「南米・アンデス縦断」(10)
クスコを一望する展望台から中心街に戻ってきた。
さすがペルーで一番の観光都市だけあって、目抜き通りには土産物店が並び、ペルー内外からの旅行者が目立った。
まずはプラサ・アルマス(アルマス広場)へ。ここはインカ時代からの町の中心。スペイン時代になってからも町の中心だ。
クスコは「インディオの都」といわれるだけあって、インカの末裔たちの姿を多く見かける。山高帽をかぶり、手織りの布で荷物を包み込んで背負い、前掛けをしている。アルパカの毛で編んだセーターや、色とりどりの糸で編んだひもを売り歩く人もいる。
広場の正面にそびえたつカテドラルは壮大な建物。インカ時代のピラコチャ神殿の跡に建てられた。インカ帝国を征服したスペインの力を見せつけている。
アルマス広場近くのメルセ寺院には、寺宝のクストディア(守護神)がある。これは純金の台に2個の大きな真珠(そのうちの1個は世界最大だという)、さらに615個の真珠、1518個のダイアモンド、そのほかエメラルド、ルビー、トパーズなどの宝石がちりばめられたもの。このクストディアもキリスト教を植民地支配の道具にしたスペインの権力を象徴しているかのようだ。
考古学博物館ではインカ時代の焼き物を見た。だがそれは粗末なもの。プレインカのモチーカやナスカ、チムー時代のものとは比べものにならない。プレインカ時代に持っていた南米人の明るさ、のびやかさがインカ時代の焼き物からは、完全に消えている。
北はコロンビア南部から南はチリ北部まで、広大な領土を支配したインカ帝国だが、力による支配は一般民衆にとっては暗黒政治だったようだ。そのためインカ帝国は人心を得ることができず、スペインのコンキスタドール(征服者)によって皇帝が殺されると、まるで雲散霧消するかのように帝国は消滅した。
アルマス広場から南東に300メートルほど行ったところにはインカ時代の太陽の神殿(コリカンチャ)がある。その石組みは「カミソリの刃、1枚通さない」といわれるほど精巧なもの。そのインカ時代の石組みの土台の上にサント・ドミンゴ教会が建っている。クスコを襲った大地震でサント・ドミンゴ教会は崩落したが、インカ時代の石組みはびくともしなかったという。
次にクスコを拠点にして、周辺のインカ帝国時代の遺跡をめぐった。
クスコを見下ろす丘の上のサクサイワマンに行く。1日3万人という膨大な労働力を投入し、それでも完成までに80年かかったといわれるほどの、首都防衛の巨大な要塞。見上げるような巨岩をふんだんに取り込み、3段の石垣をめぐらせている。正面の広場では、毎年6月24日、インカ帝国の全盛期を再現した太陽神の祭りがおこなわれる。インカ帝国の皇帝や高官、従者などに扮した人たちが、色とりどりの民族衣装をまとい、それは華やかなものだという。
サクサイワマンにつづいて、インカ時代の神聖な沐浴場だったタンボ・マチャイ、インカ時代の祭礼場だったといわれるケンコー、関所が置かれていたプカ・プカラに行った。
クスコの目抜き通り
アルマス広場に面したカテドラル
太陽の神殿のコリカンチャ
サクサイワマンからの眺め
サクサイワマンの石垣
サクサイワマンにやってきた修学旅行の生徒たち
タンボ・マチャイの聖なる泉
ケンコーの巨岩