賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

シルクロード横断:第22回 塔中→ニヤ

 2006年9月9日、7時起床。この時間だと、まだ暗い。トイレをすませ、シャワーを浴びたところで外に出る。ひんやりとした砂漠の朝の空気。7時半、夜明け。さっそく目の前の砂丘に登る。タクラマカン砂漠の砂は白っぽい。砂の壁を崩しながら這うようにして登り、砂丘のてっぺんに立つと、感動のシーンが目の前に広がる。はるかかなたまではてしなくつづく大砂丘群。そんな砂漠の風景を一望。

「今、自分はタクラマカン砂漠のど真ん中にいる!」。

 砂丘のてっぺんに座り込みながら、地球を手玉にとっているような壮大な気分にひたるのだった。

 食堂で饅頭や粥の朝食を食べ、9時、塔中を出発する。「砂漠公路」を南下していく前に、我々はタクラマカン砂漠の大砂丘群をバイクで走った。勢いをつけるとけっこう砂丘を登り下りできる。砂にスタックしてもなにしろ人手があるので後ろを押してもらえる。「砂遊び」といった気分でのタクラマカン砂漠砂丘越え。世界最大の砂場で「砂遊び」をするようなものだった。

「砂漠公路」を南下していく。

「倫台→塔中」間と同じように、「塔中→ニヤ」間でも、道路沿いは緑化されている。等間隔で管理棟がつくられ、パイプで水を流し、草をはやし、植林している。10年、20年後には、「砂漠公路」はシルクロードのオアシスで見るようなポプラ並木になっているかもしれない。

「砂漠公路」の500キロ地点を通過。その先では緑化が途切れ、一木一草もない大砂漠が広がっていた。「砂漠公路」の553キロ地点では崑崙山脈から流れてくる川を見た。緑が増え、木が多くなり、放牧している牛を見る。砂漠の砂ばかりを見るづけた目には、緑がなんともいえずに目にしみた。

 13時、塔中から233キロ走った地点で崑崙山脈の北麓を東西に走る国道315号に出た。カシュガルからヤルカンド、ホータン、ニヤ、チェルチェン、チャリクリクと通って青海省に通じている。シルクロードの「西域南道」だ。天山山脈の北側を通る「天山北路」、天山山脈の南側を通る「天山南路」、それと崑崙山脈の北側を通る「西域南道」がシルクロードの3本の幹線になっている。

 崑崙山脈の山並みは薄いカーテンのような砂のベールに覆われ、まったく見えなかった。1994年に「タクラマカン砂漠一周」をしたときも、ヤルカンドからホータン、ニヤ、チェルチェン、チャリクリクと通ったが、崑崙山脈の山並みはほとんど見えなかった。

 唯一、チェルチェンからチャリクリクに向かう途中、崑崙山脈の山裾まで接近する区間があり、夕日を浴びた高峰群を見ることができた。そのときの崑崙山脈の山の姿は、今でもぼくのまぶたにはっきりと残っている。崑崙山脈が神秘の山といわれるのは、そう簡単には見ることができないという理由もあるようだ。

「砂漠公路」と「西域南道」の交差点で、我々は喜び合った。「タクラマカン砂漠縦断」を走りきったのだ。

 国道315号に出たところで給油。そこにはやはりタクラマカン砂漠を縦断してやってきた長距離バスが止まっていた。「ウルムチ→ホータン」の長距離バスで寝台車になっている。国道沿いの食堂で昼食。とびきり辛い鶏肉料理の「大盤鶏」を食べた。

 塔中から256キロ走り、「西域南道」のオアシス、ニヤに到着したのは15時。「倫台→ニヤ」間、600キロの「タクラマカン砂漠縦断」だった。

タクラマカン砂漠の大砂丘群を眺める
タクラマカン砂漠の大砂丘群を眺める

塔中の町並み。すぐ背後に砂丘群が迫っている
塔中の町並み。すぐ背後に砂丘群が迫っている

一木一草もない砂漠が広がる
一木一草もない砂漠が広がる

「砂漠公路」と「西域南道」の交差点
「砂漠公路」と「西域南道」の交差点