賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

シルクロード横断:第13回 敦煌→甘肅省境

 2006年9月4日、名残おしい敦煌を出発。国道215号を北へ。平原の中に舗装路が一直線に延びている。あたり一面、半砂漠の荒涼とした風景だが、国道沿いにはピンクの花をつけたタマリスクや刺のついたラクダ草が目につく。

 ところで敦煌からこの国道215号を南下すると青海省に入り、終点のゴルムドで国道109号に合流する。国道109号は北京が起点。101号から112号までの100号台の国道はすべて北京が起点で中国大陸の各地へと放射状に延びている。

 そして国道109号は北京から寧夏回族自治区の中心銀川、甘肅省の省都蘭州、青海省の省都西寧、そしてゴルムドを通り、タングラ山脈のタングラ峠を越えてチベットのラサに通じているのだ。ラサが終点。敦煌のバスターミナルで見たラサ行きのバスも、敦煌から国道215号→国道109号でラサまで行く。

 国道215号の路肩にバイクを停め、小休止。

「この道がチベットに通じている!」

 と思うと、胸がジーンとしてくる。

 1999年にはチベットのラサを出発点にして、中国製バイクを走らせ、1200キロ西の聖山、カイラスまで走った。その間では全部で25の4000メートル級の峠を越えた。最も高い峠は標高5260メートルのマユム峠だった。中国製のバイクは5000メートルを超える高所でもエンジンをブスブスいわせながらも走ってくれた。

 ぼくはすっかり高山病にやられ、おまけにダートのギャップにはまって30メートルも吹っ飛ばされ、ほとんど首のまわらない状態でバイクにのりつづけた。青息吐息の「チベット行」だったので、今度は「より良い状態」でチベットを走ってみたいとリベンジを誓っている。なんとしてもチベットを再訪しなくては…。

 1999年のときには「ラサ-カイラス」を往復したので、次の機会にはラサからカイラスを通り、崑崙山脈の5000メートル級の峠を越えて新疆ウイグル自治区に入り、タクラマカン砂漠へと下り、中国西端の都市、カシュガルまで走ってみたいと思っている。シルクロードを走りながらぼくの頭の中は次へ、またその次へ…と、いつも次の旅のプランでいっぱいだ。

 敦煌から国道215号を120キロほど走ると柳園に到着し、国道312号に合流。また国道312号に戻ってきた。柳園には敦煌駅がある。駅名こそ「敦煌」だが、ここから敦煌ははるかに遠い。

 柳園からは国道312号を西へ。やがて天山山脈の山並みが見えてくる。まさにシルクロードのシンボルといってもいい全長2000キロもの天山山脈。今、その東端にやってきた。

 これから先、中国から天山山脈とパミール高原の境となるトルガルト峠を越えて中央アジアに入り、キルギスからカザフスタン、ウズベキスタンまで、ずっとこの天山山脈を見ながらの旅になる。そんな天山山脈との初めての対面。スズキDR-Z400Sに乗りながら右手の天山山脈の前山を感激の面持ちで眺めるのだった。

 柳園から国道312号を西へ。100キロほど走ると、甘肅省と新疆ウイグル自治区の省区境に到着。その手前にあった「ハミ210キロ、トルファン617キロ、ウルムチ737キロ」の道標が何とも印象深かった。

 省区境のレストハウスで昼食。食後に食べた名産の「ハミウリ」がうまかった。「ナツメ」の実も食べた。日本では最近は少なくなってしまったナツメだが、かつては庭木として、多くの家々で植えられていた。乾燥させた実は医薬品として使われた。このナツメも奈良時代、もしくは平安時代、シルクロードを通って日本にもたらされたものだ。

 こうして我々は西安を出発してから8日目に新疆ウイグル自治区に入った。西安からは2129キロ。この省区境を越えるということは、国境を越えるようなもので、同じ中国とはいっても別世界に入っていくことを意味した。

国道215号沿いで見たタマリスク
国道215号沿いで見たタマリスク

国道312号での小休止。両手を上げているのは中国人スタッフの藩さん
国道312号での小休止。両手を上げているのは中国人スタッフの藩さん

「ハミ210キロ、トルファン617キロ、ウルムチ737キロ」の道標
「ハミ210キロ、トルファン617キロ、ウルムチ737キロ」の道標

ここが甘肅省と新疆ウイグル自治区の境。国境のようなものだ
ここが甘肅省と新疆ウイグル自治区の境。国境のようなものだ