賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

シルクロード横断:第15回 ハミ→トルファン

 2006年9月5日早朝、ハミのホテル「哈密賓館」で、神戸から天津への「燕京号」で一緒だった趙文利さん(第2回目参照)に再会した。うれしいというよりも、驚きの再会だ。大連で会社を経営している趙さんは、我々のために4個のハミウリを持ってきてくれた。趙さんは繰り返しになるが、国籍こそ中国だが純粋の日本人。なんとも数奇な人生を送っている。

 趙さんのおじいさんは兵庫県の出身。中国・東北(旧満州)の黒龍江省ジャムスに満蒙開拓団で入った。終戦間近のとき、一家は大連へ。その途中、おじいさんが亡くなり、お父さんは長春(旧新京)で孤児になった。お父さんは戦後のどさくさの中を生き延び、新疆ウイグル自治区に移り住み、ウルムチで日本人女性と結婚した。お母さんもやはり戦争孤児だった。ウルムチで生まれた趙さんは18歳までハミですごし、ハミの学校を卒業した。今回、大連からハミにやってきたのは学校の同窓会に出席するためだった。

 趙さんのお父さん、お母さんは1976年に日本に帰ったが、趙さんはそのまま中国に残った。今、大連を拠点にし、中国語と日本語を駆使し、中国と日本の架け橋的な仕事をしている。時代に翻弄された趙さんの人生は劇的だ。ガンバレ、趙さん! 負けるな!

「ハミは変わりましたねえ…」と趙さんは感慨深げに、しみじみとした口調でいった。

 そんな趙さんと別れ、朝食後、9時にハミを出発。トルファンへ。

 国道312号を行く。天山山脈の山並みを右手に眺めながらスズキDR-Z400Sを走らせる。平原から天山山脈の山中の谷間へと下っていく。そこが難所の「風の谷」。猛烈な風が吹きまくり、バイクは風にあおられ、スーッともっていかれてしまうほどの風の強さだという。

 ぼくは「南米一周」(1984年~1985年)で走ったパタゴニアを思い出す。ほぼ1年中、強風の吹き荒れるパタゴニア。アンデス山脈を吹き下ろしてくる偏西風の強風にあおられながらバイクを走らせた。道は曲がりくねっているので、風の吹いてくる方向は一定ではない。真正面から吹かれると、いくらアクセルを開いても、スーッとスピードは落ちてしまう。反対に追い風になると、アクセルから手を離しても、相当のスピードキープしたままバイクは走ってくれた。それほどの風の強さ。怖いのは真横から吹きつける風だった。道幅の広いダートを南下していったのだが、道の右端を走っていても、あっというまに左端までもっていかれることが何度となくあった。

 シルクロードの「風の谷」もそれに匹敵するくらいの風の強さだと聞いていたので、我々は一列縦隊で極力、国道の右端を走るようにした。風にもっていかれ、センターラインをはみ出したら、それこそ大事故になりかねない。国道312号はアンデス山麓のパタゴニアの道とは違って大型トラックやバスがしきりなしに通っている。だが、ラッキーなことに、この日の「風の谷」はそれほどの強風ではなく、我々は無事に難所を突破し、トルファン近郊までやってきた。それとともに、今度は猛烈な暑さに見舞われる。ドクドクと汗が流れ落ちる。熱風の渦巻くトルファン盆地に入ったのだ。

 国道沿いの食堂で昼食。そこでは店の前でナンを焼いている。麺もつくっている。そんなナンづくり、麺づくりを見せてもらったあとで、焼きたてのナンをかじり、麺の上に具をのせた「皿うどん」を食べた。

シルクロードを行く積荷満載の大型トラック
シルクロードを行く積荷満載の大型トラック

昼食の麺
昼食の麺

ナンづくりを見る
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麺づくりを見る
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