賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

カソリ本「一章瓶」

六大陸周遊1973-74 [完全版] 027

泥沼地獄に突っ込んだ 翌日は夜明けとともに出発。雲ひとつない快晴で、朝日が草原を赤く染めた。単調な風景の連続に、疲れがたまり、思わずウトウトしてしまう。そこでブラドとは途中、何度か運転をかわった。ブラドは100ドルで買った車が予想以上に走る…

『極限の旅』(山と渓谷社、1973年)その8

五十二人乗りの飛行機は、ベンガル湾上のモンスーン期の厚い雨雲の中を飛ぶので、グラグラと大揺れに揺れた。デンマーク人一家の五人、アメリカ人四人、インド人二人、それと私。機内はガラガラである。皆、あまりの揺れのひどさに真っ青である。十字をきる…

『極限の旅』(山と渓谷社、1973年)その7

大洪水 八輌の客車を引張るジーゼルカー、マンダレー行き急行列車はモンスーン期の、ビルマの穀倉地帯をひた走りに走る。一面に水をかぶった水田がどこまでも続き、田植、稲刈りをする女たち、牛を使って田を耕す男たち、かけ声をかけながら水牛を追う少年、…

『極限の旅』(山と渓谷社、1973年)その6

日が沈みかかると、アスラムさんは「もうすぐベラだよ」と言った。やれやれと思わず安堵の胸をなでおろした。すっかり日が暮れ、あたりが暗くなったころ、バスはポラリ河畔に出た。上流で雨が降ったとみえ、かなりの水量。バスは川を越えることができず、ア…

『極限の旅』(山と渓谷社、1973年)その5

クウェッタからまる二日、クズダールに着くと、大きな市でもあるのだろうか、周辺のステップや砂漠からやってきたラクダに乗った遊牧門がたくさん集まっていた。 話に聞いたとおり、ここからベラまでが実にたいへん。まずバスの便がおそろしく悪いのだ。 「…

『極限の旅』(山と渓谷社、1973年)その4

夜が明ける。目をさますと汽車はインダス川流域の平原から、スレイマン山脈の岩山地帯に入っていた。山々に緑はほとんど見られない。前の日の暑さがまるでうそのようにひんやりとしていた。汽車は苦しそうに汽笛を鳴らし、涸れたボラン川に沿ってゆっくり、…

『極限の旅』(山と渓谷社、1973年)その3

インダス川西岸のドクリ村から、馬車に揺られ三十分ほどで、インダス文明発祥の地、モヘンジョダロ遺跡に着く。強い日ざしに悩まされながら、不気味に静まり返った「死の町」を歩きまわった。 よく整備された街路や下水溝、いくつもある井戸の跡や公衆浴場、…

『極限の旅』(山と渓谷社、1973年)その2

日本郵船のカラチ代理店に問い合わせると、長良丸の入港は予定よりもだいぶ遅れ、九月上旬になるという。ガッカリしたが、そうとわかればカラチなどにいることはできない。私にとって、都市ほど無味乾燥なところはないからだ。さっそく地面いっぱいに地図を…

『極限の旅』(山と渓谷社、1973年)その1

『極限の旅』賀曽利隆(山と渓谷社、1973年)「現代の旅」シリーズ 第一章 下痢と事故と神様と(アジア)Rangoon→Jiddah 長良丸は遅れる この前の旅は、一九六八年四月に出て、翌年十二月までの約二十ヵ月間、オートバイでアフリカを一周し、アフリカ三十四…

『旅の鉄人カソリの激走30年』JTB

第1章 西アフリカ横断 満身創痍だが愛車は快調! 「タカシ! 早く来て、ほら、ベルデ岬よ」 レズリーの弾んだ声に、ぼくはデッキにかけ寄った。真っ青な大西洋の大海原のその向こうに、アフリカ大陸最西端のベルデ岬が見えてきた。オーストラリアのブリスベ…

『世界を駆けるゾ! 40代編・下巻

第1章 目指せ、エアーズロック! 「道祖神」の菊地優さんとの出会い 20歳のときに250・バイクのスズキTC250で「アフリカ一周」して以来、20代、30代と単独行のバイクツーリングを繰り返してきたぼくだったが、40代以降になって大きく変わっ…

『世界を駆けるゾ! 40代編・上巻

第1章 サハラ往復縦断 40歳を目前にして急速の衰えた体力と気力 「世界を駆けるゾ!」を合言葉に、20歳のときに旅立った「アフリカ一周」以来、バイクで世界の6大陸をまわりつづけてきたぼくだったが、30代の後半になったころから急速の体力の衰えと…

『世界を駆けるゾ! 30代編』フィールド出版

第1章 赤ん坊連れのサハラ縦断 熱病にかかって、カソリ、結婚! ヒッチハイクとオートバイを織りまぜ、15ヵ月間で世界六大陸13万キロを駆けまわった「六大陸周遊」の旅から帰ってまもなく結婚した。27歳の春のことだった。 結婚し、家庭を持つなんて…

『世界を駆けるゾ! 20代編』フィールド出版

第1章 アフリカに行きたい! 17歳の夏の日 ぼくが初めて世界に飛び出そうと思ったのは、ある日、突然のことだった。 1965年(昭和40年)、17歳の高校3年の夏休みに、親友の前野幹夫君、横山久夫君、新田泰久君らと、 「おもいっきり、泳ごうゼ」…

『アフリカよ』(1973年7月31日・浪漫)第一章(その7)

別れ 夕方、ルイス離岸。そうしていよいよロレンソマルケスヘ。ぼくたちの目的地は近い。海路の終りを二日後にひかえた演芸会は、忘れることができない。演芸会とは、台湾、韓国、沖縄、ブラジル、日本の各グループにわかれ、それぞれいろいろな芸を披露する…

『アフリカよ』(1973年7月31日・浪漫)第一章(その6)

南シナ海をこえて 北回帰線を越え南シナ海に入り、船は香港にむかう。水平線のむこうに、かすかに中国大陸が見える。漁をしているのであろう、独特の帆をつけた小舟がたくさん見える。 昼食を知らせる鐘の音で目をさます。船は香港に近づいていた。九竜(ク…

『アフリカよ』(1973年7月31日・浪漫)第一章(その5)

ルイス号の人びと 還らぬ旅 船は日本の南岸ぞいに西行している。乗客は約一〇〇人のブラジルヘ移民する台湾の人たち。日本で一年間の農業実習を受けた四人の日系ブラジル人、南米を旅しようとしている五人の日本人学生、それに、モザンビークで下船するぼく…

『アフリカよ』(1973年7月31日・浪漫)第一章(その4)

準備はできた しかし計画というものはそういうものだろう。いつまでも気をおとしてばかりはいられない。秋が深まるにつれて準備は急ピッチで進んでいく。問題点が、いくつかあった。船や外貨、オートバイ、カルネ(オートバイの無税通関手帳)などである。船…

『アフリカよ』(1973年7月31日・浪漫)第一章(その3)

大学はやめだ 入試の結果はさんざん。前野は受かっていたが、Yとぼくは落っこち。ぼくたちの“アフリカ計画”は大きな試練に立たされる。ぼくはこの計画を別にしても、絶対に浪人したくはなかった。浪人したくなかったばっかりに、成績がびりっかすになってし…

『アフリカよ』(1973年7月31日・浪漫)第一章(その2)

アフリカヘ行こう 夏だった。ぼくたちは海にむかっていた。同級の前野幹夫とYとNと、食料やテントをかついで出かけるのは毎年のことだったが、そのときは違っていた。「大学受険」という重しが誰の上にものしかかっていて、その話題を避けようとするかのよ…

『アフリカよ』(1973年7月31日・浪漫)第一章(その1)

1 わからない明日を求めて 出発まで 岸壁を離れた 雨はやんでいた。 ひくく垂れた雲、重い汐風、黒いオランダ移民船の舷側。紙テープと叫び声。船は動くともなく岸壁との間に水をおき、ひろげてゆく。肉親と友だちはすでに陸の上にいる黒い影、どんどん引き…