賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

シルクロ-ド横断:第19回 トルファン→コルラ

 2006年9月7日9時、トルファンを出発。「吐魯番賓館」前のブドウ棚の道から目抜き通りに出、国道312号を西に行く。20キロほど走った一木一草もない砂漠の中に、「G312 4000」と表示された国道312号の「4000キロ」のキロポストがポツンと立っている。

 感動のシーン。ここが国道312号の起点の上海から4000キロの地点になる。「4000」という数字が中国大陸の大きさを感じさせた。

 そこからさらに国道312号を西に20キロほど走ると、国道314号との分岐点に出る。国道312号はそこから天山山脈の北側を通り、新疆ウイグル自治区の中心ウルムチを通り、中央アジアカザフスタン国境に至る。上海からカザフスタン国境まで4552キロ。国道312号は中国では上海からネパール国境に至る国道318号に次いで2番目に長い国道になっている。

 国道312号と国道314号の分岐点から我々は天山山脈南側の国道314号を行く。いわゆる「天山南路」だ。それに対して天山山脈の北側を行く国道312号は「天山北路」になる。「シルクロード」に憧れ、「シルクロード」の本を読みふけったぼくだが、必ず出てくるのは「天山北路」と「天山南路」。

「その分岐点を今、通過した!」

 スズキDR-Z400Sを走らせながら、「今、自分はまさにシルクロードの核心部にいる!」といった熱い気分にひたるのだった。

「天山南路」の国道314号を行く。

 ひと筋の舗装路が砂漠の中に一直線に延びている。前方には天山山脈の山並みが連なっている。山々の姿は次第にはっきりとしてくる。天山山脈が南に大きく張り出したところで、カーブの連続する峠道を登っていく。日本の峠とは違って峠の造りが大きいとでもいおうか、小刻みなカーブではなく、大きくゆるく曲がるカーブが連続する。

 日本で山といえば緑だが、砂漠の山にはまったく緑はなく、岩肌がむき出しの褐色の世界だ。ここでは日本の「山は緑」という常識はまったく通用しない。

 天山山脈の峠を下った烏蘭の町で昼食。調理場での麺づくりを見せてもらう。こねた小麦粉をいったん渦巻き状にして麺にしていく。いつもの光景だが、じつに鮮やかな手さばきだ。それも麺づくり何年といった年配者ではなく、まだあどけなさの残る少年がつくっている。ゆであげた麺は汁なしで、上にごそっと具をかけて食べる。

 トルファンから394キロ走り、17時、コルラに到着。砂漠の中に忽然と現れたような都市。中心街には高層ビルが建ち並んでいる。我々の宿は目抜き通りに面した「凱徳大酒店」。高層ビルのホテルだ。部屋に荷物を置き、シャワーを浴びるとすぐに町に飛び出していく。バイクを降りたあとの、この町歩きが楽しいのだ。といってもコルラは比較的、新しい町なので、面白味に欠けるところはあるが…。

 メンバー全員でのレストランでの夕食を食べおえると、今度は夜の町を歩く。中心街の広場には露店がずらりと並んでいる。袖を引っ張られるままに露店で羊肉を食べながら、「白酒」を飲んだ。コーリャンからつくる蒸留酒でかなり強い。

「白酒」を飲みながら1994年の「タクラマカン砂漠一周」を思い返した。

 あのときは崑崙山脈北麓のホータンからチェルチェン、チャリクリクというオアシスを通り、タクラマカン砂漠東端を縦断してコルラを目指した。前方に天山山脈の山並みが見え、街明かりの灯りはじめたコルラが見えてきたときは、「もう、これで大丈夫!」だと、大きな難関を突破した喜びにひたった。天山山脈から流れ出る孔雀河の豊かな水量にも驚かされた。そんなコルラからトルファンを通り、ウルムチに向かったのだ。あのときのコルラの街明かりは、異様なほどの鮮明さでぼくの脳裏に残っている。

 なつかしのコルラ…。

国道312号の「4000キロ」地点
国道312号の「4000キロ」地点

天山山脈の峠で小休止
天山山脈の峠で小休止

烏蘭の町並み
烏蘭の町並み

コルラの夜市。露店が並ぶ
コルラの夜市。露店が並ぶ