「南米・アンデス縦断」(38)
12月24日7時、コピアポの「ホステリア・ラスピルカス」の朝食。ジュース、パンとハム、チーズ、フルーツポンチを食べ、コーヒーを飲んで出発だ。
国道5号を南へ。朝のうちは冷たい霧がたちこめていた。霧が切れると青空が広がった。アタカマ砂漠は終わったが、乾燥した風景がつづく。まわりの山々に緑はまったく見られない。
国道沿いのレストランで昼食。カツとソーセージにライスが添えられている。ライスの上にはオリーブの実がのっている。
15時、コピアポから340キロのラ・セレナに到着。ここが今日の目的地。「ラ・セルナプラザホテル」に入ると、さっそく町を歩く。町の中心はアルマス広場。そのまわりにはカテドラル(大聖堂)や市庁舎、郵便局がある。ここから海岸まで歩く。海岸に出たところには灯台が立っている。
そこから南へ。ラ・セレナビーチの長い砂浜がつづく。クリスマス休暇の観光客の姿を多く見かけたが、海に入っている人はほとんどない。寒流のフンボルト海流が流れているので冷たい海なのだ。
ビーチを歩き終えて灯台まで戻ると、警察のバイク隊のみなさんが灯台前に集結していた。カメラを向けると、隊長はピシーッと背筋を伸ばしてポーズをとってくれた。バイク隊の隊長に「我々もバイクでハポン(日本)からチリまで来たんですよ」というと、同じバイク仲間ということで喜んでくれた。
バイク隊のみなさんに手を振って別れ、町に戻っていった。
ラ・セレナはスズキの250ccバイク、DR250Sを走らせての「南米一周」(1984年~1985年)での思い出の地。チリの首都のサンチャゴから500キロを走り、ラ・セレナまでやってきた。そしてこの町からアンデス山脈のアグアネグラ峠(4765m)を越え、アルゼンチンを目指したのだ。
ラ・セレナから60キロ東のビクーニャまでは舗装路。アンデス山脈から流れてくる川に沿った道で、沿道にはブドウ園が見られた。
ビクーニャでタンクを満タンにした。タンクは9リッター。それと5リッターの予備のポリタンにもガソリンを入れた。さらにいつも非常用に1リッターのガソリンを持っているので、15リッターのガソリンを確保した。
DR250Sの燃費は1リッター当たり約30キロなので、計算上では約450キロ走れる。これでアグアネグラ峠を越え、アルゼンチン側のサンファンまで十分に行き着けるはずだと計算した。
ビクーニャを出発したときは5000メートル近い峠を越えるということで、ずいぶんと緊張した。
舗装路が途切れ、ダートに突入すると大きな石がゴロゴロしていた。ガタンピシャンとDRがバラバラになってしまいそうなものすごい振動だ。
アンデス山脈の奥深くに入っていくと目の前にはそそりたつ岩山。頂上近くは雪をかぶっていた。見上げる空は狭く、その狭い空は強烈に青かった。
ビクーニャから90キロ走ると、チリ側の国境事務所に到着。すると、峠近くで大規模な崖崩れがあって、アグアネグラ峠は通行不能だという。何ということ…。もうガックリ。ピーンと張り詰めていた心の糸がプッツンと切れてしまった。
国境警備隊の隊員は落胆したぼくの顔を見て気の毒に思ったのだろう、なぐさめるような顔つきで、氷の入った冷たいジュースを持ってきてくれた。それを飲み干すと気分は落ち着いた。
「仕方ないな、アグアネグラ峠は諦めよう」
という気になり、気分を切り替えてサンチャゴに戻ることにした。
アグアネグラ峠を下り、ビクーニャからラ・セレナに急いだ。
というのは、どうしても銀行の開いている時間までにラ・セレナに着き、トラベラーズチェックをチリのお金の替えなくてはならなかったからだ。
ところがラ・セレナの町の入口で、追い越し違反で警察に捕まってしまった。
センターラインが点線の区間は追い越し可だが、実線の区間は追い越し禁止になる。それを知りながら、急いでいたこともあって前を走る車を不用意に追い越してしまった。運悪くその先でポリスチェックをやっていた。
チリの交通違反のシステムは、違反の切符を切られるのと同時に免許証も取り上げられてしまう。指定された日時に出頭し、そこで罰金を払い、免許証を返してもらうようになっている。
「いやー、まずいな。これで何日かラセレナで足止めを食ってしまう」
ポリスチェックはパトカーに乗った警官が2人でやっていた。そのうちのでっぷりと肥った警官はさかんにぼくのことを弁護してくれた。
彼はもう1人の警官に、
「ハポネス(日本人)のツーリスタ(旅行者)だから、我々の国の交通法規はよく知らない。それだから、今回は見逃してあげよう」
ぐらいのことを言ってくれたようで、そのおかげでなんと反則切符を切られないですんだ。
「助かった!」
だが一難去ってまた一難。アグアネグラ峠を越えてアルゼンチンに入るつもりにしていたので、チリのお金はほとんど残っていなかった。ポリスチェックにひっかかり、時間を費やしてしまったので、ラ・セレナの銀行の営業時間にはもう間に合わない。
そのことを2人の警官に話すと、パトカーの無線でラ・セレナの警察署に連絡をとってくれた。すると警官は「OKだ」と言って、ここで待っているようにといった。
何がOKなのかさっぱりわからなかったが、言われるままに待っていると、もう1台のパトカーがサイレンを鳴らしてやってきた。
2人の警官よりも若い彼らの上司の警官が、50ドルのトラベラーズチェックを両替してくれるというのだ。
「(またしても)助かった!」
「チリとハポン(日本)はアミーゴ(友人)だから、キミを助けるのは当然のことだ」
と、若い警官はうれしいことを言ってくれた。
3人のチリ警察の警官たちとガッチリと握手をかわして別れ、ラ・セレナからサンチャゴに向かった。遠ざかるラ・セレナの町をバックミラーで見ながら、
「チリはいい国だ、ほんとうにいい国だ」
と、心底そう思ったものだ。
コピアポの「ホステリア・ラスピルカス」の朝食
国道5号を南下する
国道沿いのレストランで昼食
昼食のカツライス
レストランの働き者の女性
ラ・セレナの灯台
ラ・セレナのビーチ
灯台の前に集結したバイク隊の警官