(13)「アフリカ一周」(1968年~1969年)の「村松千恵子さん」
モザンビークのロレンソマルケス(現マプト)を出発点に、アフリカ大陸を北上。エチオピアの首都アディスアベバでは日本人画伯の水野富美夫先生にずいぶんとお世話になり、先生のお宅で何日か、泊めてもらった。
その間、何冊もの本を読ませてもらったが、強烈な印象を受けた本が1冊、あった。金子光晴の詩集で、その中の「漂泊の歌」に、ぼくの目は吸い寄せられた。
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ほこりにまみれた地球儀をまわせばわが夢も、
ともに世界の国々をめぐる。
そこに住む人間どもと、民族と、
異なる国籍を越えてながれるコスモスの息吹。
時のながれと物質を貫く一すぢの悲しみ。
世に年たけて猶、夢多いのが悲運。
徳をおこたり、なりはひのすべてをしらず。
みちたることもなく、女たちの腕もすりぬけて、
ただひたすらに胸をおどらせた。---旅へのいざなひ。
(中略)
あこがれをいだくおろかさと、夢をみる貪欲のために、
きえゆく蜃気楼を追うて、私の心はむなしく、
身のまわりにはつねに一物もなく、
あわれ、この青春も暮れてゆくに、
さまようほかのことをしらぬこの私は、公園の木柵に添い、
屋上の展望に立ち、もとめて得なかった幸いを落日によびかける。
傲よ、恋よ、すべて二十代の夢よ。
(中略)
一生の労役の所得、わりあてられた福分を、
むしろ、この一瞬に賭けてしまおうではないか。
うらぶれたこの部屋のなかを、満艦飾りのようにかざりわたそうか。
あとじさっていく生のはなやかさよ。
そして夜ともなれば、萎えゆく花々に顔をうずめ、
二十九歳のすぎゆく脈拍を耳に敷いて、
私は遠い、遠い劇場からの、たえてはつづくメロディーをきく。
ああ、この焼けるような焦燥は何か…。
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ぼくは「漂泊の歌」を何度も読み返し、それをノートに書き写した。
水野先生の持っている自由な雰囲気に魅かれ、旅行者の村松千恵子さんが何度となく、水野先生宅にやってきた。村松さんは小柄なチャーミングな女性で、愛くるしい目の動きが小リスのそれを思わせた。村松さんはすっかりエチオピアが気に入り、アディスアベバにはすでにかなり長期の滞在をしていた。
ある夜、水野先生に連れられて、バーに行った。村松さんも一緒だった。
ウィスキーの水割りを飲みながら、ぼくは村松さんと話した。何を話したのかよくおぼえていないが、とにかく夢中になって話した。ウィスキーの酔いもあったのだろう、話しながら、村松さんの宝石のような目の輝きに心を奪われた。ミニスカートから伸びる白い足に目がいくたびに、やるせないほど心がかき乱された。
水野先生宅には1週間泊めてもらい、エチオピア北部のアスマラに向かっていったが、村松千恵子さんとの別れには辛いものがあった…。