賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

南米・アンデス縦断2007-2008:動画写真集を公開しました!

大変ご無沙汰しております。

 

賀曽利さんから、まだサハラの写真が届かないので(苦笑)、
どうしようかなと思ってた今日この頃。

 

押し入れのCD-Rを整理していたら
ブログでも掲載したアンデスの写真集が、大きな画素数
保存されていました。

 

昨夜、1:30まで夜なべしつつ、今朝になって仕上げました。

 

 

ご笑覧ください!

『アフリカよ』Youtube版電子写真集完成しました。

アップロード完了したのがちょっと前のことなので恐縮ですが。

下記の通り、積年の電子化プロジェクトが一応の完結を見ました!

 

※Youtube画面右下の「CC」から日本語を選択いただくと、写真キャプションが読めます。 

 

コロナの影響で賀曽利さんにインタビューとかできない現状ですが、いずれ続きを作っていきたく。

引き続きよろしくお願い申し上げます。

C・W・ニコルさんの思い出

 昨日(4月3日)、C・W・ニコルさんが亡くなられました。79歳でした。ぼくにとっては忘れることのできない人なので衝撃を受けています。

 

 最後にお会いしたのは2015年11月9日のことで、信州の黒姫でした。ご自宅を訪ね、そのあと「アファンの森」を案内してもらいました。「アファンの森」を歩いたあとは、黒姫の郷土料理店「北川」でさんざんご馳走になりました。イワナとニジマス、信州サーモンの刺身を肴にして、信州の地酒をふるまわれたのです。そんなニコルさんの思い出です。

 

 ぼくが初めてニコルさんに出会ったのは今から52年前の1968年。友人の前野幹夫君と2人でスズキの250㏄バイク、TC250を走らせ、アフリカ大陸を縦断中のことでした。その時、僕は20歳、ニコルさんは27歳。ニコルさんとの出会いを『アフリカを疾る 54729kmバイク縦断記』(光文社文庫)で次のように書いています。

 

◇◇◇

 

 1968年12月6日、エチオピアの古都ゴンダールに着いた。首都のアディスアベバから750キロの距離。町の人たち、何人かに聞いて、僕たちはイギリス人のC・W・ニコルさんを尋ねた。ニコルさんはゴンダールから100キロ離れたシミアン山地にナショナルパークをつくるため、エチオピアに派遣されていた。


 ニコルさんの家にたどり着くと、日本人の奥さんが出てきた。
 大柄な、明るい感じの奥さんは、僕たちの顔を見て、
「まあ!」
 と、驚きの声を上げた。
 まっ黒に日焼けした日本人が2人、それもつぎはぎだらけのジーンズをはき、傷だらけのヘルメットをかかえているのだから無理もない。

「さー、どうぞ」
 と、気をとりなおした奥さんは僕たちを家の中に招き入れ、手づくりのクッキーを出してくれた。

 

 夕方になって、ニコルさんが帰ってきた。
 長身のがっちりした体つきで、目がやさしい。
「え? オートバイでアフリカ大陸を縦断中だって? それはすごい!」
 ニコルさんは日本語が上手だ。

 

 それだけではない。空手の有段者で、日本の文化にも詳しい。1940年にイギリスのウェールズで生まれたニコルさんは、10代の頃から北極探検を繰り返している筋金入りの冒険家だ。その時に仕留めた白熊の毛皮をエチオピアに持ってきていた。僕たちはその白熊の毛皮の上に座ってニコルさんの話を聞いた。

 

 ニコルさんが日本に来たのは空手を習うためで、東京・池袋の道場に通った。その時に奥さんと知り合った。ニコルさんにとって日本はイギリスとカナダ同様、故郷と呼べる国になった。
「あと2年、エチオピアにいるけど、そのあと日本に帰るよ。水産大学に入って、水産資源の勉強をしたい。その知識を持って、もう一度、北極に戻りたいんだよ」
 というニコルさんだった。

 

 ニコルさん夫妻には2人の子供がいる。3歳になる健太郎君と1歳になったばかりの美和子ちゃんだ。
 僕たちはその日から1ヵ月近くもニコルさん夫妻と過ごすことになる。

 

 翌12月7日は、ニコルさんにゴンダールの町を案内してもらった。マルカード(市場)を歩き、ゴンダール城を見てまわった。

 

 その日の夜、ニコルさん宅は国際色豊かな客人でにぎわった。シミアンへの道路建設の予備調査に来た5人のロシア人、世界でもシミアンにしかいないワリアイベックスというカモシカを研究しているスイス人夫妻、ゴンダールの学校で英語を教えているピースコープ(平和部隊)のアメリカ人、ニコルさんの助手のエチオピア人、それと僕たち2人の日本人。

 

 ビールを飲み、ウイスキーを飲み、ウオッカを飲みながら、最初のうちは英語での会話だったが、酔うほどにロシア語が、ドイツ語が、アムハラ語(エチオピア語)が、そして日本語が飛び交うようになった。ベタベタに色分けされたモザイク模様の世界地図を見るかのようだった。

 

 翌12月8日、ニコルさんは5人のロシア人をシミアンに連れていくことになり、僕たちも一緒に連れていってもらった。ゴンダールから北東に100キロのデバレクという村まで車で行き、そこでウマやラバ、ロバに乗り換え、シミアンに向かっていく。

 

 ぼくはラバに乗った。
「ニコルさん、ウマにもラバにも乗ったことがないけど、大丈夫かなぁ」
「カソリさん、平気、平気。オートバイよりよっぽどカンタンだよ」
 馬上の人ならぬラバ上の人となり、シミアンを目指した。

 

 草原を進んでいるときのことだ。ロシア人の中でも一番肥っている人が、ラバから落ちた。その格好がおかしいといって、みんなで笑った。ところがその直後に、今度は僕が落ちることになった。地面にたたきつけられた時の痛さといったらなかった。ラバは逃げたが、ニコルさんは鮮やかな手綱さばきでウマを走らせ、ラバを連れ戻してきてくれた。

 

 山を越え、谷を越え、デバレクを出発してから7時間後にシミアンに着いた。
 シミアンはエチオピアの最高峰ラスダシャン(4620m)の南西に広がる高原地帯。高さ900メートルの滝もある。スイス人夫妻が研究しているワリアイベックスも、この垂直に切り立った断崖に生息している。

 

 ニコルさんは「シミアン・ナショナルパーク」をつくろうとしていたが、その拠点になる家を建設中だった。
 シミアンは標高3000メートルを超えるので、朝晩の冷え込みは厳しい。朝方には霜が降り、水溜まりには氷が張る。
 ニコルさんの建てかけの家の近くまで、ジェラダ・バブーン(ヒヒの一種)の群れがやってくる。彼らの鳴き声を聞いていると、まるで人間の会話を聞いているかのようで、様々な鳴き声を使い分けているのがよくわかる。

 

 シミアンからゴンダールに戻ると、ディストリクト・コミッショナー(地方長官)の家に招かれた。ニコルさんに連れていってもらったのだが、ディストリクト・コミッショナーというのは昔の封建領主のようなものだという。


 エチオピアの主食のインジェラと辛い肉汁のワットとともに、蜂蜜を発酵させたタッジという黄色い酒がふるまわれた。タッジは口あたりのいい酒で、グイグイ飲んだ。

 かなり飲んだが、ディストリクト・コミッショナーは、
「もっと、飲みなさい」
 と強要してくる。
「もう、飲めません…」
 といって断ると、
「なに、私の酒が飲めないって。それなら、牢屋に入ってもらおうか」
 と、本気になって脅してくる。

 おかげで僕は呂律がまわらないほど、グテングテンに酔ってしまった。

 

 かわいそうなのは前野だ。
 飲めない前野は無理して飲んだものだから悪酔いして、
「女を持ってこい!」
 と大声を張り上げ、ニコルさんをこまらせた。
 ニコルさんは酔っぱらった日本人2人を連れて、ゴンダールの自宅に戻ったのだ。

 

 このような出来事もあったが、僕たちはすっかりシミアンが気に入った。
 ニコルさんに、
「カソリさん、マエノさん、ちょっと手を貸してもらえないだろうか」
 と頼まれたこともあって、僕たちはシミアンの家造りの手伝いに行くことにした。

 

 ニコルさん一家も全員がシミアンに移ることになっていたが、僕たち2人はひと足先にゴンダールを出発した。
 僕たちは相棒のTC250でデバレクまで行った。
 家造りに必要な道具や材料、それと食料を積んだラバを引き連れ、ニコルさんの助手のメスフィンと一緒にシミアンに向かった。

 

 シミアンでの一日は、清冽な清水で顔を洗うことから始まる。パンと紅茶の朝食を食べると、ニコルさんが書いてくれたメモを頼りに仕事を開始。石を積んで階段をつくったり、柱を磨いたり、こねた土を壁に塗りつけたり、トイレをつくったり、ペンキを塗ったり…。手先の器用な前野は何でも上手にこなした。

 

 夜は暖炉の火を囲み、ローソクの灯のもとで本を読んだ。アフリカ大陸縦断の旅に出てから半年以上も活字と縁のない生活を送っているので、無性に本を読みたくなってくる。幸いなことに、ここには何冊もの英語の本があった。


 僕は夢中になって読んだ。
『The Makeing of a Vagabond』(Y・L・コン)
『Ethiopia Episode』(レズリー・ブラウン)
『Other God』(パール・バック)
『The Call of the Wild』(ジャック・ロンドン)
『Home Comeing』(大仏次郎)
などなど。

 

 クリスマスの前日、ニコルさん一家がやってきた。
 健太郎君も美和子ちゃんも長い山道をラバに揺られっぱなしだったが、元気いっぱいだ。
 クリスマスはニコルさん一家とシミアンで迎えた。ささやかな、心温まるクリスマスパーティー。暖炉を囲んで食べて、飲んで、おおいに語り合った。

 

 何とも傑作なのはニコルさんと前野の「おなら談義」だ。2人ともおならに関しては一家言を持っている。それだけではない。2人とも自由自在におならをすることができる。それも変幻自在の音を出すことができるのだ。
 自由におならを出せないニコルさんの奥さんと僕は、腹の皮がよじれるほど笑いながら聞いていた。

 

 酔いざましに、外に出た。
「ホー、ホー、ホー」
 フクロウが鳴いている。
 シミアンの空気は凍りつくように冷たく、はく息はまっ白。見上げると、ザラザラ音をたてて降ってくるかの星空。手を伸ばせば、星をつかめそうなのだ。

 

 シミアンに来てから半月が過ぎた。
 ニコルさん一家に別れを告げる日がやってきた。
 別れの日の早朝、ニコルさんはワリアイベックスがいるかもしれないという断崖に連れていってくれた。すると見事な角を持ったオスを見ることができた。それにつづいてメスとかわいらしい子供たちを見ることができた。全部で7頭。ワリアイベックスは目のくらむような断崖を美しい姿をひるがえしながら走り去っていった。

 

 ニコルさん一家に見送られてシミアンを離れ、12月29日、僕たちは相棒のTC250に乗ってシミアン山麓のデバレクを出発したのだった。

合掌:C・W・ニコルさん逝く

管理人です。

コロナでズタズタなところ、また悲しいニュースが飛び込んできました。

 

news.yahoo.co.jp

 

私も雑誌編集者時代にお見掛けしたり、担当は別でしたが、エッセイをいただいたりしていました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

『アフリカよ』電子写真集をYoutube版にします!

以前、Kindle電子書籍として買っていただいた方には大変申し訳ございません。以下の電子書籍を本Youtubeチャンネルにて「新版」復活させることを決意しました。

 

悩むこと暫時。しかし先程「出版停止」ステータスに切り替えた次第です。


●アフリカよ 1968-69 過剰な電子写真集 第一部(カラー写真編)
https://www.amazon.co.jp/dp/B00CQBNND2
●アフリカよ 1968-69 過剰な電子写真集 第二部(モノクロ写真編)
https://www.amazon.co.jp/dp/B00E1II1VM
(※追記:その後、第二部にはテキスト「ヨーロッパひとめぐり」「電子書籍版あとがき」があり、これはYoutube化が難しいため、販売再開しました。)

 

忘れていたのですが、当時のKindleはデータ量の制約などあり、わざわざ写真サイズをかなり圧縮してましたね。今のYoutubeでリメイクした方が、より精彩に当時の写真を楽しんでいただけそうです。

 

もちろん、カビや合成部分(どうしても救えないカビ写真等の場合、若干あり)の粗が目立つ、という難点もありますけどね(汗)。

 

改めまして、Kindle電子書籍版として購入いただいた方には御礼申し上げます。ご理解いただければ幸いです。

(※なお、『アフリカよ 電子書籍新版』は引き続きAmazon Kindleで配信いたします。)

 

Youtube化を少しずつ。

www.youtube.com

 

不定期更新ですが、手元にあるものから順次Youtubeでもお楽しみいただけるようにしていきたいなと。カソリさんが東北から戻ったら、インタビューもしたいと思っています。

 

引き続きよろしくお願いいたします。

「カテゴリ」で選んだ記事が新着順固定(?)で不便な点について【続き】

 はてなさんの問い合わせから返答いただきまして。

 

●記事を古い順にする方法はない。今後開発も予定していない。

 

とのことでした。マジか…。

 

カソリブログは100とか200記事あるカテゴリも存在していて、それをずっと遡って見ていかなきゃいけないの? 30まで見た次の日に31から読みたい場合。めっちゃ大変ですよこれ。

 

読み手の利便性のために、例えば別途、スプレッドシートにすべての記事のURLをコピペしておいて、如何様にも読めるようにしておこうかな…しねえよ。

 

有料ブログサービスでこれか! みんなどうやってるの(読み手も、書き手も)。不思議でしょうがない。嘆いていても仕方ないので、近日中にいい方法を考えて再構成したいと思っています!

「カテゴリ」で選んだ記事が新着順固定(?)で不便な点について

いつも当たり前だった日常が…そうでなくなる時もありますな。

この間の台風15号、19号などでも思い知らされました。(うちは特に15号の時がひどかった…)

 

で、旧ブログの「FC2」では当たり前にできていたことが「はてばブログ」では思うように行かない点がいくつか生じています。いま運営に問い合わせ中のこともあり、うまくいけばすぐ反映していきますね。

 

●1)「カテゴリ」で読みたい記事を選んだ場合にも、いつも「新着順」なので、「更新した順(古い順)」にできない!(設定画面とかいろいろ見たけれど、ありません)

※最初の記事で頭出ししようかとも考えたのですが、今度はフッタに出てくる「前の記事」「次の記事」が記事更新順(前後)なので、カテゴリお構いなしで表示されることが判明(←これ自体はしょうがないが、現状で上の問題の逃げ道がない…)

 

●2)編集を終えてOKを押したら、FC2ブログでは「再編集する」ボタンがあって大変便利だったが、はてなブログでは「記事に戻る」しかなく、失念した変更箇所を思い出したときに、いちいち面倒。

 

f:id:vrenglish:20191014133048g:plain

(※FC2では管理画面でこんな感じ。細かく表示順や記事件数を設定できるだけでなく、各カテゴリ設定でも個別カスタマイズできるという、きめ細かな仕様!)

 

う~ん、編集する立場・読む立場からすれば、はてなさんはまだまだ改善点がありそうだなぁ。便利なところも多々あって助かっているのですが、基本的な記事周りはやっぱり大事かと。

運営には要望出してまいります。期待して待ちましょう。

管理人敬白。(Greeting from the Administrator)

今を去ること約11年半前、2008年5月2日に最初のご挨拶記事を掲載した本ブログ「賀曽利隆 ON THE ROAD」(http://kasori.blog25.fc2.com/)は、その後、雑記含めて2,027記事を掲載して参りました。

その間、管理人による長期怠慢(←管理人の仕事やら子供やら=すみません全部言い訳です…orz)やメディア状況の変化などにより、断続的かつ長らくにわたり更新がストップしがちでした。この場を借りましてお詫び申し上げます。

さてこの度、世で言うhttps化や、その他のインターネット状況の変化に伴い、旧ブログの形式や設定では(あくまで我々のプロジェクトの設定上)、過去記事をアーカイブ的に運営をしていくにしても今後は難しいという判断に至りました。

よってこの度、新たに「賀曽利隆 STILL ON THE ROAD!」とちょっぴり改名し、70代に突入してもなお走り続ける賀曽利の生き様を伝える新ブログを作成しました。基本的に旧ブログの転載・ブラッシュアップといったところを中心にしつつ、折に触れてカソリさんに登場願いたいと思っています。

併せて、さすがに日本語のカソリ節を英語に翻訳したり、各地の地名や日本文化を注釈で入れて行くのは現実的ではないとしても、海外の方が「日本をバイクで走りたい、カソリを通じて日本のことをもっと知りたい!」と思われた場合を想定し(そうしたケースが出てくることを願い)、タイトルや主要な部分については英語化を進めていきます。少しでもワールドワイドに読者が広がるといいな、と思っています。

ということで、心機一転、進めてまいります。

引き続き、何卒よろしくお願い申し上げます!(管理人:うざきよ拝)

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カソリプロフィール、2017年更新(Profile in 2017)

フリーライター。1947年東京都中野区生まれ。

 

1968年より2年をかけて「アフリカ一周」したのを皮切りに、バイクで世界の6大陸を駆けめぐる。日本国内では8度の「日本一周」を成しとげ、「峠越え」と「温泉めぐり」を2大テーマにしている。現在までに1689峠を越え、1927湯(温泉地)に入った。

 

温泉ではそれとは別に、2006年から2007年にかけての「温泉めぐり日本一周」中に1年間で3063湯(温泉地)に入った(ギネス世界記録に認定)。

 

今までに世界の136ヵ国、152万キロを駆ける。1968年以降で旅した日数は7400日余。モットーは「生涯旅人!」。

 

October 21 ,2017

賀曽利隆プロフィール・2013年5月アップデート版 (Profile in May 2013)

賀曽利 隆(かそり たかし)

1947年、東京都中野区に生まれる。
1968年から2年間をかけてアフリカ大陸を一周したのを皮切りに、アジア、ヨーロッパ、オーストラリア、北アメリカ、南アメリカと、バイクで世界の6大陸を駆けめぐる。

 

1968年~69年、「アフリカ一周」
1971年~72年、「世界一周」
1973年~74年、「六大陸周遊」
1975年に結婚。
1977年~78年、「シベリア横断→サハラ縦断」(子連れ旅)
1978年、「30代編日本一周」
1980年、「キリマンジャロ」(バイクでの挑戦)
1982年、「パリ→ダカールラリー」(日本人ライダー初の参戦)
1984年~85年、「南米一周」
1987年~88年、「サハラ砂漠往復縦断」
1989年、「40代編日本一周」
1990年、「50ccバイク世界一周」
1992年~93年、「インドシナ一周」
1994年、「タクラマカン砂漠一周」
1996年、「オーストラリア2周7万2000キロ」
1997年、「モンゴル3000キロ」
1999年、「50代編日本一周」
1999年、「チベット・ラサ→カイラス往復」
2000年、「サハリン縦断」
2000年、「韓国一周」


2001年、「ソウル発の北朝鮮ツーリング」
2002年、「ユーラシア大陸横断」
2003年、「中国・北朝鮮国境走破行」
2004年、「中国・東北部走破行」(旧満州走破行)
2005年、「サハラ砂漠縦断」
2005年、「韓国縦断」
2006年、「シルクロ-ド横断」
2006年~07年、「300日3000湯」(ギネスの世界記録)
2007年~08年、「南米・アンデス縦断」
2008年~09年、「60代編日本一周」
2009年、「チベット横断」&「広州→上海」
2010年、「林道日本一周」
2011年、「環日本海ツーリング」
2012年、「ニュージランド南島」&「マダガスカル」

 

2013年1月1日現在までの日本&世界を旅した日数は6735日(約18年6ヵ月分)、バイクで走った距離は135万6830キロ(地球約34周分)、旅した国は135ヵ国になる。
モットーは「生涯旅人!」。神奈川県伊勢原市に在住。1男2女の父。

 

主な著書

「アフリカよ」(浪漫、1973年)
「極限の旅」(山と渓谷社、1973年)
「歩いて出会って六大陸」(NHK出版、1975年)
「貧乏ツーリングBIBLE!」(光文社、1986年)
「爆走! SAHARA」(講談社、1989年)
「50ccバイク日本一周2万キロ」(JTB、1990年)
「50ccバイク世界一周2万5千キロ」(JTB、1992年)
「バイクで駆けるインドシナ1万キロ」(JTB、1994年)
「海外ツーリング完全ガイド」(イーストプレス、1994年)
「地球食べある記」(三一書房、1996年)
「世界を駆けるゾ!20代編」(フィールド出版、1999年)
「世界を駆けるゾ! 30代編」(フィールド出版、2000年)
「日本一周バイク旅4万キロ上下巻」(昭文社、2000年)
「旅の鉄人・カソリの激走30年」(JTB)
「世界を駆けるゾ! 40代編・上下巻」(フィールド出版、2000年)
「バイクで駆ける韓国3000キロ」(JTB、2001年)
「50ccバイクで島の温泉日本一周」(小学館、2005年)
「300日3000湯めぐり日本一周・上下巻」(昭文社、2008年)
 

May 06, 2013

カソリ年表(プロフィール詳細版:Detailed Profile in 2008)

kasori_profilephoto_2007(2)

南米・ペルーのナスカにて 2007年12月6日


1947年、東京都中野区に生まれる。

1968年から2年間をかけてアフリカ大陸を一周したのを皮切りに、アジア、ヨーロッパ、オーストラリア、北アメリカ、南アメリカと、バイクで世界の6大陸を駆けめぐる。
1971年から72年にかけては「世界一周」。その途中では日本人としては初めてバイクでサハラ砂漠を縦断。
1973年から74年にかけては「六大陸周遊」。
1975年に結婚し、1977年から78年にかけては、子連れでの「シベリア横断→サハラ縦断」。
1978年、30代編「日本一周」。
1982年、日本人ライダーとしては初めて「パリ→ダカールラリー」に参戦。
1984年~85年、「南米一周」。
1987年~88年、「サハラ砂漠往復縦断」。
1989年、40代編「日本一周」。
1990年、50ccバイク「世界一周」。
1992年~93年、「インドシナ一周」。
1994年、「タクラマカン砂漠一周」。
1996年、「オーストラリア2周7万2000キロ」。
1997年、「モンゴル3000キロ」。
1999年、50代編の「日本一周」&「チベット横断」。
2000年、「サハリン縦断」&「韓国一周」。
2001年、ソウル発の「北朝鮮ツーリング」。
2002年、「ユーラシア大陸横断」。
2003年、「中国・北朝鮮国境走破行」。
2004年、「中国・ロシア国境走破行」。
2005年、「サハラ砂漠縦断」&「韓国縦断」。
2006年、「シルクロ-ド横断」。
2006年~07年、「300日3000湯」
2007年~08年、「南米・アンデス縦断」

神奈川県伊勢原市に在住 1男2女の父。「生涯旅人!」をモットーにしている。

 

June 05 ,2008

プロフィール:賀曽利隆(Profile in 2008)

kasori_profilephoto_2007


フリーライター、食文化研究家。
1947年東京都中野区生まれ。
1968年より2年間をかけて「アフリカ一周」したのを皮切りに、ヨーロッパ、アジア、オーストラリア、北アメリカ、南アメリカと世界の6大陸をバイクで駆けめぐる。
今までに世界133ヵ国、118万キロ以上を駆ける。モットーは「生涯旅人!」。
日本国内では「温泉めぐり」と「峠越え」が2大テーマ。温泉、峠を通して日本を見ようとしている。
2007年、前年からの「300日3000湯」(最終的には3063湯=ギネス記録認定)の旅を達成。

May 09 ,2008

管理人敬白。(Greeting from the Administrator)

今を去ること約11年半前、2008年5月2日に最初のご挨拶記事を掲載した旧ブログ「賀曽利隆 ON THE ROAD」http://kasori.blog25.fc2.com/ ⇒移植完了次第、左記ブログおよびURLは閉鎖する可能性あり)は、その後、雑記含めて2,027記事を掲載して参りました。

 

その間、管理人による長期怠慢(←管理人の仕事やら子供やら=すみません全部言い訳です…orz)やメディア状況の変化などにより、断続的かつ長らくにわたり更新がストップしがちでした。この場を借りましてお詫び申し上げます。

 

さてこの度、世で言うhttps化や、その他のインターネット状況の変化に伴い、旧ブログの形式や設定では(あくまで我々のプロジェクトの設定上)、過去記事をアーカイブ的に運営をしていくにしても今後は難しいという判断に至りました。

 

よってこの度、新たに「賀曽利隆 STILL ON THE ROAD!」とちょっぴり改名し、70代に突入してもなお走り続ける賀曽利の生き様を伝える新ブログを作成しました。基本的に旧ブログの転載・ブラッシュアップといったところを中心にしつつ、折に触れてカソリさんにもご登場願いたいと思っています。

 

併せて、さすがに日本語のカソリ節を英語に翻訳したり、各地の地名や日本文化を注釈で入れて行くのは現実的ではないとしても、海外の方が「日本をバイクで走りたい、カソリを通じて日本のことをもっと知りたい!」と思われた場合を想定し(そうしたケースが出てくることを願い)、タイトルや主要な部分については英語化を進めていきます。少しでもワールドワイドに読者が広がるといいな、と思っています。

 

ということで、心機一転、進めてまいります。

引き続き、何卒よろしくお願い申し上げます!(管理人:うざきよ拝)