賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

カソリの峠越え(2) 九州編(その2):背振山地の峠 (Crossing Ridges in Japan: Kyushu Region)

 (『月刊オートバイ』1996年7月号所収)

 

 九州の峠越えの第2弾は背振山地の峠だ。

 背振山地というのは、福岡県と佐賀県の県境に連なる山地。最高峰は標高1055メートルの背振山。

 

 福岡を出発点にし、この背振山地の坂本峠、三瀬峠、長野峠といった峠を北から南へ、南から北へと越えていった。背振山の山頂にも立った。

 

 背振山の南側には、邪馬台国の世界を彷彿とさせる吉野ヶ里遺跡がある。古代史への興味を猛烈にかきたてられるロマンの世界でもあるのだ。

 

 

福岡を抜け出る難しさ

 前回の北九州の峠越えを終えたあと、福岡の市街地(南区)にある博多温泉の「清水苑」に1晩、泊まったが、気持ちよく宿泊できる宿だった。夜は、「オートバイが盗まれたら大変だから」と、峠越えの相棒スズキDJEBEL200を玄関の中まで入れてくれた。そんな心遣いがうれしいではないか。なにしろ、我々、ツーリング・ライダーにとっては、オートバイがすべてなのだから‥‥。

 

 宿から眺める夜明けの風景がよかった。福岡の町並みの向こうに背振山地の山々が紫色になって連なり、その上空にはぽっかりと半月が浮かんでいた。

 

 1995年12月11日。朝湯に入り、朝食を食べ、7時半、博多温泉を出発。まず、JR博多駅前まで行く。ここからR385で坂本峠に向かっていく。

 

 ところが、このR385で福岡の市街地を抜け出るまでが大変。鹿児島本線のガードをくぐり抜けたところで左折しなくてはならなかったのだが、標識に気がつかずに直進。しばらく走ってから気がつき戻った。

 

 つづいて、大きな交差点で右折しなくてはならなかったのに直進してしまい、またしても戻る。えらい時間のロスだ。

 このR385は信号のたびに右に曲がったり、左に曲がったり‥‥。

「いったい、誰だ、こんなルートにしたのは」

 

 頭にきたゾ。このルートにした役人に、この道を走らせてみればいいのだ。「ちゃんと福岡を出られるかどうか、やってみろよ」といいたくなる。

 

 無事に福岡の市街地を出て、まっ正面に連なる背振山地の山々に向かって走り出したときは、心底、ホッとした。

 

 

第1番目の坂本峠

 背振山地に向かって、DJEBELのアクセルを開き、一気に向かっていくときの気分は最高。福岡の市街地を抜け出るのに、さんざん苦労したので、よけいにうれしくなってくる。

 

 背振山地の山中に入るとR385の道幅は狭くなり交通量もガクッと減る。曲がりくねった峠道を登りつめ、福岡・佐賀県境の坂本峠に到着。背振山地の第1番目の峠だ。

 

 峠にDJEBELを止める。深呼吸。峠の空気を大きく吸い込む。

 峠はシーンと静まりかえっている。通る車もほとんどない。これが、福岡市内と同じR385なのかと、妙な感動をしてしまうほどだった。

 

 佐賀県側に入り、坂本峠を下っていく。下るにつれて、杉の樹林の間から、佐賀平野が見えてきた。それはドバーッという感じの見え方で、大平野が茫々と広がっている。

 

 突然、曲がりくねった、道幅の狭い峠道から、2車線の新道に出た。新しい道の工事が進行中。きっと、峠をトンネルで抜けるのだろう。それが完成した暁には、坂本峠越えのR385も、ずいぶんと変わることだろう。

 

 背振山地から佐賀平野に降り立つ。これが、峠越えのおもしろさ。峠を越えると、ガラリと世界が変わるのだ。はてしなく広い佐賀平野の中に、R385は一直線に延びている。そして九州の幹線ルートのひとつR34に出た。

 

 

おー、吉野ヶ里遺跡!

 R385とR34の交差点からほんのわずかな距離を行ったところに、あの吉野ヶ里遺跡がある。

「ついに、邪馬台国を発見か!?」

 で、日本中が大騒ぎとなった弥生期の大遺跡。

 

 ぼくにとっては久しぶりの吉野ヶ里遺跡再訪だが、すっかり遺跡公園としての顔を整え、物見やぐらや竪穴式住居、高床式倉庫などが復元されていた。

 

 吉野ヶ里遺跡は現在、国営吉野ヶ里歴史公園になっている。国営の歴史公園といったら、ほかには、奈良県の飛鳥歴史公園があるだけ。それだけでも、吉野ヶ里遺跡のすごさがわかるというもの。40ヘクタールに及ぶ壮大な規模の環濠集落(周囲に濠をめぐらせた集落。防衛の意味もある)と墳丘墓はほかに例を見ない巨大なものだ。

 

 吉野ヶ里遺跡を歩きながら、夢は邪馬台国に飛んでいく。女王、卑弥呼の統治した邪馬台国は、日本の古代史、最大の謎。邪馬台国が、いったい、どこにあったのか‥‥。それは、まさに、歴史のロマン。

 

 邪馬台国を解く鍵は「魏志倭人伝」の1985文字の邪馬台国の記述。それをもとに多くの人たちが九州説、幾内説を唱えてきた。

 ぼくは九州説に肩をもっているのだが、吉野ヶ里の大遺跡を歩きまわっていると、邪馬台国九州説がよけいに説得力を持ってくる。

 

 

背振山頂に立つ!

 吉野ヶ里遺跡を出発。R385で坂本峠の方向に戻り、峠下の坂本で県道46号に入り、野ノ峠へ。谷沿いに集落がつづき、峠の近くまで棚田があった。

 

 ゆるやかな野ノ峠を越える。峠道を下ったところで右折し、今度は県道305に入り、背振山地の最高峰の背振山に向かっていく。山麓には、由緒ありげな背振山神社。DJEBELを止め、参拝。

 

 背振山に向かって登るにつれ、気温がガクッと下がる。季節は冬。それも、スコーンと抜けたような青空なので、よけいに気温が低い。「おー、寒い」と、震えながらDJEBELに乗る。

 

 背振山の山頂に近づくと雪道になる。日陰のコーナーはアイスバーン。

 背振山の山頂周辺は航空自衛隊のレーダー基地になっている。行き止まり地点の駐車場にDJEBELをと止め、歩いて山頂へ。航空自衛隊のフェンスのわきの石段を登っていく。300メートルほど歩くと、標高1055メートルの背振山頂。そこには背振神社上宮の祠がある。山頂周辺の航空自衛隊の近代的な通信施設と背振神社の祠のアンバランスな取り合わせがおもしろい。

 

 背振山頂からの眺望は抜群。はるか遠くに福岡の市街地を見下ろす。その向こうには玄海灘が霞んで見える。

 背振山から福岡県側に下っていく道は、ダートの雪道。佐賀県側よりも、はるかに多い雪‥‥。転倒しないように、ゆっくりと下っていく。下るにつれて雪は消えていった。この道はダートとはいっても路面の状態はよく、乗用車でも楽に走れる。

 

 5キロのダートを走り、舗装路に変わると、やがてT字路にぶつかる。そこが板屋の集落。左折し、板屋峠をのぼっていく。鋭いコーナーの連続。それぞれのカーブには、番号がついている。

 

 板屋峠を越えたところには、1軒宿の椎原温泉があった。ちょっと、ひと風呂と思ったが、残念ながら、入浴のみは不可。そのまま峠道を下り、R263に出た。田園地帯の向こうに連なる背振の山々が、目に残るのだった。

 

 

昔も今も幹線の三瀬峠

 R263で三瀬峠に向かう。背振山地の峠越えルートの中では、一番の幹線。福岡と佐賀を結んでいるので交通量も多い。峠は有料の三瀬トンネルで貫かれているが、新道には入らず、旧道で峠を登っていく。旧道もけっこう車が通る。

 

 三瀬峠は福岡・佐賀県境の峠で、標高583メートル。峠をわずかに下ったところに、“峠の茶屋”があり、そこで食べた“峠のうどん”はうまかった。

 

 三瀬峠は昔も今も、福岡と佐賀を結ぶ重要な峠。古くは福岡の黒田藩と佐賀の鍋島藩の境で、関所が置かれた。その跡は今でも「御番所」と呼ばれているが、その近くの「耳通地蔵」に耳の遠い人が参拝すると、峠を吹き抜けていく風のように耳の通りもよくなり、耳がよく聞こえるようになるのだという。なんとも、おもしろい話ではないか。三瀬峠にまつわる民間信仰といったところだ。

 

 三瀬峠を下ると、三瀬村の中心地に出る。そこからもうひとつ、向合観音峠を越える。その峠名からすると、向合観音という観音が峠近くにあるに違いない。

 

 三瀬峠の「耳通地蔵」といい、向合観音峠の「向合観音」といい、峠と地蔵や観音は、切っても切れない関係にある。地蔵峠や観音峠は、日本各地にある峠名なのである。

 

 向合観音峠を下っていくと、嘉瀬川の渓谷、川上峡に出る。渓谷を抜け出たあたりに川上峡温泉。ちょうど、背振山地と佐賀平野の境目だ。長崎道のICを過ぎると広々とした佐賀平野に入り、R34を突っ切り、佐賀県の県庁所在地の佐賀の町に着く。佐賀は県庁所在地とはいっても、こぢんまりとした町だ。

 

 

背振山麓の温泉めぐり

 鍋島藩35万5000石の城下町、佐賀では、濠の残る佐賀城跡を見て出発。R263で川上峡温泉まで戻り、温泉ホテル「龍登園」(入浴料500円)の湯につかる。無色透明の湯。昼下がりの時間帯で、ほかに入浴客もいないので、大浴場を自分一人で独占した。 川上峡温泉からR352に入り、観音峠に向かう。嘉瀬川の渓谷、川上峡を眺めながらのリバーサイドランは気分がいい。

 

 川上峡を抜け出たところで、第2湯目、熊ノ川温泉の「熊ノ川浴場」(入浴料700円)の湯に入る。

 この共同浴場の700円という入浴料は入浴後の休憩料も含んでいるのだが、午後3時を過ぎると500円になり、5時を過ぎると300円になる。もう30分待つと500円で入れたのだが、「まあ、いいか‥‥」ということで、700円で入浴したのだ。こういうのって、なんとなく損をしたような気分になる。

 

 つづいて第3湯目の古湯温泉。ここでは「古湯温泉センター」(入浴料250円)の湯に入る。湯船につかっていると、

「あのー、カソリさんですよね?」

 と、声を掛けられた。ツーリングの途中で古湯温泉に立ち寄った福岡歯科大学の林道同好会のみなさん。NSRに乗る岡田道男さんとBROSに乗る劉文憲さん、セローに乗る一瀬順輔さんの3人だ。

 

 温泉でのツーリングライダー同士の出会いというのはうれしいものだ。みなさんとの、しばしの“湯の中談義”を楽しんだ。

「カソリさん、今度、九州に来られるときには、福岡の林道を案内しますよ」

 というみなさんの言葉によけいにうれしくなってしまうのだ。

 

 

思い出の長野峠

 古湯温泉から、さらに嘉瀬川に沿って走る。山中に入り、R323の観音峠に向かっていく。

 その手前でR323を右折し、県道12号に入り、長野峠に寄り道する。長野峠は佐賀・福岡の県境の峠。交通量の少ない、静かな峠で、周囲は杉林になっている。峠を越え、福岡側を下り、前原町のJR筑肥線、筑前前原駅まで行き、また長野峠に戻った。

 

「なつかしい‥‥」

 このルートは、1978年に50㏄のスズキ・ハスラーTS50で「日本一周」したときに走ったルートなのだ。あのときは季節は秋。山あいの田は黄色く色づいていた。50㏄ということで長野峠の登りはきつかったが、今回はDJEBEL、軽々と長野峠を登った。

 

 峠上に立っていると、胸がジーンとしてくる。20年近くも前のツーリングなのだが、まるで昨日のことのような鮮やかさで思い出されてくるのだ。オートバイツーリングの思い出というのは、このように一生涯、色濃く残るものなのだ。

 

 長野峠からR323に戻り、観音峠を越える。ゆるやかな峠。峠を下っていくと、山の斜面にはミカン畑が目立つようになった。R202に出、唐津へ。“日本三大松原”のひとつ虹ノ松原を通り、焼き物の“唐津焼き”で知られる唐津の町に入っていく。

 

 唐津からは、R203を行き、最後の峠の笹原峠に向かう。国道に沿ってJR唐津線が走っている。峠下の厳木町笹原の集落を過ぎると、あっというまに笹原峠に到着。天山(104m)から南に延びる山並みを越えるゆるやかな峠。標高は93メートルでしかない。越えやすい峠なので、昔からの佐賀と唐津を結ぶ重要な交通路。峠には関所が置かれた。

 

 笹原峠を越え、佐賀に向かう。その途中の小城町では、小城温泉の「開泉閣」(入浴料500円)の湯に入り、佐賀へ。日がとっぷりと暮れる。佐賀からは、夜道を走り、R264で久留米に出た。