賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

カソリの島紀行:第2回 屋久島・縄文杉へ!

 (JTB『旅』2003年3月号所収)

憧れの「縄文杉」!

「いつの日か、行ってみたい!」と憧れて、憧れて、それでもなかなか行けないところがある。屋久島の「縄文杉」というのは、ぼくにとってはのその代表格だった。それだけに、「旅」編集部の鵜澤さんから「カソリさん、縄文杉に行ってもらえませんか」と電話をもらったときは、「やった、これで(長年の)夢がかなうゾ!」と小躍りして喜んだ。

 縄文杉を目指して東京を発ったのは12月上旬。身を切られるような冷たい風が吹いていた。羽田から鹿児島に飛び、国産プロペラ機のYS-11に乗り換えて屋久島空港に降り立つと、南国の日差しは強く、汗が出るほどだった。

 屋久島最大の町、宮之浦の民宿「晴耕雨読」で、縄文杉まで同行してもらうカメラマンの小形又男さんと落ち合った。山の取材が得意な小形さんは縄文杉には何度も行ったことがある。縄文杉を知り尽くしている小形さんの同行は、なんとも心強いことだった。

 縄文杉には1泊2日の行程で行くことにした。縄文杉の近くには高塚小屋という山小屋があるとのことで、そこに泊まることにした。宮之浦のスーパーなどで2日分の食料を買い込み、翌朝の夜明け前の午前6時に、車で宮之浦を出発した。

 屋久島東部の安房で夜が明け、そこから屋久島中央部の山中に入っていく。道路沿いの早朝からやっている弁当屋で朝食用弁当を買い、荒川林道(舗装林道)の終点まで行く。宮之浦を出てからちょうど1時間、標高500メートルを超える地点で、山の空気はピリリと冷たい。屋久島は海岸地帯と山岳地帯では季節のまるで違う島だ。無料駐車場に車を停め、さっそく弁当を食べる。食べ終わると、縄文杉を目指して出発だ! 

「安房森林軌道」をいく

 緊張し、意気込んで歩きだした瞬間、なんとプッツンと音をたてて、背負ったキスリングザックの肩ひもが切れた…。シュラフやマット、ガス、コッフェルなどのキャンピング用品や食料、水、酒、着替えなどを詰め込んだキスリングザックはズッシリと重かった。15、6キロぐらいはあるだろうか。それを頭に乗せて歩こうかとも考えたが、片方の肩ひもだけで背負い、もう片方の切れた肩ひもを肩越しに右手と左手で交互に引っ張っれば歩けるということがわかった。まさに「窮すれば通ず」。このトラブルが旅の醍醐味!

 荒川林道の終点からは「安房森林軌道」の軌道内を歩きはじめる。入口には「屋久杉の生産事業、造林事業のため、機関車の運行をしていますので、カーブ、橋の上等では危険ですので特に注意して下さい」との注意書きがあった。

 橋を渡り、トンネルを抜け、森林軌道を歩いていく。右手に渓流を見下ろす。所々には待避所。左手の岩壁からはいたるところで水が流れ落ちている。1時間ほど歩き、安房川の本流にかかる橋を渡って小杉谷に到着。ここにはかつて100戸を超える戸数の集落があった。郵便局や本屋、商店などもあった。小・中校の児童数は最盛期の1960年には108人を数えたという。

 小杉谷集落は1923年に木材搬出の最前線基地として誕生したが、1970年の「小杉谷製品事業所」の閉鎖とともに、半世紀に及ぶ歴史に幕を閉じた。今は住む人もいない。小・中校跡の広い校庭に立つと、子供たちの声がどこからともなく聞こえてくるようで、胸がジーンとし、しばらくは立ち去れなかった…。

 9時に小杉谷を出発し、さらに森林軌道を歩く。白谷雲水峡への道との分岐点を通過し、50分ほど歩くと「三代杉」に到着。一代目は1500年前に倒れた杉、二代目はその上に成長したもので350年前に切り倒された杉、さらに二代目の上に成長したのが現在の三代目で、このような大杉を見られるのも「杉の屋久島」ならではのもの。三代目は一代目、二代目をとり囲むようにして、幹のような太い根を張っている。その前を「プププー」と警笛を鳴らし、エンジン音を響かせて森林軌道のトロッコが通り過ぎていった。

 10時に「三代杉」を出発し、さらに50分歩き、「大株歩道」入口に着いた。ここまではフラットなコースで楽だった。屋久島の自然を存分に味わいながら、気ままにプラプラと歩けた。「縄文杉」までは、あと残り半分の行程だ。

巨大杉めぐり

 11時、「大株歩道」入口を出発。「安房森林軌道」に別れを告げ、きつい登りの山道に入っていっていく。最初に出会う大杉は「翁杉」。推定樹齢は2000年から2500年。木の舞台があってそこに座り、正面のスーッと延びる杉の大木を見た。すると「カソリさん、アレじゃないですよ。こっちこっち」と小形さんの声。

 翁杉は着地性の植物に覆われ、根は苔むしていたので気がつかなかったのだ。裏側にまわると、木の幹はボロボロと崩れかかっている。赤茶けた岩山の岩肌が崩れていくかのようだ。それは植物というよりも岩石。いくつもの洞があって連続し、大木は空洞化し、巨大なオブジェになっている。木のてっぺんは原爆ドームを思わせた。それを今にも折れそうな3本の柱が支えていた。「左甚五郎の透かし彫りを見るようだ」とは、小形さんの言葉。

 12時、ウィルソン株に到着。見た瞬間、「おー!」と思わず声を上げた。巨大な杉の切り株。その中に入ると、サラサラと清水が流れ、祠がまつられている。祠の前で柏手を打つと、その音が洞内に響いた。内側の木肌は鍾乳洞の鍾乳石のよう。切り株の中が小世界になっていることが驚きだ。1914年にアメリカの植物学者、ウィルソンによって発見されたのでその名があるが、この巨大杉は16世紀の末に伐採されたとのことで、屋久杉の中では一番古い切り株だという。このウイルソン株を見ながら昼食にした。

 13時、ウィルソン株を出発。あえぎながらきつい山道を登り、14時、推定樹齢3000年の「大王杉」に到着。木の根元に入れないように、登山道にはロープを張ってある。木の下まで行って、杉皮をはいで持って帰る人が多いからだという。大きく枝を張った

大王杉を見ていると、妖怪の世界に迷い込んだようだ。

 そのすぐ上には「夫婦杉」。2本の大杉がからみ合っている。右側が夫で左側が妻か。女が男を追っているようにも見える。小形さんはすかさずいった。「屋久島の女は情が深い!」。「縄文杉」までの登山道沿いで見る屋久杉の巨木はこのほかに何本もあって、そのどれもが、みごたえのあるものばかりだった。なお「屋久杉」といえば、樹齢1000年以上の巨木を指すという。

「縄文杉だー!」

 縄文杉を目指してさらに登る。疲れきって小形さんとの歩きながらの会話も途切れがちになる。縄文杉を見るのは簡単なことではなかった…。そんなときに縄文杉から下ってくるカップルに出会った。なんと藤原寛一さん、浩子さんの夫妻だ。2人はバイクに乗って日本中の「巨樹めぐり」をしている最中だった。藤原夫妻は日本のみならず、世界もバイクで駆けめぐっている。そんな2人と偶然の再会をし、登山道でしばしの立ち話をしたおかげで、また新たな力が体内によみがえってきた。

「大王杉」から1時間、ついに「縄文杉」にたどりついた。縄文杉を前にすると、「スゲー!」の一言で、もう声も出ない。すごすぎる!

 ぼくが縄文杉を見た瞬間、頭に思い浮かべたのは、八ヶ岳山麓の尖石遺跡の「尖石考古館」で見た縄文土器の数々だった。縄文土器の装飾に、縄文人の燃え上がるような情念を見た。縄文杉のゴツゴツした木肌と盛り上がった大きなコブが、尖石の縄文土器の装飾と重なり合って見えたのだ。

 縄文杉を見る観覧台にシートを広げ、そこに座り込んだ。植物というよりも、神仏に対座しているようだ。屋久島には推定樹齢が3000年の「大王杉」、「紀元杉」、「弥生杉」、推定樹齢が4000年の「大和杉」とあるが、推定樹齢7200年の「縄文杉」は他を大きく引き離し、はるかにその上をいくド迫力だった。

 縄文杉を見に来る人たちは、個人も団体もほとんどが日帰りなので、午後3時を過ぎるとこのあたりには誰もいない。ぼくと小形さんは縄文杉を独占した。いくら見つづけても見あきることのない縄文杉。日が西の空に傾き、急激に気温が下がりはじめたところで、やっと重い腰を上げ、さらに10分ほど登った高塚小屋に行った。

 そこには先客がいた。若いイギリス人旅行者のジェイ。彼は南の尾之間から2日をかけて屋久島を縦走し、最高峰の宮之浦岳から高塚小屋に下ってきた。明日、縄文杉を見、白谷雲水峡経由で北の楠川に下っていくという。ぼくたちはといえば、今日と同じルートで安房に戻る。

 夕食後、ジェイをひっぱり込み、小形さんと屋久島の焼酎「三岳」で縄文杉に乾杯した。熱い湯で割って飲んだが、腹わたにしみるようなうまさ。縄文杉への乾杯は「三岳」の大瓶が空になるまでつづいた。「縄文杉を見たい!」という長年の夢をついに実現させて、ぼくは興奮し、気分はいやがうえにも盛り上がっていた。