賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

シルクロード横断:第7回 平涼→蘭州

 平涼のホテル「明珠賓館」の朝食では、レストランの一角で調理人が鮮やかな手つきで麺を打ってくれた。細麺。それに香菜とネギ、辛味を入れて食べるのだが、麺も汁もじつに美味だった。「麺ロード」の「シルクロード」を実感させる朝食だ。

 8時、平涼を出発。スズキDR-Z400Sのエンジンをかけると、「今日も頼むぞ」とひと声かけて走り出す。じきに前方には立ちふさがるように連なる六盤山脈の山並みが見えてくる。その山並みに突入し、大きな峠を越える。2000メートル級の峠はトンネルで貫かれている。峠の周辺は見事な段々畑。さらにそのあともいくつかの峠を越えた。

 日本の山脈だと、たとえば奥羽山脈を越える峠はひとつだけだ。ところが大陸の山脈は幅が広く、何本もの峰々から成っているので、いくつもの峠を越える。そんな「峠越え」になる場合が多いのだ。

 象徴的だったのは2002年の「ユ-ラシア大陸横断」で越えたウラル山脈。山脈の幅は300キロ近くもあり、最初のアジアとヨーロッパを分ける分水嶺の峠を越えたあと、ほとんど1日がかりでいくつもの峠を越えていった。六盤山脈はウラル山脈ほどの幅はなかったが、そのミニ版といったところだった。

 平涼を出ると、寧夏回族自治区の一角をかすめていく。この寧夏回族自治区は南北に細長い。回族というのはイスラム民族のことで、彼らの先祖はアラビア人。イスラム教も回教になる。中国にはこれから我々が向かっていく新疆ウイグル自治区と西蔵(チベット自治区)、内蒙古(モンゴル)自治区、広西壮族自治区、それとこの寧夏回族自治区と5つの自治区がある。

 これら5自治区の中では寧夏回族自治区が最小。あっというまにその南端を横切ってしまう。六盤山脈を越えると、白い帽子をかぶったイスラム教徒を多く見かけるようになる。イスラムの世界に入ったのだ。これからトルコのイスタンブールまでは、途切れることのない広大なイスラム教徒の世界になる。

 六盤山脈を越えて甘肅省に入り、会寧の町の「清真」の看板をかかげたイスラム料理店で昼食。そのあと蘭州に向かったが、さらにいくつかの峠を越えた。

 16時30分、平涼から349キロを走り、甘肅省の省都、蘭州に到着。我々の泊まるホテルの「阿波夢大酒店」は中国の大河、というよりも世界の大河、黄河に面している。黄河は広い川幅いっぱいにとうとうと流れている。ホテルの部屋に荷物を置くと、さっそく蘭州の町歩きだ。黄河にかかる黄河新橋を渡り、河畔の公園を歩く。公園の一角の河岸からは黄河の遊覧船が出ている。モーターボートも出ている。ほかに乗客もいないのでぼく1人でモーターボートに乗ったが、料金は20元(300円)。

 蘭州の黄河は黄土色の流れではなく、真っ赤な流れ。「黄河」ではなく「紅河」。モーターボートは黄河の上流に向かったが、見た目以上に流れが速く、川面は波立っていた。黄河にかかる中山橋をくぐり抜け、北岸の白塔寺のある白塔山公園の下で折り返した。7層の白塔が目立つ白塔寺は、元の時代、チンギスハーンに会うためにチベットからモンゴルに送られたチベット仏教の高僧がこの地で死んだため、チンギスハーンが高僧を記念して建立したという。

 その夜は地獄の苦しみ。「中国風邪」の第2段階に入ったのだ。猛烈なくしゃみと流れるような鼻水は止まったが、今度は激しいセキと息もできないような鼻づまりに悩まされ、ほとんど一睡もできなかった。なんとも辛い蘭州の夜になった。「中国風邪」恐るべし!

前方には六盤山脈の山並みが連なっている
前方には六盤山脈の山並みが連なっている

六盤山脈の峠ではカボチャやヒマワリの種を売っていた
六盤山脈の峠ではカボチャやヒマワリの種を売っていた

蘭州の町並み
蘭州の町並み

蘭州を流れる黄河
蘭州を流れる黄河