジア走破行(9) 韓国往復縦断(1)

「東アジア走破行」の第7弾目は2005年10月の「韓国往復縦断」。この年の5月1日、韓国へのバイク持込が解禁になった。「道祖神」はそれを記念して「賀曽利隆と走る!」シリーズの第11弾目として「韓国往復縦断」を企画した。 こうしてぼくは200…

カソリの峠越え(28) 中国編(11):因幡の峠(パート2) (Ridges in Chuugoku Region)

(『月刊オートバイ』1993年9月号 所収) 鳥取県は昔の国名でいうと、東半分の因幡と西半分の伯耆の2つの国から成っている。そのうちの東半分、「因幡の峠」を越えようと、峠越えの相棒のスズキDJEBEL250を走らせて鳥取へ。東名→名神→中国道…

東アジア走破行(8)旧満州走破行

「東アジア走破行」の第6弾目は2004年9月21日~10月4日の「旧満州走破行」だ。その一番の感動的なシーンは中国最北端の地に到着した時だ。 「おー、北極だ。おい、尚、ついに北極までやってきぞ!」 中国・東北部、黒龍江省の中心都市、ハルビン…

東アジア走破行(7)中朝国境走破行

「東アジア走破行」の第5弾目は2003年の「中朝国境走破行」だ。 2003年9月25日はぼくにとっては一生涯、忘れられない歴史的な日になることだろう。鴨緑江河口から図們江(朝鮮名 豆満江)河口を目指すバイクツアー「中国・北朝鮮国境を行く!」…

東アジア走破行(6)ユーラシア大陸横断

2002年の「道祖神」のバイクツアー「賀曽利隆と走る!」の第7弾目、「ユーラシア大陸横断」では、ロシアのウラジオストクからユーラシア大陸最西端のロカ岬まで、1万5000キロを走った。そのうちの欧亜を分けるウラル山脈の峠までが第4弾目の「東…