賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

シルクロード横断:第3回 天津→平遙

 2006年8月24日、いよいよ天津、出発の日を迎えた。だが、残念ながらバイクで走り出すことはできない。中国の公安当局は10台までのバイクだったら天津から走ってもいいという許可を出した。しかし我々のバイクは全部で15台。10名だけがバイクというわけにはいかない。そこで、シルクロード起点の西安までは15台のバイクをトラックに積み、西安まではバスツアーで行くことになった。天津出発は昼過ぎになりそうだという。

 

 ということで、「天津友誼賓館」のレストランで朝食を食べると、午前中は天津の町を歩いた。まずは海河の河畔近くの市場を歩く。ここでぼくの目をひきつけたのは路上でコオロギを売っている人たち。小さなカンにコオロギが入っている。中国人はコオロギが大好きだ。買い手は真剣な目つきで1ぴき1ぴきの鳴き声を確かめている。そこでは最高額紙幣の100元札がバンバン飛び交っている。日本でいえば1万円札が飛び交うようなもの。いい音色のコオロギは相当な値段で取引されていた。

 

 海河にかかる赤峰橋を渡って天津駅へ。北京や上海、広州など中国各地への列車が次々に出ていく。瀋陽や長春、ハルビンといった東北地方への列車も多い。2004年にはスズキQS110という中国製のスズキ車で中国・東北をグルリと一周したので、それら東北地方の都市名を目にすると胸がジーンとしてくるのだ。

 

 昼過ぎにホテルに戻ると、出発はさらに大幅にズレ込むという。バイクのナンバープレートと運転免許証の発行に手間取っているからだ。なにしろ15台ものバイクだから仕方ない。中国では国際登録ナンバーは通用しないので、中国のナンバープレートに付け替えなくてはならない。我々のバイクに「臨時入境」のナンバープレートをつけることでこの問題をクリアした。

 

 次に運転免許証だが、やはり中国では国際運転免許証は通用しないので、中国の国内免許証を取らなくてはならない。それは有効期限と走行ルートの指定されたもの。最初は講習を受けなくてはならないといわれたが、道祖神の菊地さんらの強力なプッシュのおかげで講習を受けなくても発行してもらえることになった。それらの難関をすべてクリアしたのは夕方になってから。バスに乗り込んで天津を出発したのは19時だった。

 

 バスは天津の市街地を抜け出ると、高速道路を時速100キロ以上のスピードで突っ走る。中国の高速道路の建設は各地で急ピッチで進んでいる。近い将来、高速道路の総距離数はアメリカを上回るとさえいわれている。華北省の省都、石家荘周辺はとくに交通量が多く、大型トラックが途切れることのない列をなして疾走していた。それはまるで夜間の東名高速を思わせるような光景だった。

 

 ゆるやかな峠を越えて華北省から山西省に入る。省都の太原を通り、午前5時30分、天津から670キロの平遙に到着。この町のホテル、「古城酒店」の部屋に入るなり、バタンキューの爆睡状態で昼まで眠った。昼食は麺専門店。「刀削麺」を食べた。字の通りで、麺は刀で削ったような形をしていた。

 

 その店には「世界面食在中国 中国面食在山西 山西面食数第一」(世界の麺食の中心は中国 中国の麺食の中心は山西省 山西省の麺食の種類の多さは中国第一)と大書されていた。平遙は城壁で囲まれた町。町全体が世界遺産に登録されている。そんな平遙の町を歩いた。城壁から見下ろす城内の町並みは心に残るものだった。

 

天津→平遥
天津→平遥

 

天津のコオロギ売り
天津のコオロギ売り

 

天津の中心街を流れる海河
天津の中心街を流れる海河

 

平遙の「刀削麺」
平遙の「刀削麺」

 

城壁から見下ろす平遙の町並み
城壁から見下ろす平遙の町並み