東アジア走破行(11)シルクロード横断
2006年の「道祖神」のバイクツアー、「賀曽利隆と走る!」の第12弾目、「シルクロード横断」が「東アジア走破行」の第8弾目になる。
8月16日に東京を出発し、神戸港からスズキの400㏄バイク、DR-Z400Sともども中国船の「燕京号」に乗り込んだ。天津に渡り、シルクロード玄関口の西安へ。そこから一路、西へ西へと走った。
天山山脈南麓のコルラからタクラマカン砂漠を縦断し、崑崙山脈北麓のニヤへ。
ニヤからシルクロードの西域南道でホータン、ヤルカンドと通り、中国西端の町カシュガルへ。
カシュガルからはフェルガナ山脈のトルガルト峠(3752m)を越えてキルギスに入った。このトルガルト峠までのコースが「東アジア走破行」になる。
「シルクロード横断」ではその後、キルギス→カザフスタン→ウズベキスタン→トルクメニスタンと中央アジアの国々を走り、さらにイランからトルコへ。東京から1万3171キロを走破し、10月10日にゴールのイスタンブールに到着した。
「タクラマカン砂漠縦断」では延々とつづく大砂丘群を見ながら走った。その途中では砂丘のてっぺんに立ち、際限なく広がる大砂丘群を一望した。
中国西端の町、カシュガルからはトルガルト峠に向かう前に、パキスタンとの国境のクンジェラブ峠に通じるカラコルムハイウエーを南下し、標高3600メートルの地点にある神秘的なカラクリ湖まで行った。湖の北側にはゴングール峰(7719m)、南側にはムスタックアタ山(7546m)がそそりたち、抜けるような青空を背にした雪山の白さはまぶしいほどだった。
トルガルト峠を越えたキルギスのイシククル湖(クルは湖の意味)越しに見た夕日を浴びた天山山脈のズラズラッと連なる雪山群の眺めは、強烈に目の底に残った。
「シルクロード横断」では天山山脈をはじめ崑崙山脈、カラコルム山脈、パミール高原と、中央アジアの大山脈を間近に眺めることができ、「カソリの世界地図」の空白の部分を埋めることができた。とくにその中でも、天山山脈の大きさには驚かされた。最初に出会ったのは中国・新疆ウイグル自治区に入ってまもなくのことで、シルクロードのオアシス、ハミの近郊だった。砂漠に落ちる前山の向こうにトムラッチ峰(4880m)を見た。山頂周辺の雪が陽炎のように揺れていた。
中国とキルギス国境のトルガルト峠は、天山山脈とパミール高原の接続部の峠。キルギスの首都ビシュケクで見た天山山脈の風景もすばらしいもので、カザフスタンからウズベキスタンへの道は砂漠に落ちていく天山山脈の西端を越えている。
「シルクロード」はぼくにとっては特別な世界。小学校4年生のときのことだが、国語の教科書でスウェーデンの探検家、スウェン・ヘディンの「タクラマカン砂漠横断記」を読んだ。それにすっかり感動し、その後、小学校の図書館にあった子供向けの中央アジア探検記を全巻、読んだ。そして「(大人になったら)中央アジアの探検家になるのだ!」と心ひそかに決めた。
シルクロード全域の踏破というのはその時からの夢であり、憧れだった。
「シルクロード横断」の途中でぼくは59歳の誕生日を迎えたが、シクロードへの憧れを抱いてから49年目にして、10歳の少年時代の夢を果たすことができたのだ。
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