賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

④「世界一周」(1971年~1972年)の「ベチャ」

 1972年6月21日、毎日見慣れたイギリス・ノーベリーの町をあとにし、A23でロンドン市内へ。シートラベルセンターで、電話で予約を入れておいた船(イギリス→カナダ)のチケットを買い、A13でテムズ川河口のティルベリーに向かう。港に着くと、すでにカナダのモントリオールまで行くロシア船「アレクサンドル・プシュキン号」は埠頭に接岸していた。すぐさま船のクレーンでぼくのハスラーが甲板につり上げられた。

 午後8時、「アレクサンドル・プシュキン号」は汽笛を鳴らし、テムズ川の川岸を離れていく。ぼくは甲板に立ちつくし、夕暮れの中に沈んでいくイギリスを眺めつづけるのだった。

 ティルベリーを出港した「アレクサンドル・プシュキン号」は、フランスのルアーブル港に寄ったあと、大西洋を西へ、西へと進んだ。

 バルチック・シッピング・カンパニーのこの船は、1965年に建造された2万トンの客船。船の料金は10段階に分かれていたが、ぼくはもちろん、一番安いクラス。どんなにひどいところに連れていかれるのだろうか‥‥と、なかばあきらめ気味だったが、自分の船室に案内されて驚いた。冷暖房完備の4人用の部屋で、応接セットがあり、ベッドのシーツと枕カバーの白さが目にしみる。備付けのラジオからはロシア音楽が流れてくる。ドアの前には1日の船内の行事が書かれたきれいな表紙のプログラムが置かれている。ほかに乗客はいないので、ぼく1人でこの部屋を使えるのだ。

 船内のあらゆる施設に、差別はない。どのクラスの乗客でも自由に使えた。船内ではロシア語講座が開かれ、ぼくも受講したが、アルファベットに始まり、あいさつ、簡単な日常会話、名詞と、毎日1時間の授業だった。

 楽しいのは食事だ。大食堂に乗客、全員が集まる。東洋人の乗客というとぼく1人だったので、もの珍しさも手伝って、けっこういろいろな人たちに話しかけられた。単調な船内の生活、ほかにすることもないので、みんな時間をかけてゆっくりと食べる。食事は食べ放題。入口のテーブルに並べられたものの中から好きなものだけを取って食べ、そのあとメニューを見ながらメインディッシュの料理を頼むのだ。

 ルアーブルを出た次の日、いつものように甲板で海を眺めていると、若い女性に声をかけられた。

「すこし、お話ししてもいいかしら‥‥」

 なんともラッキーなことだったが、それがベチャ(エリザベス)との出会いであった。 彼女は23歳。イギリス生まれのポーランド人で、国籍はカナダ。髪の長い、スラッとした美人だ。彼女はロンドンのアメリカンスクールで子供たちに英語を教えていたが、3年ぶりに母親のいるモントリオールに帰るところだった。

 ベチャと出会ってからというもの、船旅はこの上もなく楽しいものになった。朝早く起きると、ベチャと一緒に裸足になって甲板を走る。水平線に昇る朝日を眺め、胸いっぱいに朝のすがすがしい空気を吸う。ベチャの髪は汗でキラキラ光っている。甲板を走り終わると、ジムで自転車をこぐ。それにはスピード・メーターがついていて、

「ほら、タカシ見て、30キロよ!」

 ベチャは時速30キロになったといって無邪気に喜んだ。

 日中は甲板にバスタオルを敷き、とりとめもない話しをしたり、トランプをしたり、図書館で借りた本を読みながら日光浴をした。ベチャのなんともいえないあまずっぱい匂いが漂ってくる。そのまま眠ってしまったこともあった。

 ティルベリを出てから7日目、「アレクサンドル・プシュキン号」は、大西洋からセントローレンス川に入っていった。広々とした川の両側には、緑豊かなカナダの自然が広がっている。ところどころにポツン、ポツンとカラフルな家が見える。川幅はいつしか狭くなる。ベチャと甲板の一番後ろに座り、流れていくカナダの風景に目をやった。

 最後の日だからと、ウィスキーを買い、ビンごとかわるがわるに飲んだ。北国の夏の日は、なかなか沈まない。西の空はいつまでも赤く染まっていた。

「タカシ、あなたにはじめて声をかけたときは、とってもドキドキしたわ。ほら、おぼえている? ティルベリーで船が出るまで、ずいぶんと時間があったでしょ。あのときも私たちはすぐそばにいたのよ。あのとき、ひとこと、タカシに声をかけたかった。でも、できなかった‥‥」

 ベチャはすこし酔っているようだった。色白のベチャのほほがほんのり赤く染まっている。ぼくは思わずベチャを抱きしめた。彼女の体の暖かさがぼくの体にもろに伝わってきた。

 翌朝、目をさますと「アレクサンドル・プシュキン号」は、モントリオール港に着いていた。

「もう、モントリオールなのね‥‥」

 ベチャはいつになく沈んだ表情で3年ぶりのモントリオールの町に見入った。

 船内での入国手続きが終わり、下船となる。港にはベチャのお母さんと妹が迎えにきていた。妹はベチャに負けず劣らずの美人。

「ジンドーブレ(こんにちは)、ヤクシェマシェ(ごきげんいかかがですか)」

 ベチャに教えてもらったポーランド語であいさつすると、ふたりともびっくりしたような顔をする。それを見て、ベチャはおかしそうに笑った。

 モントリオール郊外の住宅街にあるベチャの家に連れていかれる。冷たい飲み物と昼食をご馳走になった。

「ねー、タカシ、空いてるお部屋があるの。2、3日は泊まっていってくれるでしょ」

「ごめん、ベチャ、行かなくては‥‥」

 お母さんと妹にお礼をいってベチャと一緒に外に出た。ベチャは目に涙をいっぱい浮かべていた。ぼくたちは手を握り合って歩道に立ちつくし、そっとベチャのくちびるにキスした。それがぼくたちの別れだった。

 ぼくには急ぐ理由など何もなかった。

 だが…、ベチャのことを好きになりすぎていた。もし彼女のいうように2日も3日も一緒にいたら、別れがよけいに辛くなることは目に見えていたし、もしかしたら一生、モントリオールから離れられなくなってしまうような予感すらしたのだ。

 ぼくはどうしても行かなくてはならなかった。まだ「世界一周」の旅は終わっていない。これからアメリカ大陸を縦横無尽に走りまくるのだ。

 ハスラーのエンジンをかける。「自分は旅人だ」と自分で自分にいいきかせ、ちぎれんばかりに手を振るベチャの見送りを受けて走り出す。モントリオールからは、カナダを横断するトランス・カナダ・ハイウェーを西へ、西へと走ったが、思い出すのはベチャのことばかり‥‥。ベチャの笑った顔、ちょっとはにかんだ顔、不満げなときの口をとがらせた顔、目に涙をいっぱい浮かべた顔‥‥。

 ベチャの様々な表情がよみがえってくる。

 キスしたときのベチャのくちびるのやわらかな感触がよみがえってくる。

「会いたいな。もう一度、ベチャに会いたいな…」

 カナダ横断の間中、ハスラーに乗りながら、何度、その言葉を口にしたか知れない。