賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

宮本常一研究 Folklorist Tsuneichi Miyamoto

カソリの「宮本常一研究」(12)

第7回目でふれた宮本常一先生の奥様が8月5日に亡くなられた。享年97歳。長年にわたって宮本先生を支えられた奥様だった。 宮本先生ご夫妻には仲人をしていただいたこともあって、奥様には何かとご心配をいただいた。3人の子供たちが産まれるたびに、 …

カソリの「宮本常一研究」(11)

「日本観光文化研究所」(第3回目) (『ツーリングマップルマガジン』2008年Vol.3 所収) 「六大陸周遊」(1973年~74年)の旅から帰ったときは、前回でもふれたように、ぼくは大きな壁にぶち当たった。 だが、それだけではなく、我が人生…

カソリの「宮本常一研究」(10)

「日本観光文化研究所」(第2回目) (『ツーリングマップルマガジン』2008年Vol.2 所収) 「六大陸周遊」(1973年~74年)の旅から帰ったときは、カソリ、大きな壁にぶち当たった。 それまでの、命を張って世界を駆けめぐってきたことが無…

カソリの「宮本常一研究」(9)

「日本観光文化研究所」(第1回目) (『ツーリングマップルマガジン』2008年Vol1 所収) 「我に師なし 我に弟子なし」 そういいつづけてきた一匹狼のカソリだが、じつは1人、師がいる。それは柳田国男をしのぐとさえいわれている民俗学者の宮本常…

カソリの「宮本常一研究」(8)

「宮本常一先生の29回忌」(2009年1月30日) 東京・西国分寺の東福寺で、宮本常一先生の29回忌がおこなわれた。 宮本先生が亡くなられたのは1981年1月30日。ここ東福寺で先生の葬儀は行なわれた。それ以降、毎年、先生の命日の1月30日…

「宮本常一」の故郷を訪ねて

(『旅』1997年6月号 所収) 1997年3月28日。東京駅7時07分発の「ひかり33号」博多行きに乗って、広島に向かった。柳田国男をしのぐともいわれるほどの民俗学者であり、また、生涯を通して4000日以上も日本国内を旅された偉大な旅人で…

『忘れられた日本人』再び:第6回目

(『ゴーグル』2007年3月号 所収) 「300日3000湯」計画 ぼくは今、「温泉めぐりの日本一周」の真最中。2006年11月1日午前6時30分、東京・日本橋を出発した。バイクはスズキGSR400。「ツーリングマップル」でおなじみの昭文社の…

『忘れられた日本人』再び:第5回

(『ゴーグル』2007年1月号、所収) 『食生活雑考』 宮本常一先生の著作集、全45巻の『宮本常一著作集』(未來社)の中でも、ぼくが何度となく繰り返し読んでいるのは第24巻目の『食生活雑考』だ。この本の第2章が「食生活雑考」になっている。 「…

『忘れられた日本人』再び:第4回

(『ゴーグル』2006年11月号、所収) 東米良の焼畑 宮本常一先生は日本の焼畑農耕には深い関心を持っておられた。 『日本文化の形成・下巻』(そしえて)の「焼畑」の項では、「戦前旅の途中で焼畑をしばしば見る機会を持ったし、宮崎県東米良、椎葉、…

『忘れられた日本人』再び:第3回

(初出:「ゴーグル」2006年9月号) 観文研の共同研究と共同調査 今年の1月30日、東京・西国分寺の東福寺で宮本常一先生の26回忌がおこなわれた。宮本先生が1981年1月30日に亡くなられてから25年間、1度も欠かさずにおこなわれている。…

『忘れられた日本人』再び:第2回

(初出:「ゴーグル」2006年7月号) 「偉大なる旅人」誕生の10ヵ条 宮本常一先生は瀬戸内海に浮かぶ周防大島に生まれた。1907年(明治40年)の8月1日生まれで、来年は生誕100年になる。先生が生まれたのは周防大島東部の旧家室西方村で、…

『忘れられた日本人』再び:第1回

(初出:「ゴーグル」2006年5月号) ライター、カソリの誕生 1968年4月、ぼくは2サイクル250㏄バイクのスズキTC250とともに、横浜港からオランダ船「ルイス号」に乗り込んだ。「アフリカ一周」を目指しての20歳の旅立ちだ。「日本を飛…