賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

甲武国境の山村・西原に「食」を訪ねて(14)

 (日本観光文化研究所「あるくみるきく」1986年10月号、所収)

キビの詩(1)

 まず、「キビの詩」だが、西原ではキビのことを「キミ」といっている。

 キビは「黒くてのめっこい」とあるように、表皮は濃いチョコレート色をしており、ツルツルし、光沢がある。それが搗いて調整し、表皮をとり除くと、濁りのない黄色に変わる。「キミ」はこの黄色からきているという。

 中川さんのところで見せてもらったキビの種まきのところでもふれたが、キビは脱粒性の強い穀物で、「穂先を手で揉み」とあるように、筵の上でキビの穂を手で揉んだり、足で踏みつけるだけで、容易に穀粒が穂から落ちる。それを箕に入れてふるい、ごみやかすを取り除く。「箕であっぱっぱ」は、その時の様をいいあらわしている。

 雑穀類の調整・製粉には、水車がたいへんな威力を発揮した。水車は水の力で輪をまわし、心棒の回転運動を上下運動に変えた搗臼(つきうす)と、歯車でもって別な回転運動に変えた碾臼(ひきうす)から成っている。そのうち、「水車の臼でこずかれて」とあるように、搗臼でもってキビを精製するのである。なお碾臼は主に製粉するときに使う。

 西原には昭和30年ごろまでは、全部で20基近くの水車があった。現在(1986年時点)でも2基残っているが、関東周辺で今でも実際に使われている水車が残っているのは、きわめてまれな例である。

 西原では水車のことを「クルマ」と呼んでいる。

 クルマの組は昔からつづいている。1組は10~15軒から成っており、自分の家が使える日は決まっていた。雑穀類や麦類、ソバの収穫後はとくに忙しく、クルマが止まることはまずなかった。

「ヨグルマ」といって、夜通しクルマをまわし、穀物を精白・精製したり、粉にした。水車がそれほど必要でなくなったのは、雑穀類や麦類をそれほどつくらなくなってしまったからである。