賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

六大陸食紀行:第4回 南米・アンデス

 (共同通信配信 1998年~1999年)

「南米一周」で心に残っているのはアンデス山脈の峠越え。4000m級の峠だけでも全部で25峠を越えた。最高所の峠はペルーの標高4843mのチクリヨ峠だった。

 太平洋側の低地からアンデスの4000m級の峠を登っていくと、標高2000mくらいまでの間ではジュカ(キャッサバ)やプラタノ(プランタイン)、トウモロコシなどが栽培されている。

 標高3000mを越えるとジャガイモ畑に変わり、集落を点々と見かける。このジャガイモを栽培しているあたりの高地が、アンデスでは人口の一番多い地帯になっている。

 標高4000mを越えると耕地は急速に消え、農耕から牧畜の世界に変わり、アンデス高地特有の家畜リャマやアルパカを見かけるようになる。

 アンデスの町や村の食堂で食事をすると、必ずといっていいほどジャガイモが出る。ジャガイモと豆、豚肉の入った汁をご飯にかけたもの、唐辛子をきかせたゆでたジャガイモ、フライにしたジャガイモ‥‥。スープにもジャガイモが入っている。さすがにジャガイモの原産地アンデスだけあって、ここではジャガイモ抜きの食事は考えられない。

 ジャガイモからつくるチューニョ入りのスープもよく食べた。チューニョというのは日本でいえば凍豆腐のようなもの。ジャガイモを野天に広げ、夜間の寒さで凍らせ、昼間の天日で溶かす。それを繰り返し、ぶよぶよになったジャガイモを踏みつけて水分を抜き乾燥させたものである。

 一日の気温の差の大きいアンデス高地だからこそできる乾燥ジャガイモだが、保存食には最適で、使うときには水や湯で戻す。チューニョにアンデスの民の知恵を見る。

 アンデスのジャガイモが16世紀にヨーロッパにもたらされると、その栽培はたちまち燎原の野火のようにヨーロッパ中に広がり、ヨーロッパ人はジャガイモを手にしたことによって飢餓から解放された。ジャガイモのもたらした食糧革命が産業革命の引き金になったといっても過言ではない。