賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

②「50㏄バイク世界一周」(1990年)の「ミヤザワさん」

 1990年9月20日、オーストリアのウィーン滞在中のことだ。ハンガリー大使館でビザを申請したあと旧市街を歩き、ホーフブルグ宮殿などを見てまわる。午後はシェーンブルイン宮殿に行った。

 シェーンブルン宮殿はハプスブルグ家の女帝マリア・テレジアによって18世紀に建てられた豪華きわまりない宮殿で、豪華さではフランスのベルサイユ宮殿と競い合っている。部屋数がなんと1441もあるという。宮殿内は自由には見てまわれない。ガイドつきのツアーのみ。ドイツ語のツアーは次々に出ていくのだが、どうせ見学するのならすこしでもよくわかったほうがいいと、1時間あまり待って英語のガイドツアーに加わった。全部で40人ぐらいの、いろいろな国籍の人たちが女子大生風のガイドの案内で、宮殿内を見てまわった。

 ガイドツアーがはじまって30分ほどたったころ、何気なく後を振り向くと、目のとってもきれいな日本人女性が立っていた。まるで空から舞い降りてきた天女のような、突然の彼女の現れ方だった。ジーンズにパッチワーク風な模様のセーターを着、バッグを右肩にかけ、右手にシェーンブルン宮殿の日本語の案内書を持ち、左手で赤いジャケットをかかえていた。

 そんな彼女を一目見た瞬間、キューンと胸が痛くなるくらいに魅かれ、「あのー、その案内書、ちょっと…、見せてもらえます?」と声をかけてからというもの、宮殿内のツアーが終わるまでの30分間、彼女とつかず離れずといった距離で見てまわった。

 ガイドツアーが終わってからも、彼女と一緒に絵のようにきれいな宮殿内の庭園を歩いた。現実なのか、夢なのか、わからなくなるようなフワフワした気分だった。「ミヤザワです」と、彼女は自己紹介した。「カソリです」と、ぼくも自己紹介した。

 ミヤザワさんはスチュワーデス。ドイツのデュッセルドルフを拠点にしていた。

「みなさん、たくさんのお金を使ってヨーロッパを旅行されるのに、わたしはお仕事であちこち見てまわっているのが何か、申し訳なくって…」

 ミヤザワさんは雪のような白い肌をしていた。はにかみ屋さんで、すぐに恥ずかしそうにポッとほほを染める。笑顔のきれいな人で、スーッと吸い込まれそうになる。そんなミヤザワさんとウィーンの町を歩いた。市民公園のベートーベンやシューベルト、ヨハンシュトラウスの樂聖たちの銅像を見、夕暮れのベルベデール宮殿に行った。宮殿前からは、夕焼けに染まったウィーンの町並みを見下ろした。

 夜は旧市街の洒落たレストランで夕食をともにした。ドナウ産の白ワインを飲みながら彼女の故郷、信州の話を聞いた。スキーが大好き。ぼくが一度もスキーをしたことがないというと、「エー、そんな人、いるんですか…」といわんばかりの顔をして、おかしいといって笑った。ワインを飲みながらメインディッシュのサーロイン・ステーキを食べる。彼女の透き通るような目をみつめながらの夕食。それはまさに至福の時だった。

 食後の紅茶を飲みながら、またひとしきり、旅の話に花を咲かせた。彼女の大好きなイギリスの話、ドイツの古城めぐりの話…。

「わたし、ノールカップ(ヨーロッパ最北端の岬)に行ってみたいな。インドのタージ・マハルにも…」

 そんな話をしているうちに、あっというまに11時過ぎになっていた。彼女が予約を入れてる中央郵便局前の「ホテル・ポスト」まで送り、そこで握手して別れた…。

 翌朝、8時半にハンガリー大使館に行き、ビザを受け取ると、そのままハンガリー国境に向かうつもりにしていた。だがもう一度ミヤザワさんに会いたい、「さようなら」をいって出発したい…とそう思うと矢も盾もたまらず、彼女の泊まっている「ホテル・ポスト」に50㏄バイクのスズキ・ハスラー50を走らせた。彼女がすでにチェックアウトしていたら諦めるつもりにしていた。

 ホテルに着くと、フロントの年配の女性に、「ミヤザワさんは?」と聞くと、まだ部屋にいるという。301号室だという。すぐさまフロントから電話した。受話器からは彼女の明るい弾んだ声が聞こえた。

「今、ちょうど出ようとしたところなんです」といって、すぐさま、階段を駆けおりてきた。2度、3度と握手する。彼女のやわらかな、あったかな手の感触が伝わってくる。表情を崩し、顔いっぱいで喜んでくれたミヤザワさんを見て、「あー、来てよかった!」と思うのだった。

 手を振りつづけてくれるミヤザワさんの見送りを受け、今度こそはという気持ちで走り出す。リング(環状線)からハンガリー国境に通じるR10(国道10号)に入っていく。だが、どうにもこうにも体に力が入らない。すぐさまコーヒーブレイク。カフェでコーヒーを飲みながら、1時間以上もボーッとしてしまった。もう、重症…。彼女の面影がちらついて…。

 結局、その日は1日走って、たったの70キロ…。アメリカ横断では1日で600キロ以上も走った日があったというのに。まだ十分に明るいうちにガストホフ(民宿)に泊まった…。

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※管理人より

写真!!! 写真!!!!!

てか、何なんだ、このコーナー(笑)。確かに言いだしっぺは僕だけど…。