賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

海を渡った伊万里焼を追って(3)

(『海を渡った日本の焼きもの』1985年・ぎょうせい、所収)

 

 マカオ滞在の最後の1日を使って、ワンデーツアーで中国に行った。アメリカ人やカナダ人、オーストラリア人などの観光客とともに、マイクロバスで広東省中山県をみてまわった。

 

 そのツアーの途中、戸数100戸ほどの村で停まり、1時間ほど自由に村の中を歩く機会を得た。村の中を歩いていると、ある家の勝手口で碾臼(ひきうす)をみつけ、写真をとらせてもらった。そのついでに、台所をのぞかせてもらい、台所用具をみせてもらった。

 

 見終わると、家の主人に居間に呼ばれ、お茶を出された。

「あっ!」

 そのとき私は思わず声を上げてしまった。

 

 調味料や塩辛の入った瓶類、ランプ、ラジオなどの置かれた棚に、高さ尺五寸(約45センチ)の首がすぼまり、口の開いたイマリの花瓶があったからだ。梅、椿の花柄の下に、着物を着た美男、美女が描かれた赤絵磁器。まさに18世紀から19世紀にかけて盛んに焼かれたイマリだった。

 

 ツアーには英語を流暢に話す青年が同行している。さっそく彼に来てもらい、通訳を頼んだ。すると家の主人はそれが日本の焼きものであることを知っていた。

 

 どのようにして手にいれたのかを聞くと、次のような答えが返ってきた。

「わからない。代々この家に伝わっているものだ」

 残念ながらそれ以上のことはわからなかったが、少なくとも戦時中や戦争直後に日本人から渡ったものでないことは確かである。

 

 そして、こうしたイマリを持っている人も、その家の主人以外に何人かいるとのこと。 この村はマカオからも広東(広州)からも近い。どのようなルートでこのイマリの花瓶が入ったのか定かではなかったが、この村にいくつかのイマリがあるということは事実であり、マカオか広東に陸揚げされたものの一部とみるのが自然であろう。

 

 あらためてそう考えると、私は中山県のその村で感動というか、興奮を覚えるのだった。