賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

甲武国境の山村・西原に「食」を訪ねて(その10)

 (日本観光文化研究所「あるくみるきく」1986年10月号所収)

再び西原へ

 5月中旬にひきつづいて5月下旬にも西原を訪ねた。その時は下城の「白芳館」に泊まった。白芳館は木造3階建の旅館で、それまでに何度か泊まっている。私の西原での定宿になっている。

 白芳館は白鳥太郎さん、定子さんの夫妻が昭和38年にはじめた。太郎さんは西原の扁盃の出身。定子さんはゆずり原の坂本の出身だ。

 白芳館に着くと、3階の部屋に通された。窓をあけると、すぐ下を流れる鶴川のせせらぎが聞こえてくる。それに混じってホウジロやウグイスの鳴き声が聞こえてくる。対岸のスギやヒノキが植林された山からは、木の香を運んでさわやかな風が吹き込んでくる。

 白鳥太郎さん、定子さん夫妻は花が好きで、いつ行っても庭先にはなにかしらの花が咲いている。そのときも色とりどりのサツキが咲き、白と紫のフジの花が見事な房を垂らして咲いていた。秋にはキクの大輪が見られる。

 白鳥さんは何ヵ所かに畑を持っているが、そのうち家まわりの畑が興味深い。全部合わせても2畝(約200平方メートル)ほどの狭い畑だが、それを細分化し、じつに多彩な畑作物をつくっている。

 これは何も白鳥さんの家にかぎったことではなく、どの家を見ても同じようなことがいえる。1種類の作物に頼るのではなく、多種多様な作物をつくり、それを食料にしてきた伝統が家まわりの畑には色濃く残っている。

 この白鳥さんの畑に今の時期、何が植えられているのかを見るのが、今回の西原訪問の一番の目的だった。

 畑に下りたついでに納屋をのぞかせてもらうと、中には畑仕事や山仕事の道具類のほかに、味噌桶や「コウコオケ」と呼んでいる漬物桶、さらにはワラビ、フキ、ウメ、タケノコなどを漬け込んだ桶が置かれている。 

 その中でもとくに大きいのは味噌桶。「八斗桶」という大きさで、昭和57年に仕込んだ桶と、今年(昭和61年)の春先に仕込んだ桶が並んでいる。今、使っている味噌は、昭和57年に仕込んだ味噌を「一斗桶」に小分けにしたもの。味噌は「三年味噌」で、今年仕込んだ味噌は3年後から使いはじめる。

 今でこそ自家製の味噌をつくる家は少なくなったが、以前はどの家でも春先に味噌をつくっていた。

 さて、畑である。この納屋に隣り合った一角は雑草がおい茂り、一見すると人の手が入っていないかのように見える。しかし、よく見ると、シソやニラ、ミョウガ、フキ、ウド、タラ、ネネンボウ(ヤマゴボウ)、コーレ(ヤマギボシ)などが半栽培的につくられている。

「半栽培」というと、耳なれないいい方かもしれないが、自生しているわけではないが、かといって手をかけて栽培しているわけでもない。そのような半栽培的な作物というのは、西原のみならず、山村の「食」を支える大きな要素になっている。

 さらに周囲の山々では、春にはワラビ、フキ、タラノメ、ウドなどの山菜類を、秋にはナガタケやキクラゲなどの茸類を採取している。なおかつ、このような半栽培的な作物を多く持っているということは、西原の人たちがそれだけ自然とともに生きていることの証明のようなものだ。

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