賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

「南米・アンデス縦断」(33)

 12月20日。「ホテル・ジラソレス」の朝食を食べると、ウユニ塩湖経由の道でチリ国境に向かう。ウユニの町を出て20キロほど走ると、一面の塩原のウユニ塩湖に入っていく。長さ120キロ、幅140キロという大塩湖は、見渡す限りの塩原だ。

 乾期だと塩原はカチンカチンで大型トラックでも通行できるが、雨期の塩原はたっぷりと水を吸っている。チリ国境に通じている鉄道に沿ってウユニ塩湖を走る予定だったが、急きょルートを変更し、ウユニの町に戻ることにし、別ルートでチリ国境に向かうことにした。その前に各人が思い思いに塩湖を走り、走り終わると塩湖にバイクを止め、メンバー全員での記念撮影だ。

 1984年から1985年の「南米一周」では、やはりこの季節(雨期)にウユニにやってきてウユニ塩湖を越えたが、チリ国境までの200キロは命がけだった。

 当時はウユニの町からチリ国境への道は、ウユニ塩湖南側の鉄路沿いの道のみだった。

 乾期ならば干上がった塩原の上を車でもバイクでも高速で走れるが、雨期の塩原はたっぷりと水を吸ってズブズブの状態。交通はまったく途絶えていた。その中に「南米一周」の相棒、スズキDR250Sで突っ込んでいったのだ。

 ウユニ塩湖の塩原は、最初のうちは固く締まり、走りやすかった。塩原にめり込むこともなかった。目が痛くなるほど白く輝く塩原は、まるで雪原を思わせた。

 しかし塩原が固かったのは、最初のうちだけで、やがてどんどん柔らかくなってくる。DRの車輪がズボーッともぐるようになり、そのたびに、大汗をかいて脱出した。それでも戻ろうという気にはならず、強引に塩原を走りつづけた。

 塩を巻き散らしながら80キロぐらいのスピードで突っ走っていると、突然、柔らかな泥沼状の中にフロントタイヤがめりこみ、車輪はロックし、急停車した。その反動であやうく体は投げ出されるところだった。

 全身泥まみれになってDRを泥沼の中から引きずり出したが、

「もう、これ以上は無理だ…」

 と判断し、並行して走る鉄道の線路に上がった。線路は盛土をしてある。

 線路内を走った。このような事態も想定していたので、列車のダイヤは事前に調べてあった。列車は週1本。そのため線路内で列車と衝突する危険性はなかった。ただ、線路内に敷きつめられた砂利と枕木で、猛烈な振動に見舞われた。腹わたがよじれるくらいの振動に耐えながら走ったのだ。リオグランデという川の鉄橋を渡るときは怖かった。

 前方に火山群が見えてくる。平坦なアタカマ高地にポコッ、ポコッと積木細工のように富士山型の火山がいくつものっている。そこがボリビアとペルーの国境地帯。塩と泥、線路の砂利と枕木との大格闘の200キロだったが、無事、国境に到着した。

 ボリビア側で出国手続きをし、チリ側に入ったとき、国境事務所の係官たちは、

「いったい、どこからやってきたんだ」

 といわんばかりの顔をした。

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「ホテル・ジラソレス」の朝食

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ウユニ塩湖で記念撮影