賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

2008-06-15から1日間の記事一覧

シルクロード横断:第12回 敦煌

2006年9月3日、その日は1日、敦煌に滞在。敦煌といえば井上靖の名作『敦煌』の舞台だ。 「趙行徳が進士の試験を受けるために、郷里湖南の田舎から都開封へ上がって来たのは、仁宗の天聖4年(西紀1026年)の春のことであった」。 このような書き…

六大陸食紀行:第15回 オーストラリア

(共同通信配信 1998年~1999年) オーストラリアは大陸を2周した。全行程7万キロ2000キロ。地球2周分ぐらいの距離を走ったことになる。 オーストラリア人はアメリカ人と同じように、ハンバーガーが大好きだ。うまいハンバーガーを食べようと…

六大陸食紀行:第14回 中央アジア・モンゴル

(共同通信配信 1998年~1999年) モンゴルの首都ウランバートルを出発点にして“草原の国”をバイクで走った。草原のいたるところで羊や山羊、馬、ラクダなどの家畜の群れを見る。遊牧民のテントのゲルもよく見かける。 ゲルの中からは、バイクのエン…

六大陸食紀行:第13回 中央アジア・新疆

(共同通信配信 1998年~1999年) 北に天山山脈、南に崑崙山脈、西にパミール高原と、高い山々に囲まれた中央アジアのタクラマカン砂漠を一周した。その出発点は中国・新疆ウイグル自治区の中心地ウルムチ。 オアシスの町や村の食堂で一番よく食べた…

海を渡った伊万里焼を追って(2)

(『海を渡った日本のやきもの』1985年・ぎょうせい、所収) 日本とマカオの結びつきは深く、なおかつ古い。種子島に鉄砲を伝えたポルトガル船も、日本ではじめてキリスト教を布教したフランシスコ・ザビエルも、マカオを中継してやってきた。近世の初期…

海を渡った伊万里焼を追って(1)

(『海を渡った日本のやきもの』1985年・ぎょうせい、所収) 江戸時代、日本の伊万里焼(有田焼のこと)は長崎からバタビア(現在のジャカルタ)、アフリカ南端のケープタウン経由でオランダへ、さらにはヨーロッパ各国へと送られた。それは「イマリ・ロ…

⑦「秘湯めぐりの峠越え」(1994年~1995年)の「錦戸陽子さん」

1995年6月10日、大分県の長湯温泉「丸尾旅館」に泊まった。 翌朝は、宿の湯に入ったあと、芹川の河畔にある無料湯の混浴露天風呂「カニ湯」に入る。川の流れを目の前に見、対岸に旅館街を眺める湯だ。早めにしてもらった朝食を食べ、7時30分に長湯…

六大陸食紀行:第12回 東南アジア・カンボジア

(共同通信配信 1998年~1999年) 「インドシナ一周」の最後はベトナム国境からタイ国境までのカンボジア横断だ。内戦の最中で、情勢のきわめて悪い時期。それこそ命を張ってのカンボジア横断になったが、その中でも私はしっかりと食べ歩いた。 首都…

六大陸食紀行:第11回 東南アジア・ベトナム

(共同通信配信 1998年~1999年) ラオス北部のほとんど交通量のない山道を走り、タイチャン峠に到着。幾重にも重なり合った山々を一望する。 峠がラオスとベトナムの国境で、峠上にはベトナムの国境警備隊の事務所と宿舎があった。すんなりとベトナ…

甲武国境の山村・西原に「食」を訪ねて(その10)

(日本観光文化研究所「あるくみるきく」1986年10月号所収) 再び西原へ 5月中旬にひきつづいて5月下旬にも西原を訪ねた。その時は下城の「白芳館」に泊まった。白芳館は木造3階建の旅館で、それまでに何度か泊まっている。私の西原での定宿になっ…

⑥「サハリン」(1991年)の「キセニア」

1991年8月14日、いよいよ迎えたサハリンへの出発の朝。気持ちが高ぶっている。午前10時、稚内港のフェリーターミナルで、出国手続き。“WAKKANAI”の文字の入った出国印が、ポンと、パスポートに押される。 「これで、日本を離れていくんだ」 …