賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

2008-06-01から1ヶ月間の記事一覧

『忘れられた日本人』再び:第2回

(初出:「ゴーグル」2006年7月号) 「偉大なる旅人」誕生の10ヵ条 宮本常一先生は瀬戸内海に浮かぶ周防大島に生まれた。1907年(明治40年)の8月1日生まれで、来年は生誕100年になる。先生が生まれたのは周防大島東部の旧家室西方村で、…

『忘れられた日本人』再び:第1回

(初出:「ゴーグル」2006年5月号) ライター、カソリの誕生 1968年4月、ぼくは2サイクル250㏄バイクのスズキTC250とともに、横浜港からオランダ船「ルイス号」に乗り込んだ。「アフリカ一周」を目指しての20歳の旅立ちだ。「日本を飛…

本を旅する(3):宮本常一『忘れられた日本人』

賀曽利隆「名倉探訪」(初出:『ジパングツーリング』2001年2月号) 我が師、宮本常一先生 「我に師なし、我に弟子なし」 と言いつづけてきた一匹狼のカソリだが、実は一人、師がいる。それは柳田国男をしのぐとさえいわれる偉大なる民俗学者の宮本常一…

六大陸食紀行:第10回 東南アジア・ラオス

(共同通信配信 1998年~1999年) 「インドシナ一周」で走ったラオスは忘れられない国だ。 首都のビエンチャンから北に400キロ走ると古都ルアンプラバンに着くが、市場を歩き、屋台で麺を食べ、メコン川の岸辺を歩いた。河港には何隻もの船がつな…

六大陸食紀行:第9回 東南アジア・タイ

(共同通信配信 1998年~1999年) 「インドシナ一周」の出発点タイのバンコクには一ヵ月以上滞在したが、その間は“現地食主義カソリ”の本領を発揮して、毎日、せっせとタイ料理を食べあるいた。 朝食で一番気にいったのはカオトムクン。カオトムとは…

六大陸食紀行:第8回 西アジア

(共同通信配信:1998年~1999年) 「50㏄バイク世界一周」のアジア編ではイスタンブールからカルカッタへと西アジアを横断したが、そこで一番よく食べたのものは主食のパンのナンである。 ナンは小麦粉に塩を加えて水でこね、それを半日ほど寝かせ…

⑤「サハラ往復縦断」(1987年~1988年)の「フローラ」

1987年12月21日、西アフリカ・マリのガオのキャンプ場にサハラ砂漠を越えてやってきた5台の車が到着。その中の1台はオランダ人女性フローラの乗ったフォルクスワーゲンのバンだった。うれしいフローラとの再会。 「ターキー(タカシのこと)、無事…

④「世界一周」(1971年~1972年)の「ベチャ」

1972年6月21日、毎日見慣れたイギリス・ノーベリーの町をあとにし、A23でロンドン市内へ。シートラベルセンターで、電話で予約を入れておいた船(イギリス→カナダ)のチケットを買い、A13でテムズ川河口のティルベリーに向かう。港に着くと、す…

こーゆー13日の金曜日もいいねー(日付は変わるけど)

賀曽利先生! 寝られませんよ!! ~~~~ 6/14(土) 00:45~03:00 TBS サッカー サッカー欧州選手権「イタリア×ルーマニア」 負ければW杯王者イタリアが予選リーグ敗退高木琢也土井敏之ベッキー小倉隆史 6/14(土) 03:35~05:45 TBS サッカー サッカー…

③「50㏄バイク日本一周」(1989年)の「ルミちゃん」

1989年10月14日、沖縄の石垣島から福山海運の「フェリーよなくに」で与那国島に渡った。この「フェリーよなくに」で3人のライダーに出会った。ホンダXR600の「マサワン」、カワサキKLR250の「ヤマサン」、それとホンダVT250Zの「…

②「50㏄バイク世界一周」(1990年)の「ミヤザワさん」

1990年9月20日、オーストリアのウィーン滞在中のことだ。ハンガリー大使館でビザを申請したあと旧市街を歩き、ホーフブルグ宮殿などを見てまわる。午後はシェーンブルイン宮殿に行った。 シェーンブルン宮殿はハプスブルグ家の女帝マリア・テレジアに…

①「300日3000湯」(2006年~2007年)の「ゆーゆーさん」

8パートに分けてまわった「300日3000湯」の「温泉めぐり日本一周」の第6弾目、「本州東部編」の第1日目のことだ。 2007年6月20日、東京・日本橋を出発。千葉県に入り、君津ICで館山道を降り、国道127号で房総半島の内房海岸を南下した…

シルクロード横断:第11回 嘉峪関→敦煌

2006年9月2日、8時30分、嘉峪関のホテル「青年賓館」を出発。現代版のシルクロード、国道312号を西へ、西へと走る。道は快適な2車線の舗装路。ところが工事中の区間になると、延々と砂漠の中に迂回路がつづく。もうもうと砂煙を巻き上げてトラ…

シルクロード横断:第10回 張掖→嘉峪関

2006年9月1日。今日はぼくの誕生日。なんとも月日のたつのは早いもので、59歳になった。20歳のときにスズキTC250で「アフリカ一周」して以来、ずっと世界を駆けめぐっているので、39年目の「旅人生」ということになる。いままでに何度、こ…

甲武国境の山村・西原に「食」を訪ねて(その9)

(日本観光文化研究所「あるくみるきく」1986年10月号所収) 馬方の時代 5月とはいえ、高地の西原では、日が落ちると寒さをおぼえるほどである。 夕食後、掘りごたつに足をつっこみ、お茶を飲みながら、中川さんの話を聞いた。 中川さんは戦前、畑仕…

六大陸食紀行:第7回 ヨーロッパ・ドイツ

(共同通信配信 1998年~1999年) 「50㏄バイク世界一周」のロンドンからアテネまでのヨーロッパ横断で、一番、印象に残っている味といえば、ドイツのソーセージだ。通り過ぎていく町々の広場では、ソーセージを焼いている屋台をよく見かけ、何度と…

六大陸食紀行:第6回 アメリカ

(共同通信配信 1998年~1999年) 「50㏄バイク世界一周」の出発点はアメリカのロサンゼルス。バイク引き取りまでの2週間近くをここで過ごした。 ロサンゼルスの銀座通りともいえるブロードウェイを歩いていて驚かされたのは、メキシコ人の多いこと…

六大陸食紀行:第5回 南米・アマゾン

(共同通信配信 1998年~1999年) ブラジルのアマゾン川流域のセルバを行く。セルバとは大密林地帯。高木が空を突き、密林の中は“昼なお暗い”世界。樹海という言葉がぴったりだ。その樹海を伐り開き、シャシだけの専用トラックが原木を運び出してい…

六大陸食紀行:第4回 南米・アンデス

(共同通信配信 1998年~1999年) 「南米一周」で心に残っているのはアンデス山脈の峠越え。4000m級の峠だけでも全部で25峠を越えた。最高所の峠はペルーの標高4843mのチクリヨ峠だった。 太平洋側の低地からアンデスの4000m級の峠…

甲武国境の山村・西原の「食」を訪ねて(その8)

(日本観光文化研究所「あるくみるきく」1986年10月号所収) 夕食の煮込み 雑穀の種まきを終えると、中川さんはいったん家に帰り、今度はツルハシを持ってモウソウの竹やぶに行く。タケノコ掘りをするのだ。片一方が尖った刃、もう一方が幅広い刃をし…

甲武国境の山村・西原に「食」を訪ねて(その7)

(日本観光文化研究所「あるくみるきく」1986年10月号所収) 午後からは、中川さんにアワとキビの種まきを見せてもらった。じつはこれが今回の西原訪問の大きな目的だった。家の近くの2畝(約200平方メートル)ほどの畑を2分し、一方にアワ、もう…

シルクロード横断:第9回 武威→張掖

2006年8月31日、いつものように朝起きると、目覚めたばかりの早朝の町を歩く。ホテルに戻ると朝食。そのころから雨が降ってきた。西安を出てからというもの天気の悪い日がつづいているが、武威でも雨具を着ての出発となった。武威を出ると、広大な草…

シルクロード横断:第8回 蘭州→武威

「シルクロード横断」では毎朝、夜が明けると目覚め、シャワーを浴び、さっぱりした気分で町を歩くのがぼくの日課になっていた。ところが蘭州では「中国風邪」にすっかりやられ、体調を崩してしまい、それができなかった。だが、夜明け前ごろにわずかでも寝…

シルクロード横断:第7回 平涼→蘭州

平涼のホテル「明珠賓館」の朝食では、レストランの一角で調理人が鮮やかな手つきで麺を打ってくれた。細麺。それに香菜とネギ、辛味を入れて食べるのだが、麺も汁もじつに美味だった。「麺ロード」の「シルクロード」を実感させる朝食だ。 8時、平涼を出発…

六大陸食紀行:第3回 西アフリカ・熱帯雨林地帯

(共同通信配信:1998年~1999年) 北の地中海から南のギニア湾を目指してのサハラ縦断でおもしろいのは、砂漠を抜け出て南下すると、どんどん緑が増え、サバンナから熱帯雨林へと鮮やかにかわっていく風景を見られることだ。 サバンナでは雑穀を主…

六大陸食紀行:第2回 西アフリカ・サバンナ地帯

(共同通信配信:1998年~1999年) 西アフリカのサハラ砂漠以南のサバンナ地帯では、雑穀を栽培し、それを主食にしている。私が行ったのは乾期の11月で雑穀の収穫が終わる頃。バイクで走り過ぎていく村々では、収穫した雑穀の穂を穀物倉に入れたり、…

六大陸食紀行:第1回 サハラ砂漠

(共同通信配信:1998年~1999年) 私はこの30年間、バイクで世界を駆けまわっているが、とくにこの10年あまりは「食」に興味を持って旅している。私のやりかたは徹底した現地食主義。バイクで世界を走りながら口にした様々なものをみなさんにお伝え…

甲武国境の山村・西原の「食」を訪ねて(その6)

(日本観光文化研究所「あるくみるきく」1986年10月号所収) 西原の民宿「中川園」の食事 私は火の見櫓を降りると、今晩の宿となる民宿「中川園」を訪ねた。今では残り少なくなった茅葺屋根の家で、ご主人の中川勇さんは温厚な方。やさしそうな笑みを…

甲武国境の山村・西原に「食」を訪ねて(その5)

(日本観光文化研究所「あるくみるきく」1986年10月号所収) 西原を見下ろす風景 終点の飯尾で折り返し、原の停留所でバスを降りる。 私の目の前には、甲武国境の山脈に向かって緩くせりあがっていく傾斜地の畑が一面に広がっている。 クワ畑が目立っ…

シルクロード横断:第6回 西安→平涼

2006年8月28日、いよいよバイクでの西安出発の朝を迎えた。6時、朝食。7時、出発。それに先立って、出発のセレモニー。「目指せ、イスタンブール!」の掛け声とともに、全員で「エイエイオ-」と気合を入れた。あいにくの空模様で雨具を着て走り出…