賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

2013-01-01から1年間の記事一覧

「南米・アンデス縦断」(40)

12月26日。ビーニャ・デル・マルの「ホテル・キャンタマール」の朝食を食べ、9時に出発。チリの首都サンチャゴ外港のバルパライソへ。その間は10キロほど。30分もかからずに着いた。メンバー全員のバイクを駐車場に止め、各自、自由行動での町歩き…

「南米・アンデス縦断」(39)

12月25日。夜明けのラ・セレナの町を歩く。コピアポと同じように、ここでも朝は濃い霧に覆われている。これも寒流のフンボルト海流の影響か。 「セレナ」はスペイン語で「静か」の意味で、ラ・セレナは名前通りの静かな落ち着いた町。緑も多い。このラ・…

「南米・アンデス縦断」(38)

12月24日7時、コピアポの「ホステリア・ラスピルカス」の朝食。ジュース、パンとハム、チーズ、フルーツポンチを食べ、コーヒーを飲んで出発だ。 国道5号を南へ。朝のうちは冷たい霧がたちこめていた。霧が切れると青空が広がった。アタカマ砂漠は終わ…

「南米・アンデス縦断」(37)

12月23日。「ホステリア・チャニャラル」の朝食を食べ、チリ太平洋岸の町、チャニャラルを出発。パンアメリカンハイウエイの国道5号を南下する。1時間ほど走ったところで太平洋の海岸で止まり、ここで我々はしばらく海と戯れた。ここではまだ砂漠と海…

「南米・アンデス縦断」(36)

12月22日6時、起床。まだ暗いアントファガスタの中心街を歩く。コロン広場の周辺には歴史的な建造物が建ち並んでいる。アントファガスタは北部チリ最大の都市。19世紀半ばの移住以来、この町は内陸部の硝石や銅、銀などの鉱物資源の積み出し港として…

「南米・アンデス縦断」(35)

12月21日。今日の目的地は太平洋岸の港町、アントファガスタ。200キロほどの距離なので朝はゆっくり。7時に起き、カラマの町をプラプラ歩いた。アタカマ砂漠のオアシスのカラマだが、町を歩いている限りでは砂漠を感じさせるものはない。この町の近…

「南米・アンデス縦断」(34)

雨期の水の溜まったウユニ塩湖を走り、ウユニの町に戻った。 今度はウユニ塩湖の南のルートでチリ国境に向かう。ウユニの町を出ると二又の分岐。そこには右サンクリストバル91キロ、左アトチャ101キロの道標が立っている。この分岐を右へ、サンクリスト…

「南米・アンデス縦断」(33)

12月20日。「ホテル・ジラソレス」の朝食を食べると、ウユニ塩湖経由の道でチリ国境に向かう。ウユニの町を出て20キロほど走ると、一面の塩原のウユニ塩湖に入っていく。長さ120キロ、幅140キロという大塩湖は、見渡す限りの塩原だ。 乾期だと塩…

「南米・アンデス縦断」(32)

12月19日。6時に起きると、早朝のオルロの町を歩く。町はきれいに掃き清められている。天気は晴れ。すがすがしい高原の空気を吸って1時間ほど歩いた。 「ホテル・スクレ」に戻ると朝食。パンとチーズ、ジュース、フルーツの朝食を食べ、、オルロを出発…

「南米・アンデス縦断」(31)

ラパスとオウロの中間点のパタカマヨの町を出発。アンデス高地を一直線に貫く国道1号を南下する。左手には東山脈の山々、右手にはゆるやかな茶褐色の山並みが連なっている。右手の茶褐色の山並みの向こうがアンデス山脈の主脈になる。三角形をした目立つ雪…

「南米・アンデス縦断」(30)

12月17日。夜が明けると、早朝のラパスを歩く。サンフランシスコ寺院からメルカド(市場)へ。メルカドの門はまだ閉まっていたが、路上ではコカの葉や薬草、チューニョ(凍みジャガイモ)、チーズ、川魚などが売られていた。ペルーのリマからのものだと…

「南米・アンデス縦断」(28)

2007年12月16日。チチカカ湖畔の町、プーノの「タイピカラ・ホテル」の朝食を食べ、8時30分に出発。ボリビアの首都ラパスに向かう。 チチカカ湖畔のフリやポマタの町を通り、プーノから140キロほど走ったところでペルーとボリビアの国境に到着…

「南米・アンデス縦断」(27)

標高3855メートルのチチカカ湖畔の町プーノは、インカ帝国の創始者マンコ・カパックの天孫降臨の地として知られている。クスコよりもはるかに高地なのだが、琵琶湖の12倍もの大湖、チチカカ湖が広がっているので、それほど高い所にいるという感じはし…

「南米・アンデス縦断」(26)

標高4312メートルのラヤ峠ではバイクを止めて昼食にする。我々はすでに4000メートル台の世界には慣れているので、それほどの息苦しいさは感じない。パンとチーズ、ハム、それとパイナップルジュースという簡単なものだが、アンデスの4000メート…

「南米・アンデス縦断」(25)

2007年12月14日。いよいよクスコの町を離れる日がやってきた。 6時、「ムナワシ・イン」の朝食。パパイア、オレンジ、パイナップルのジュースを飲み、メロン、マンゴー、パパイア、パイナップル、スイカ、バナナのフルーツとシリアル、アンデスパン…

「南米・アンデス縦断」(24)

ウルバンバ川沿いの「インカの聖なる谷」からクスコに戻ると、クスコを歩いた。 これが最後のクスコだ。 まずはアルマス広場。スペイン時代以降のクスコの中心だが、インカ時代も帝国の首都クスコの中心になっていた。アルマス広場に面して建つカテドラル(…

「南米・アンデス縦断」(23)

ウルバンバ川沿いの「インカの聖なる谷」めぐりの第3弾目はウルバンバ。この町はウルバンバ河谷の中心地になっている。 カルカから乗合バスに乗ってウルバンバへ。その間は20キロ、料金は1ソル(約40円)だ。バスは40分ほどでウルバンバに着いた。 …

「南米・アンデス縦断」(22)

ウルバンバ川沿いの「インカの聖なる谷」めぐりの第2弾目はカルカの町だ。 ピサックから乗合バスに乗っていく。料金は1ソル(約40円)。満員のマイクロバスはウルバンバ川沿いに走り、30分ほどでカルカに着いた。ピサックからカルカまでは18キロ。 …

「南米・アンデス縦断」(21)

マチュピチュからクスコに戻った翌日は自由行動。各人が思い思いのプランでクスコをまわった。 ぼくはといえば、クスコを拠点にしてバスを乗り継ぎ、ウルバンバ川沿いの「インカの聖なる谷(ウルバンバの谷)」の町をめぐることにした。 「ムナワシ・イン」…

「南米・アンデス縦断」(20)

クスコの中心、アルマス広場に近い「KINTARO」食堂で昼食を食べると、午後は市場を歩いた。 果物市場ではパパイアやバナナ、ブドウ、マンゴー、リンゴ、オレンジ、イチゴなどが売られていた。 ジャガイモ売り場が壮観だ。さすが原産地、何種類ものジ…

「南米・アンデス縦断」(19)

オリャンタイタンボの「ホテル・パカリタンプ」の朝食。アンデスパンにハムとバター、それとスクランブルエッグにソーセージ、揚げバナナ。最初にフルーツジュースを飲み、コーンフレークを食べ、それからメインの朝食を食べた。 ここのアンデスパンはオリャ…

「南米・アンデス縦断」(18)

オリャンタイタンボの「ホテル・パカリタンプ」に戻ってきた。 まずはホテルの中庭に停めてあった相棒のスズキDR-Z400Sを見る。エンジンをかけてみる。大丈夫。まったく問題なし。安心したところで、快適なホテルのベッドでひと眠りした。 昼寝から…

「南米・アンデス縦断」(17)

アグアカリエンテの「インカイン」の朝食。フレンチトーストとスクランブルエッグ、ソーセージ、チーズ、ハム。それとフルーツとフルーツジュース。そのほかに「アンデスパン」がついた。 ウルバンバ川沿いの「インカの聖なる谷」の町々には、町ごとの名物パ…

「南米・アンデス縦断」(16)

アマゾン本流のウルバンバ川沿いの町、キリャバンバはすごいところだ。 ペルーの地図を見れば、一目でわかることだが、道はここで尽きる。 キリャバンバより北の広大なアマゾンの低地には、川沿いに道はない。それはブラジルに入っても同じで、やはり川沿い…

「南米・アンデス縦断」(15)

マチュピチュ遺跡を歩いた翌日は、メンバー各自の自由行動。何人かの人たちは「もう1日かけてまわりたい!」といってマチュピチュ遺跡に戻っていった。 ぼくはといえば、「ウルバンバ川沿いに行けるところまで行きたい!」ということで、やはり何人かの人た…

「南米・アンデス縦断」(14)

マチュピチュ遺跡からアグアカリエンテに下ると、ちょうどクスコ行きの列車が発車するところだった。列車が発車するまで見ていた。クスコまでは114キロ。4時間半、かかるという。 それにしてもなつかしい。 1984年から85年にかけての「南米一周」…

「南米・アンデス縦断」(13)

マチュピチュ遺跡を歩き始める。 山上の遺跡をとり囲む山々は、まるでカミソリの刃でそぎ落としたかのように、垂直に切り立っている。 マチュピチュは険しい山々と、目のくらむような深い谷に囲まれた、まさに天然の要害の地。そのため侵攻してきたスペイン…

「南米・アンデス縦断」(12)

オリャンタイタンボの「ホテル・パカリタンプ」の朝食。スクランブルエッグとソーセージに茹でたユカイモ(キャッサバ)がついている。それとコーンフレークにパン、チーズ、ハム。ジュースはオレンジ、パパイア、パイナップルと飲み放題だ。 7時05分発の…

「南米・アンデス縦断」(11)

「インカの都」クスコを1日かけてまわった翌日、マチュピチュに向けて出発。高原の道を走り、峠に到達。峠の露店ではカラフルな帽子やバッグ、布なのどが売られていた。峠周辺の畑ではジャガイモの植え付けが行われていた。 峠を下っていくと、やがてウルバ…

「南米・アンデス縦断」(10)

クスコを一望する展望台から中心街に戻ってきた。 さすがペルーで一番の観光都市だけあって、目抜き通りには土産物店が並び、ペルー内外からの旅行者が目立った。 まずはプラサ・アルマス(アルマス広場)へ。ここはインカ時代からの町の中心。スペイン時代…