賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

シルクロード横断:第4回 平遙→西安

 2006年8月25日、「世界遺産の町」平遙から「シルクロ-ドの起点」西安へ。その途中では運城の町で一晩泊まった。ホテルのレストランでの夕食。すごい料理の数々で、冷菜が10皿、出た。そのあとエビのフライや鶏肉、青菜、餅風の油揚、ジャガイモ、川魚などさらに10皿の熱菜が出た。

「菜」は料理といった意味。なにもこれが特別なのではなく、毎夕、このくらいの料理が出る。さすが「食の中国」だけのことはある。我々メンバ-は円卓にすわってそのような豪勢な料理を取り囲み、中国製のビールを飲みながら食べた。が、とてもではないが食べきれない。毎食、かなりの量を残すのだった。

 運城から西安へ。その途中で黄河を渡る。さすが世界の大河、黄河はとうとうと流れていた。その名前どおり、黄土をとかしたような川の色。黄河を渡ると山西省から陜西省に入る。

 西安郊外の「華清池」には昼前に着いた。ここは唐の第6代皇帝の玄宗が楊貴妃を連れてしばしばやってきた温泉。玄宗のつかった湯船、楊貴妃のつかった湯船などが残されている。今でも43度という源泉が流れ出ているが、ここは3000年もの歴史を誇る温泉地。周の王室がここに別荘を持ったときから華清池の温泉の歴史が始まるという。さすが「歴史の中国」だけあって、日本とは桁違いの歴史。日本最古の温泉といわれてる奈良県の湯の峰温泉でも、おそらくその歴史は千何百年といったところだろう。

「華清池」の食堂で昼食。「わんたん」を食べた。それと幅広の麺に具のたくさんのった「炸醤麺」を食べた。ともに値段は5元。日本円で75円。中国の食物は安い!

「華清池」の次は秦の始皇陵近くにある「兵馬俑坑」に行く。ここには1号から3号まであるが、最大の1号坑からは6000体にものぼる兵馬俑が発見された。そこには武人俑や戦車用陶馬、金属兵器などが発掘当時のまま展示されている。

 1974年3月、農民が井戸を掘っているときにこの秦代の兵馬俑坑が発見されたのだが、まさに驚きの世紀の大発見。今では「兵馬俑坑」は西安の、というよりも中国屈指の大観光地になっている。

「華清池」と「兵馬俑坑」のあと、西安の中心街に入っていく。昔の長安の都だ。前漢の時代に初めてここを都に定めて以来、前趙、前秦、後秦、西魏、北周、隋、唐など全部で11の王朝が長安を都とした。唐の時代は世界でも最大の都市といわれた。中国では洛陽と並ぶ代表的な古都の西安は昔も今も大都市だ。西安の人口は800万人。中国では北京、上海、天津、重慶、広州に次ぐ6番目の都市になっている。

 我々の泊まったホテルの「東方大酒店」からは、西安の町を歩いた。朱雀大街を歩き、城壁内に入っていく。

「今、長安の都を歩いている!」

 といったたまらない気持ちになり、歩きながらわけもなく「ウワ-ッ!」と、大声で叫びたくなった。

 西安は城壁に囲まれた町で、それがほぼ完全に残されている。鼓楼と鐘楼が町の中心。中国のパリといったところで、若者たちであふれかえっていた。「麦当労」(マクドナルド)に入ると、ほぼ満席という大盛況ぶり。鐘楼からは南大街→長安路と歩いてホテルに戻ったが、「いよいよこれからシルクロードを走り出すのだ」といった胸の熱くなるような気分に襲われるのだった。

運城の夕食。「冷菜」が全部で10皿。このあとさらに「熱菜」が10皿出る
運城の夕食。「冷菜」が全部で10皿。このあとさらに「熱菜」が10皿出る

「華清池」の温泉。43度の源泉が流れ出ている
「華清池」の温泉。43度の源泉が流れ出ている

「兵馬俑坑」の1号坑に並ぶ6000体もの兵馬俑
「兵馬俑坑」の1号坑に並ぶ6000体もの兵馬俑

西安の中心、ライトアップされた鐘楼
西安の中心、ライトアップされた鐘楼