賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

シルクロード横断2006

シルクロード横断:第26回 カシュガル(その1)

2006年9月12日、我ら「シルクロード軍団」は中国西端の町・カシュガルに到着すると、町の中心エイティガール広場で全員集合の記念撮影をした。 1798年に創建されたというイスラム教寺院、エイティガール寺院前の広場には中国各地や外国からの観光…

シルクロード横断:第25回 ヤルカンド→カシュガル

2006年9月11日16時、ヤルカンドに到着。この時間だと、真昼同然で暑さが厳しい。ヤルカンドはウイグル語名。中国名だと莎車になる。目抜き通りの「徳隆賓館」が我々の宿。部屋に荷物を置くとすぐに町に飛び出しプラプラ歩いた。バイクを降りたあと…

シルクロード横断:第24回 ホータン→ヤルカンド

2006年9月10日14時、ホータンに到着。 時間はまだたっぷりある。日は高く、まだ12時前といった感覚だ。ぼくはどうしても崑崙山脈を見たかった。「ニヤ→ホータン」間の「西域南道」は崑崙山脈の北麓を通っているが、崑崙の山並みはまったく見えな…

シルクロード横断:第23回 ニヤ→ホータン

崑崙山脈の北麓、「西域南道」のオアシス、ニヤに着くと「尼雅賓館」に泊まった。樹木に囲まれた静かな宿。ニヤの住民の大半はウイグル族。いわゆる中国人の漢族は15パーセントほどの人口でしかない。「ニヤ」はウイグル語だが、中国名だと「民豊」(ミン…

シルクロード横断:第22回 塔中→ニヤ

2006年9月9日、7時起床。この時間だと、まだ暗い。トイレをすませ、シャワーを浴びたところで外に出る。ひんやりとした砂漠の朝の空気。7時半、夜明け。さっそく目の前の砂丘に登る。タクラマカン砂漠の砂は白っぽい。砂の壁を崩しながら這うように…

シルクロード横断:第21回 倫台→塔中

天山山脈南麓の町、倫台で「天山南路」の国道314号を離れ、「タクラマカン砂漠縦断路」の「砂漠公路」に向かっていく。いよいよ「タクラマカン砂漠縦断」の開始だ。 その入口には「塔里木(タリム)沙漠公路」のゲートがあり、「砂漠公路」完成の記念碑が…

シルクロード横断:第20回 コルラ→倫台

天山山脈南麓のコルラの夜明け。 トイレ、シャワーをすませると、さっそく夜明けの町を歩く。さわやかな朝の空気。歩道も車道もきれいに掃ききよめられ、ゴミひとつ落ちていない。鉄道はカシュガルまで通じているが、列車の汽笛が聞こえてくる。 1時間ほど…

シルクロ-ド横断:第19回 トルファン→コルラ

2006年9月7日9時、トルファンを出発。「吐魯番賓館」前のブドウ棚の道から目抜き通りに出、国道312号を西に行く。20キロほど走った一木一草もない砂漠の中に、「G312 4000」と表示された国道312号の「4000キロ」のキロポストがポ…

シルクロード横断:第18回 トルファン(その3)

2006年9月6日、午前中はバイクで「交河故城」と「カレーズ博物館」をめぐり、午後は有志をつのってタクシーツアーでアイディン湖に向かった。ここは海面下の世界だ。 タクシーは中国製フォルクスワーゲンのサンタナ。トルファンの町を出ると、交河故城…

シルクロード横断:第17回 トルファン(その2)

2006年9月6日、この日は一日、トルファンに滞在。 6時に起床し、トイレ、シャワーのあと町を歩く。7時になってもまだ、真っ暗だ。外は半そで1枚で十分。街角で明かりがついているのはナン屋で、すでにナンをつくりはじめている。イスラム教寺院のモ…

シルクロード横断:第16回 トルファン

2006年9月5日、昼食後、トルファン郊外のベゼクリク千仏洞へ。周囲の山々は燃え盛る炎のような真っ赤な山肌をしている。赤い山肌には草木一本もない。国道312号からそんな赤い山並みの中に数キロ入ったところに、ベゼクリク千仏洞はある。 「ベゼク…

シルクロード横断:第15回 ハミ→トルファン

2006年9月5日早朝、ハミのホテル「哈密賓館」で、神戸から天津への「燕京号」で一緒だった趙文利さん(第2回目参照)に再会した。うれしいというよりも、驚きの再会だ。大連で会社を経営している趙さんは、我々のために4個のハミウリを持ってきてく…

シルクロード横断:第14回 甘肅省境→ハミ

2006年9月4日、甘肅省から新疆ウイグル自治区に入った。同じ中国とはいっても、何か別な国、新疆国に入ったかのような感じを受ける。道標は漢字とともにウイグル文字でも書かれている。時間は正式には中国の標準時間の北京時間だが、それとは2時間の…

シルクロード横断:第13回 敦煌→甘肅省境

2006年9月4日、名残おしい敦煌を出発。国道215号を北へ。平原の中に舗装路が一直線に延びている。あたり一面、半砂漠の荒涼とした風景だが、国道沿いにはピンクの花をつけたタマリスクや刺のついたラクダ草が目につく。 ところで敦煌からこの国道2…

シルクロード横断:第12回 敦煌

2006年9月3日、その日は1日、敦煌に滞在。敦煌といえば井上靖の名作『敦煌』の舞台だ。 「趙行徳が進士の試験を受けるために、郷里湖南の田舎から都開封へ上がって来たのは、仁宗の天聖4年(西紀1026年)の春のことであった」。 このような書き…

シルクロード横断:第11回 嘉峪関→敦煌

2006年9月2日、8時30分、嘉峪関のホテル「青年賓館」を出発。現代版のシルクロード、国道312号を西へ、西へと走る。道は快適な2車線の舗装路。ところが工事中の区間になると、延々と砂漠の中に迂回路がつづく。もうもうと砂煙を巻き上げてトラ…

シルクロード横断:第10回 張掖→嘉峪関

2006年9月1日。今日はぼくの誕生日。なんとも月日のたつのは早いもので、59歳になった。20歳のときにスズキTC250で「アフリカ一周」して以来、ずっと世界を駆けめぐっているので、39年目の「旅人生」ということになる。いままでに何度、こ…

シルクロード横断:第9回 武威→張掖

2006年8月31日、いつものように朝起きると、目覚めたばかりの早朝の町を歩く。ホテルに戻ると朝食。そのころから雨が降ってきた。西安を出てからというもの天気の悪い日がつづいているが、武威でも雨具を着ての出発となった。武威を出ると、広大な草…

シルクロード横断:第8回 蘭州→武威

「シルクロード横断」では毎朝、夜が明けると目覚め、シャワーを浴び、さっぱりした気分で町を歩くのがぼくの日課になっていた。ところが蘭州では「中国風邪」にすっかりやられ、体調を崩してしまい、それができなかった。だが、夜明け前ごろにわずかでも寝…

シルクロード横断:第7回 平涼→蘭州

平涼のホテル「明珠賓館」の朝食では、レストランの一角で調理人が鮮やかな手つきで麺を打ってくれた。細麺。それに香菜とネギ、辛味を入れて食べるのだが、麺も汁もじつに美味だった。「麺ロード」の「シルクロード」を実感させる朝食だ。 8時、平涼を出発…

シルクロード横断:第6回 西安→平涼

2006年8月28日、いよいよバイクでの西安出発の朝を迎えた。6時、朝食。7時、出発。それに先立って、出発のセレモニー。「目指せ、イスタンブール!」の掛け声とともに、全員で「エイエイオ-」と気合を入れた。あいにくの空模様で雨具を着て走り出…

シルクロード横断:第5回 西安

シルクロードの起点、西安は1日かけてまわった。まずはシルクロ-ドの出入り口、「西の城門」。西安の城壁は全長13キロ。この城壁に囲まれた内側が昔の長安の都の中心になる。現在は城壁の外側にも市街地が広がっているが、城壁内は「城区」、城壁外は「…

シルクロード横断:第4回 平遙→西安

2006年8月25日、「世界遺産の町」平遙から「シルクロ-ドの起点」西安へ。その途中では運城の町で一晩泊まった。ホテルのレストランでの夕食。すごい料理の数々で、冷菜が10皿、出た。そのあとエビのフライや鶏肉、青菜、餅風の油揚、ジャガイモ、…

シルクロード横断:第3回 天津→平遙

2006年8月24日、いよいよ天津、出発の日を迎えた。だが、残念ながらバイクで走り出すことはできない。中国の公安当局は10台までのバイクだったら天津から走ってもいいという許可を出した。しかし我々のバイクは全部で15台。10名だけがバイクと…

シルクロード横断:第2回 神戸→天津

2006年8月18日12時00分、我々「シルクロード横断」のメンバー、総勢18人を乗せた中国船「燕京号」は神戸港を出港。しばらくは甲板に立ち尽くし、中国製「燕京ビール」(200円)を飲みながら、離れゆく神戸の町並みを眺めた。 そのあと船内の…

シルクロード横断(東京→イスタンブール):第1回 東京→神戸

「シルクロード」は子供の頃からの憧れ。10歳(小学校4年)のときのことだ。国語の教科書でスウェ-デンの探検家、スウェン・ヘディンの「タクラマカン砂漠横断記」を読んだ。命がけで大砂漠を越え、ホータン川の河畔にたどり着くまでの物語は胸が熱くな…