賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

⑤「サハラ往復縦断」(1987年~1988年)の「フローラ」

 1987年12月21日、西アフリカ・マリのガオのキャンプ場にサハラ砂漠を越えてやってきた5台の車が到着。その中の1台はオランダ人女性フローラの乗ったフォルクスワーゲンのバンだった。うれしいフローラとの再会。

「ターキー(タカシのこと)、無事だったのね。おめでとう。あなたがマリに向かっていたって国境で聞いたときはうれしかったわ」

「フローラ、キミこそ。タネズロフをよく走りきったよね」

 といい合って、ぼくたちはキャンプ場のど真ん中で抱き合い、お互いの無事を喜びあった。フローラはTシャツ1枚でノーブラ。豊かな胸の感触と胸の熱さがモロに自分に伝わってくる。サハラ越えのキャンパーたちの視線を浴びながらの熱い抱擁なのだが、フローラはまったく気にしない。

 ギリシャ系オランダ人のフローラは20代後半のグラマーな美人。フォルクスワーゲンのバンでサハラ砂漠縦断中の彼女とは、アルジェリアのレガンのキャンプ場で知り合った。フローラはフランス語をほとんど話せない。お互いにフランス語を話せない者同士という仲間意識も手伝って仲よくなり、レガンのキャンプ場の星空のもとで、彼女と夢中になっていろいろな話をした。

 フローラは今回が3度目のアフリカだった。

「アフリカって、ほんとうに不思議な力を持っているのよね。わたしの一番最初の旅っていうと、ヒッチハイクで西アフリカをまわったときだわ。その旅が終わってオランダに帰っても、まるで磁石にでも吸い寄せられるように、またアフリカに戻ってしまったわ。3度目の今回はぜひとも自分の足でと思って、それで、この車を中古で買ったの」

 レガンのキャンプ場で、ガオまで一緒に走ってくれる車を待っていたフローラだが、フランス人やスペイン人、ドイツ人といった多国籍の面々の車4台と一緒に、サハラでも一番の難関、「砂漠の中の砂漠」といわれるタネスロフ砂漠を走りきったのだ。その間では650キロ間、まったくに無人のエリアもある。もちろんガソリンの手には入れられないし、水、食料も手にいれられない。ぼくはそのルートを40リッターのビッグタンクを搭載したスズキSX200Rで走破したのだった。

「ターキー、ちょっと待っててね」

 しばらくするとフローラは、ミニスカートにノースリーブという格好で、薄化粧して戻ってきた。砂まみれのサハラの女戦士がまるで別人のように一変し、まぶしくて、目をまっすぐには向けられないほどだった。

 見違えるほどきれいになったフローラと、まずはビールで「乾杯!」。我々は「サハラ縦断」で盛り上がった。夕食も共にした。さらに夕食後もビールを飲みながら話しつづけた。お互いに「サハラ縦断」という同じ体験を同じ時にしたので話題には事欠かなかった。 翌日、ぼくはフローラに別れを告げ、ガオを出発。南のギニア湾を目指した。