賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

旅で出会った女性たち(※R18かも?)

(20)「300日3000湯」の「ゆーゆーさん」(その4)

※原著作者と相談の上、削除いたしました(その1~4)。 ご了承ください。2008年9月26日

(16)「50㏄バイク日本一周」(1978年)の「食堂の薩摩美人」

鹿児島の大隅半島では、あまりの空腹に耐えかね、日が暮れると早々に食堂に飛び込んだ。客はぼくのほかにはいなかった。我が目を疑うというのはこのことで、食堂の女性は若いころの大原麗子のようなすごい美人なのだ。 そんな「食堂の薩摩美人」にみとれなが…

(15)「ヨーロッパ一周」(1969年)の「食堂の少女」

1969年4月8日、ジブラルタル海峡をわたってスペインのアルヘシラスに到着。そこから地中海に沿ってフランス、イタリアと走り、ユーゴスラビアに入った。 アドリア海からジナルアルプス山脈の峠に向かったが、春の遅いヨーロッパ、峠道を登るにつれてあ…

(14)「アフリカ一周」(1968年~1969年)のレズリー

「タカシ! 早く来て、ほら、ベルデ岬よ」 レズリーの弾んだ声に、ぼくはデッキにかけ寄った。 真っ青な大西洋の大海原のその向こうに、アフリカ大陸最西端のベルデ岬が見えてきた。オーストラリアのブリスベーンで生まれ育ち、イギリスの大学で学んでいるレ…

(13)「アフリカ一周」(1968年~1969年)の「村松千恵子さん」

モザンビークのロレンソマルケス(現マプト)を出発点に、アフリカ大陸を北上。エチオピアの首都アディスアベバでは日本人画伯の水野富美夫先生にずいぶんとお世話になり、先生のお宅で何日か、泊めてもらった。 その間、何冊もの本を読ませてもらったが、強…

(12)「オーストラリア2周7万2000キロ」(1996年)の「レイコさん」

「大陸縦断路」の内陸の町、テナントクリークではユースホステル(YH)に泊まった。YHとはいっても、バックパッカーズのような自由な雰囲気のところだった。 ここではなんと、カブでまわっている「ベンジー」に再会した。彼とはアデレードのバックパッカ…

(11)「オーストラリア2周7万2000キロ」(1996年)の「熊クミさん」

オーストラリア中央部の中心地アリススプリングに着くと、「アリスロッジ」というバックパッカーズに泊まったが、ここは男女同室。隣のベッドにはデンマーク人の女の子。彼女はスケスケルックで、ピンクの下着が透けて見えてしまう。刺激が強すぎるよ‥‥。 夕…

(10)「オーストラリア2周7万2000キロ」(1996年)の「トトロちゃん」

国道1号での「オーストラリア一周」中でのことだ。 北部オーストラリアのブルームを出発。猛烈な暑さの中をダービーに向かう。その間は240キロ。昼過ぎ、ダービーに近づいたときのことだ。町まであと10キロぐらいのところを、何と、日本人女性が歩いて…

⑨「オーストラリア2周7万2000キロ」の「カレン」

南のアデレードから北のダーウィンを目指して大陸を縦断したときのことだ。 キャサリンではバックパッカーズ、「クックバラロッジ」に泊まった。ここは男女同室のバックパッカーズなのだが、なんと8人用の部屋に女の子が4人、男はぼくだけというまるで花園…

⑧「秘湯めぐりの峠越え」(1994年~1995年)の「藤七温泉のバイクの彼女」

1993年7月25日、盛岡を出発点にして八幡平の温泉をめぐった。 無料化されてまもないアスピーテラインで八幡平を登っていくと、数メートル先も見えないような濃霧の中に突入。ところが海抜1000メートルの御在所温泉まで登ると、雲海の上に出た。 …

⑦「秘湯めぐりの峠越え」(1994年~1995年)の「錦戸陽子さん」

1995年6月10日、大分県の長湯温泉「丸尾旅館」に泊まった。 翌朝は、宿の湯に入ったあと、芹川の河畔にある無料湯の混浴露天風呂「カニ湯」に入る。川の流れを目の前に見、対岸に旅館街を眺める湯だ。早めにしてもらった朝食を食べ、7時30分に長湯…

⑥「サハリン」(1991年)の「キセニア」

1991年8月14日、いよいよ迎えたサハリンへの出発の朝。気持ちが高ぶっている。午前10時、稚内港のフェリーターミナルで、出国手続き。“WAKKANAI”の文字の入った出国印が、ポンと、パスポートに押される。 「これで、日本を離れていくんだ」 …

⑤「サハラ往復縦断」(1987年~1988年)の「フローラ」

1987年12月21日、西アフリカ・マリのガオのキャンプ場にサハラ砂漠を越えてやってきた5台の車が到着。その中の1台はオランダ人女性フローラの乗ったフォルクスワーゲンのバンだった。うれしいフローラとの再会。 「ターキー(タカシのこと)、無事…

④「世界一周」(1971年~1972年)の「ベチャ」

1972年6月21日、毎日見慣れたイギリス・ノーベリーの町をあとにし、A23でロンドン市内へ。シートラベルセンターで、電話で予約を入れておいた船(イギリス→カナダ)のチケットを買い、A13でテムズ川河口のティルベリーに向かう。港に着くと、す…

③「50㏄バイク日本一周」(1989年)の「ルミちゃん」

1989年10月14日、沖縄の石垣島から福山海運の「フェリーよなくに」で与那国島に渡った。この「フェリーよなくに」で3人のライダーに出会った。ホンダXR600の「マサワン」、カワサキKLR250の「ヤマサン」、それとホンダVT250Zの「…

②「50㏄バイク世界一周」(1990年)の「ミヤザワさん」

1990年9月20日、オーストリアのウィーン滞在中のことだ。ハンガリー大使館でビザを申請したあと旧市街を歩き、ホーフブルグ宮殿などを見てまわる。午後はシェーンブルイン宮殿に行った。 シェーンブルン宮殿はハプスブルグ家の女帝マリア・テレジアに…

①「300日3000湯」(2006年~2007年)の「ゆーゆーさん」

8パートに分けてまわった「300日3000湯」の「温泉めぐり日本一周」の第6弾目、「本州東部編」の第1日目のことだ。 2007年6月20日、東京・日本橋を出発。千葉県に入り、君津ICで館山道を降り、国道127号で房総半島の内房海岸を南下した…