賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

シルクロード横断:第23回 ニヤ→ホータン

 崑崙山脈の北麓、「西域南道」のオアシス、ニヤに着くと「尼雅賓館」に泊まった。樹木に囲まれた静かな宿。ニヤの住民の大半はウイグル族。いわゆる中国人の漢族は15パーセントほどの人口でしかない。「ニヤ」はウイグル語だが、中国名だと「民豊」(ミンフォン)になる。ニヤの東のチェルチェン、チャエイクリクも同様で、「西域南道」のオアシス群はウイグル名と中国名の2つの地名をもっている。

 ニヤ到着は15時と早かった。たっぷりと時間があるので、町を歩いた。市場歩きが楽しい。露店ではブドウやハミウリ、スモモ、スイカなどを売っている。ここは絨毯の名産地だが、何枚もの絨毯を店先にぶら下げた絨毯店がカラフル。オアシスの町に華やかな色どりを添えている。

 肉屋で売っているのは羊肉が大半だ。店の裏で生きている羊の首を切り、皮をはぎ、転倒にぶらさげて売っている。中には1頭まるごと買っていく人もいる。食堂の店先では大鍋で麺をゆでている。我々のレストランでの夕食も麺。ニヤはそれほど大きくもなく、かといって小さくもなく、町歩きを楽しむのにはちょうどいいサイズのオアシスだった。

 ニヤの町の北、120キロほどのところにニヤ遺跡がある。今では砂に埋もれた遺跡だが、1901年にイギリス人の探検家オーレル・スタインらによって発見された。この遺跡は崑崙山脈から流れ出るニヤ川の末端にあって南北25キロ、東西7キロにわたって散在する集落址。かつての「西域南道」は、このあたりを通っていたということなのか…。 玄奘三蔵はインドからの帰路、「西域南道」を通って東に向かった。

「これ(ニヤ)より東は大流沙で、砂漠の砂が流れ動く。その集散は風まかせで、人の通った跡もなく、迷路が多い。あたり一面茫々として、目印もない」と、『大唐西域記』に書いている。「西域南道」の中でも、ニヤからチャリクリクにかけての区間は一番の難所だった。

 2006年9月10日、朝粥や饅頭の朝食を食べ、9時にニヤを出発。「西域南道」の国道315号を行く。崑崙山脈の山裾を通っているのだが、崑崙の山並みはまったく見えない。時々、風が強くなると、サー、サーッと砂が舗装路の上を流れていった。大きなオアシス、ケリア(中国名・于田)を通ってホータンへ。ホータンに近づくと、ポプラ並木になり、国道沿いには点々と集落が見られるようになる。

「西域南道」の中心、ホータンは大きなオアシスだ。1994年に来たときよりも、さらに町並みは拡大している。崑崙山脈から流れ出るホータン川を渡り、ホータンの町へと入っていった。ニヤから305キロ走ってホータンに到着。なつかしの「和田賓館」に泊まった。

 1994年の「タクラマカン砂漠一周」は「道祖神」のバイクツアー、「カソリと走ろう!」シリーズの第2弾目だった。この「和田賓館」に着いたときは、参加者のみなさんと「ホータン到着、おめでとう!」の乾杯を玄関前で繰り返した。あのときの歓喜に満ちた顔、顔、顔…が思い出される。

 そして日本に帰っていくみなさんたちとはここで別れ、ぼくはニヤ→チェルチェン→チャリクリク→コルラ→トルファンと通ってウルムチに向かった。過ぎ去った10余年の歳月が一瞬にして蘇ってくるようなホータンの「和田賓館」だった。

ニヤの町を歩く。露店ではブドウを売っている
ニヤの町を歩く。露店ではブドウを売っている

カラフルな絨毯店
カラフルな絨毯店

肉屋の店先には羊肉がぶらさがっている
肉屋の店先には羊肉がぶらさがっている

食堂の店先では麺をゆでる
食堂の店先では麺をゆでる