賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

カソリの峠越え(1) 九州編(その1):北九州の峠 (Crossing Ridges in Japan: Kyushu Region)

「さー、九州の峠越えだ。九州の峠を総ナメにしてやるんゾ!」

 とカソリ、東京港フェリー埠頭で吠え、オーシャン東九フェリーの「おーしゃん うえすと」に峠越えの相棒のスズキDJEBEL200とともに乗り込んだ。

 

 1995年12月10日のことだった。目指すのは北九州の新門司港。新門司港を出発点&終着点に、今回は九州の北半分の峠を越えるのだ。その第1弾が「北九州の峠」。

 

 

「北九州への船旅はいいゾ!」

 19時、船内にドラが鳴り響き、オーシャン東九フェリーの「おーしゃん うえすと」は、定刻通りに、東京港フェリー埠頭を出港する。船出というのは感動もの。船が岸壁を離れるときは胸がジーンとしてくる。

 

「おーしゃん うえすと」が出航したのを見届けると船内のレストランに行き、一人、ビールで乾杯! 「九州よ、待ってろよ!」といった気分なのだ。

 

 窓の外を東京の夜景が流れていく。こうして船上の人となると、いっぺんに日常から解き放たれ、別な世界にワープしたような錯覚にとらわれる。夕食後、大浴場の湯に入ると、早々に眠った。時間を気にせずに、いくらでも眠れる幸福感に浸った。

 

「東京→新門司」の「おーしゃん うえすと」は船中2泊。その間、何もしなくていい。このゆったりとした時間が貴重なのだ。命の洗濯ができる。あわただしく過ぎていった時をふと、振り返る。すると、不思議なもので、これから先の自分を考えるゆとりが出てくる。元気が湧いてくる。

 

 コーヒーラウンジで、間近に見える紀伊半島の山々を眺めながらホットコーヒーを飲んでいると、今までの船旅の様々なシーンがよみがえってくる。

「自分以上にいろいろな船旅をしている人間は、世界でもそうはいないゾ!」

 と、カソリ、そう自負しているのだ。

 

 そもそも、ぼくが初めて海外に飛び出していったのも、船だった。今から28年前、ぼくが20歳のときのことだが、日本から出た最後の南米への移民船に乗ってオートバイともども、アフリカに渡ったのだ。喜望峰経由で南米に行くオランダ船だった。

 

 モロッコのカサブランカからセネガルのダカールまではフランス船に乗った。西アフリカのベニンからカメルーンまではポーランド船に乗った。アンゴラからモザンビークまではポルトガル船に乗った。横浜からナホトカ、ロンドンからカナダのモントリオール、稚内からサハリンのホルムスクへの船はロシア船だ。

 

 アフリカからアラビア半島のイエーメンには、アラビアの帆船ダウに乗った。インドネシアの小スンダ列島を旅したときも、やはり帆船だった。

 

 船旅はなにも海路ばかりではない。ザイール川の船旅は1週間かかったし、スーダンの白ナイルの船旅は、なんと2週間もかった。船旅はいい! いつまでも心に残るものなのだ。

 

 

九州第1番目の峠

「おーしゃん うえすと」は途中、徳島港に寄港し、新門司港には東京を出航した翌々日の午前5時に到着。「東京→新門司」間の約1200キロを34時間で航行したことになる。

 

「船旅を存分に楽しませてくれてありがとう!」という気分で下船し、まだ暗い道を走り、北九州市の中心小倉に行き、JR小倉駅でDJEBEL200を止めた。

 

 駅近くの「珍竜」という終夜営業のラーメン店でラーメン&おにぎりの朝食を食べ、午前6時に、小倉駅前を出発。いよいよ、九州の峠越えの開始だ。

 

 R10からR322に入り南下していく。R322は通称、香春街道。“香春”で“かわら”と読む。いつも思うことだが、地名の読み方って、難しい。

 

 平地から山地に入るころになると、やっと、夜が白々と明けてくる。右手にはカルス地形で知られる平尾台の山々がうすぼんやりと見えてくる。

 

 記念すべき九州の第1番目の峠は、北九州市と香春町の境の金辺峠。“金辺”で“きべ”と読む。地名の読み方って、ほんとうに、難しい‥‥。

 

 金辺峠のトンネルを抜けて、北九州市から香春町に入る。峠道を下っていくと香春町の中心、香春。この近くに、柿下温泉があるので、さっそく行ってみる。

 

 九州第1番目の温泉、柿下温泉は、山裾にあった。田園の中の1軒宿。入浴のみの営業は午前10時からで、残念ながら入れなかった。だが、入口には、源泉の自動販売機がある。200円で10リッター買える。

 

「よーし、それならば‥」と、誰もいないのを幸いに裸になり、自販機に200円を入れ、ホースで頭から湯をかぶった。ところが、湯どころか、水と変わらない冷たさなのだ。おまけに季節は冬。風も冷たい。ヒーヒーいってしまったが、かぶりおわると、不思議なもので、体がポカポカしてくる。タオルで体をキュッキュッとよくこする。

 

 ウエアを着たころに、老夫婦が車でやってきた。トランクにはなんと、10リッターのポリタンを10個も積んでいる。老夫婦は2000円を払って10個のポリタンを一杯にしたが、この温泉は体にとってもよく効くといっていた。

 

 

R201の2つの峠

 香春から福岡へ。R201を行く。かつての筑豊炭田の中心地のひとつ、田川市に入る。日本のエネルギー源が石炭だった昭和20年代の後半から30年代の前半ごろまでは、田川は炭鉱の町として、おおいに繁栄した。だが、石炭から石油へと変わっていくと、筑豊炭田の炭鉱は次々と閉山に追い込まれ、今ではひとつも残っていない。

 

 田川からは、ゆるやかな峠の烏尾峠を越える。この峠が筑豊国境の峠になる。見晴らしのよい峠で、かつての筑豊炭田のボタ山が、霞んで見える。

 

 現在の福岡県は、昔の国名でいうと、筑前、筑後、豊前の3つの国から成っている。

“筑豊”というのは筑前と豊前を合わせた呼び名で、筑豊炭田は、その名前どおりに筑前と豊前の両方にまたがっていた。

 烏尾峠を下っていくと、田川と並ぶかつての筑豊炭田の中心地の飯塚。飯塚の町の中に入っていったが、かつての栄光が華やかだっただけに、今のさびれかかった感じは寂しいかぎりだ。

 

 飯塚からR201の2番目の峠、八木山峠へと向かう。峠下に伊川温泉。「伊川温泉センター」に行くと、現在は休業中で入れなかった。そこで、さきほどの柿下温泉と同じような温泉の自動販売機のところに行く。その宣伝の文句がいいではないか。

 飲んでおいしい

 お茶がおいしい

 ご飯がおいしい

 コーヒーがおいしい

 水割りがおいしい

 

 その宣伝の文句につられてではないだろうが、車にポリタンを積んで、放射能泉の源泉を買いにくる人が次々にやってきた。柿下温泉は10リッターが200円だったが、伊川温泉は100円。ここでは、自販機に100円を入れ、温泉で顔を洗った。といっても、柿下温泉の源泉と同じで、水と変わらないような冷たさだ。

 

 伊川温泉から八木山峠を登っていく。急カーブが連続する峠道。登るにつれて見晴らしがよくなる。飯塚周辺はうっすらとモヤがかかっていたが、その中に、ボタ山が見えた。

 

 八木山峠を越え、篠栗町に入る。もう、福岡が間近だ。JR篠栗線に沿って走り、R3の博多バイパスを通り過ぎ、福岡の中心街に入っていく。そしてJR博多駅前でDJEBELを止めた。小倉から110キロだった。

 

 

うれしい出会い

 博多に来たからには“博多ラーメン”だと、早めの昼食にし、駅近くのラーメン専門店に入る。朝、昼と連チャンのラーメンだ。ラーメンが好きなんだから、まあ、いいか‥‥。

 

 福岡からは、来た道を引き返し、R201で篠栗まで戻る。そして、猫峠を越えようと国道を左折したのだが、道に迷ってしまい、DJEBELを止めて地図を広げた。

 

 そこへ、灯油を積んだガソリンスタンドの車が通りかかり、キュッとブレーキ音をきしませて止まった。「カソリさんですよね」と、乗っていた人に声をかけられた。

 

 精悍な顔つきをした人でDR350に乗っているという小鶴哲也さん。よく国内のレースに参加し、海外ラリーにも参加したことがあるという小鶴さんとは、しばらく、立ち話をした。そのあとで、ていねいに、猫峠への道を教えてもらった。小鶴さんありがとう!こういう出会いって、うれしいものだ。まさに、ライダー同士の出会いという感じがするのだ。

 

 猫峠を越えたあとは、犬鳴峠、見坂峠、赤木峠、猿田峠の4峠を越え、かつての筑豊炭田の中心地、飯塚に出た。その間では、脇田温泉、薬王寺温泉、所田温泉の3湯に入った。

 

 

旧長崎街道の峠越え

 飯塚からは、県道60号でショウケ越に向かう。R201の八木山峠の南側になる。途中までは、有料の八木山バイパスに沿ったルートだ。けっこう山深い。

 

 峠名だが、なぜショウケ越なのかよくわからなかったが、ショウケといえば、九州では笊のこと。「笊峠」なのである。

 

 ショウケ越を越えると、ゆるやかな山並みを一望する。峠の下りは急勾配の急カーブが連続する。ショウケ越を下ったところで、太宰府へ。

 

 太宰府は、古代、西海道(九州)の総管府が置かれたところ。つまり、九州の一大中心地だったわけだ。奈良の平城京を真似して、3分の1の規模でつくられた古代都市だった。今、太宰府といえば、全国にある天満宮総本社の太宰府天満宮で有名だ。平安時代の延喜3年(903)に、この地に流された菅原道真がまつられている。

 

 天満宮(天神さん)は、学問の神としてよく知られているが、最近では、すっかり入試の神様になってしまった。みなさんのなかにも、入試の前に、天満宮に行って、お札やお守りをもらった人がたくさんいることだろう。

 

 太宰府天満宮に参拝。太鼓橋を渡って、豪壮な造りの本殿へ。賽銭を投げ、手を合わせる。太宰府天満宮はいつものように、大勢の参拝者でにぎわっていた。参拝を終えると、門前で名物餅の梅ヶ枝餅を食べた。

 

 さあ、出発だ。

 いったん、筑紫野市の中心、二日市の町に入り、県道65号で、米ノ山峠を越える。峠が筑紫野市と筑穂町の境。峠を下った集落が米ノ山で、峠名はそこからきているのだろう。 筑穂町の中心、長尾からR200に入り、最後の峠の冷水峠に向かっていく。

夕暮れが迫り、山の端に落ちていく夕日に向かって走る。

 

 ところで、R200の冷水峠は、旧長崎街道の峠。江戸時代には、おおいに栄えた重要な街道の峠で、九州諸大名の参勤交代の大名行列が通り、長崎に行く長崎奉行や長崎遊学の学者や文人、商人が通り、長崎から江戸に行くオランダ使節が通った。

 

 旧長崎街道は、九州の玄関口、小倉の城下から、黒崎(北九州市)、木屋ノ瀬(北九州市)、飯塚、内野(筑穂町)、山家(筑紫野市)、原田(筑紫野市)と6つの宿場を通っていた。そのため、冷水峠を越える街道は、六宿街道とも呼ばれていた。

 

 原田宿の先の田代(鳥栖市)で街道は、2本に分かれていた。1本が長崎(現在の34)へ、もう1本が熊本(現在のR3)に通じていた。

 

 R200に沿って、JR筑豊本線が走っている。平地から山地に入りかかったあたりが、旧長崎街道の内野宿。JR筑豊本線にも、

筑前内野駅がある。だが、かつては繁栄した峠下の宿場町も、今では気がつかないままに、通り過ぎてしまうようなところだ。

 

 山地に入り、冷水峠に向かう。有料の冷水道路のトンネルが峠を貫いているが新道には入らず、旧道で峠を登っていく。旧道の交通量も、けっこうある。

 

 冷水峠を越える。峠を下り、平野に出たところが、旧長崎街道の山家宿。JR筑豊本線の筑前山家駅がある。山家はさきほどの内野と違って、昔の宿場町の面影をとどめていた。

 

 R200は山家を過ぎたところでR3にぶつかる。R3を熊本方向にわずかに行ったところが、旧長崎街道の原田宿。JR鹿児島本線の原田駅があり、そこが筑豊本線の終点になっている。筑豊本線とはいっても飯塚を過ぎた桂川から原田までは、超ローカル線だ。

 

 R3で福岡へ。二日市では二日市温泉に立ち寄り、すっかり暗くなってから着いた福岡では、博多温泉の「清水苑」に泊まった。博多の町に温泉があるとは知らなかったが、なかなか、いい湯。湯から上がって食べた鉄板焼きがメインの夕食がうまかった。