賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

シルクロード横断:第24回 ホータン→ヤルカンド

 2006年9月10日14時、ホータンに到着。

 時間はまだたっぷりある。日は高く、まだ12時前といった感覚だ。ぼくはどうしても崑崙山脈を見たかった。「ニヤ→ホータン」間の「西域南道」は崑崙山脈の北麓を通っているが、崑崙の山並みはまったく見えない。この先、「ホータン→ヤルカンド」間でもまず見えないのはわかっていた。

 そこでタクシーをチャーターし、崑崙山脈の山中まで行ってみることにした。まわりの人たちに声をかけると、井染さん、斎藤さん、石井さんがのってくれた。タクシーのチャーター代は400元。1人100元(約1500円)の崑崙山脈へのタクシーツアーだ。

 さー、出発。胸がわくわくする。タクシーはホータンの町中を走り抜け、ホータン川に沿って南へ。崑崙山脈への入口の町を過ぎると、いきなりといった感じで崑崙の山並みが見えてくる。切り立った山の姿。ギザギザした形の岩峰群だ。

 タクシーはガタガタ道の難路を走り、標高2030メートルの峠を越える。峠を下った谷間は「桃源郷」を感じさせるようなところだった。そこで引き返し、ホータンの町に戻ったが、憧れの「崑崙」を目にしてぼくの胸は高鳴った。

「和田賓館」内のレストランで飯、饅頭、麺の夕食を食べたあとは今度はホータンの町を歩くのだった。

 翌朝は7時、起床。まだ暗いホータンの町を歩く。明かりがついているのはナン屋。すでにナンを焼きはじめ、焼きたてのナンを店先に並べている。朝食を食べ、9時出発。「西域南道」の国道315号を西へ。ヤルカンドを目指す。

 すごくうれしかったのは、やっと「中国風邪」が治ってきたことだ。猛烈なクシャミからはじまり、鼻水→鼻づまり→せき→たん、と2週間も痛めつけられた。同じような症状の「中国風邪」には何人ものメンバーもやられた。

 ホータン周辺のオアシス群を抜け出ると、茫々と広がるタクラマカン砂漠を行く。その中に一直線に舗装路が延びている。交通量はそれほど多くはない。

 ホータンから260キロほど走ると、カルグリックに到着。中国名だと叶城(イエチェン)になる。この町の手前が国道219号との分岐点。そこには直進が「叶城」、左折が「阿里」の道標があった。阿里は西チベットの地域名。そこまでは1000キロ以上の距離があり、崑崙山脈の5000メートル級の峠を越えていく。

 1999年、チベットのラサを出発点にし、中国製の125㏄バイクで聖山カイラスまでの往復2600キロを走った。その間では4000メートル級の峠を20以上越えた。一番高い峠は標高5260メートルのマユム峠だった。カイラスからそのまま西に向かって走れば、カルグリックへと下ってこられる。シルクロードの「西域南道」を走りながら、「今度はチベットから新疆へ!」と、新たな旅を夢みるのだった。

 カルグリックの食堂で昼食。ここでは羊肉入りのピラフを食べた。ピラフといえば西アジアのもの。それがシルクロード経由で中央アジアへと伝わった。ここでは「ピラウ」といっている。食べ物で中央アジアを見るとおもしろい。東アジアの饅頭や麺、飯と西アジアのナン、ピラフが激しくぶつかりあい、混じり合っている。まさに中央アジア。中央アジアは「アジアの十字路」だ。

 ホータンから333キロ走り、16時にヤルカンドに到着。一大オアシス群の中心となる町だ。ここまで来ると、中国西端の町、カシュガルがもう近い。

ホータンの目抜き通り
ホータンの目抜き通り

崑崙山脈の山並みを間近に見る
崑崙山脈の山並みを間近に見る

国道315号と国道219号の分岐点
国道315号と国道219号の分岐点

カルグリックの食堂で羊肉入りのピラフを食べる
カルグリックの食堂で羊肉入りのピラフを食べる