賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

シルクロード横断:第10回 張掖→嘉峪関

嘉峪関までのMAP

 2006年9月1日。今日はぼくの誕生日。なんとも月日のたつのは早いもので、59歳になった。20歳のときにスズキTC250で「アフリカ一周」して以来、ずっと世界を駆けめぐっているので、39年目の「旅人生」ということになる。いままでに何度、こうして旅の中で誕生日を迎えたことか…。

 さて、「シルクロード横断」だ。夜明けの町を歩いたあとで朝食。沖縄でもおなじみの「豆腐よう」や、青菜、ザーサイなどをおかずにして朝粥、飯、麺を食べる。毎朝、ボリュームたっぷりの朝食を食べ、それからの出発になる。なんともうれしいことに晴れている。西安を出発して以来、初めての晴天だ。

 張掖から万里の長城西端の嘉峪関へ。河西回廊を貫く国道312号を行くと、左手には邦連山脈の山々が見えてくる。主峰の邦連山(5547m)を中心とする5000メ-トル級の峰々は雪をかぶっている。

 国道沿いにタマリスクを見る。中央アジアの探検記にしばしば登場する砂漠周辺の植物。もじゃもじゃっとした葉にピンクの花をつけている。タマリスクが登場すると、国道沿いの風景は一気に「ゴビタン」と呼ばれる半砂漠の荒野へと変わっていく。

 酒泉が見えてくる。ここは「酒が湧き出る泉」伝説の残る緑豊かなオアシス。酒泉の特産品が「夜光杯」。邦連山脈から掘り出された原石を加工して杯にする。

 国道沿いの食堂で昼食。調理場で麺づくりを見せてもらった。両親の手伝いをするまだ若い女性が麺を打ち、麺を切り、麺をゆでる。

 張掖から264キロ走り、万里の長城最西端の嘉峪関に到着。「おー、ここまで来たか!」という感動にひたる。と同時に、天津の北郊で見た「黄崖関」の万里の長城が二重映しになって蘇ってくる。

 嘉峪関には万里の長城をまもる砦がある。砦というよりも城といったほうがいい。外側と内側、二重の城壁があり、東門と西門の城門があり、日本の城の天守閣を思わせる三層の城楼がある。この城は明の時代、1372年に建てられたという。

 嘉峪関の城壁上はかなりの幅の通路になっている。そこからの眺めは目に残る。万里の長城はさらに西へと延び、砂漠の中に消えていく。現代のシルクロード、国道312号は邦連山脈の山裾を通っているが、行き来する大型トラックやタンクローリーなどが見える。ジーゼルカーに引かれた20両編成の客車が新疆ウイグルの方向へと走り去っていく。

 それにしても中国というのはとてつもない国だ。歴代の王朝は東端の山海関から西端の嘉峪関まで、5000キロというとてつもない規模の万里の長城を築き上げた。だがそれは言葉を変えれば、中国にとって「万里の長城」北側の世界の脅威、匈奴などの騎馬民族の脅威がいかに大きかったかを証明しているようなものだ。

 その夜は嘉峪関の町中にあるホテル「青年賓館」に泊まり、レストランでの夕食。びっくりしたのは我々をサポートしてくれている「達板城旅行社」の社長、宗さんが大きなバースデーケーキを用意してくれていたことだった。

邦連山脈の雪山を望む
邦連山脈の雪山を望む

酒泉の町の入口で
酒泉の町の入口で

嘉峪関の関帝廟
嘉峪関の関帝廟

嘉峪関の城壁から西方を望む
嘉峪関の城壁から西方を望む