(14)「アフリカ一周」(1968年~1969年)のレズリー
「タカシ! 早く来て、ほら、ベルデ岬よ」
レズリーの弾んだ声に、ぼくはデッキにかけ寄った。
真っ青な大西洋の大海原のその向こうに、アフリカ大陸最西端のベルデ岬が見えてきた。オーストラリアのブリスベーンで生まれ育ち、イギリスの大学で学んでいるレズリーにとって、アフリカはまさに未知の大陸。彼女はダカールの大学での夏期講習を受けるために、西アフリカの、ここ、セネガルまでやって来た。
ぼくはといえば、モロッコからサハラ砂漠を越えるつもりだったが、その自信がなく、カサブランカでフランスのマルセイユから来たフランス船にバイクともども乗り込み、ダカールに向かったのだった。
ダカールから西アフリカを南下して、一路ケープタウンまで、約2万キロを走破する計画。次第に大きくなる緑色のベルデ岬を目の前にして、ぼくの胸は高鳴なった。
「ダカールの町はあの岬の先端ね」
ふり仰いだレズリーの明るいブルーの瞳がまぶしかった。
モロッコのカサブランカ港で知り合ってから4日間、彼女のおかげで本当に楽しい船旅になった。4日間というもの、ずっとレズリーと一緒だった。しかし、その船旅も、もう終わろうとしている。船と速さを競う、すっかりお馴染みになったイルカの群れに目をやりながら、ぼくたちは海を見つづけた。
奴隷の積み出し地として知られたゴレ島のわきを通り、3万トンの真っ白なフランスの客船はダカール港に接岸。
船倉からバイクが下ろされる。1年間、文字通りぼくの足となって苦楽をともにしたスズキTC250は、すでに満身創痍。それでもスイッチを入れ、思い切りキックすると、小気味よいエンジン音をあたりに響かせた。
入国手続きは至極あっさりしたもので、フリーパス同然。
「グッド・ラック、タカシ! がんばって‥‥」
「ありがとう、レズリー。君もね!」
ダカール港の岸壁でレズリーに見送られて走りだし、雨期の西アフリカの荒野へと突入していった。泥沼との大格闘の末に力つきて、大の字になってひっくりかえったとき、目に浮かんでくるのはレズリーの笑顔ばかりだった…。