賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

カソリの峠越え(28) 中国編(11):因幡の峠(パート2) (Ridges in Chuugoku Region)

(『月刊オートバイ』1993年9月号 所収)

 

 鳥取県は昔の国名でいうと、東半分の因幡と西半分の伯耆の2つの国から成っている。そのうちの東半分、「因幡の峠」を越えようと、峠越えの相棒のスズキDJEBEL250を走らせて鳥取へ。東名→名神→中国道とエンジン全開だ。

 前月号でもふれたように、山崎ICで中国道を降り、R29で兵庫・鳥取県境の戸倉峠を越え、鳥取県の県都、鳥取に夕暮れ時に着いた。鳥取が「因幡の峠(パート2)」の出発点になる。

「それ、行け~!」

 とばかりに鳥取砂丘に急ぎ、砂丘のてっぺんに駆け登り、日本海に落ちていく夕日を眺めた。鳥取砂丘の感動を胸に刻み込み、R9を走り、鳥取・兵庫県境の蒲生峠に近い岩井温泉で泊まった。

 

岩井温泉の朝湯

 岩井温泉では「大和旅館」に泊まった。翌朝は目をさますとすぐに、Tシャツにビーチサンダルという格好で山陰の温泉町を歩いた。天気は快晴。5月下旬の空には雲ひとつない。蒲生川にかかる橋を渡る。川には錦鯉。川の上流に目を向けると、鳥取・兵庫県境の山々がゆるやかに連なっている。

 宿に戻ると朝湯に入る。ぼくは朝湯が大好きなのだ。

「朝寝、朝酒、朝湯が大好きで…」

 とはよくいったもので、この3つと大好きだ。といっても朝寝は寝坊することではない。いったん起き、朝湯に入り、朝食を食べてから寝るのが朝寝。朝酒のうまさは夜飲む酒の比ではない。もっともツーリングの最中では朝酒は飲めないが。朝湯→朝酒→朝寝は最高の健康法だと思っている。

「大和館」の朝湯に入ったあとは、共同浴場「ゆかむり温泉」の朝湯に入った。「ゆかむり温泉」は朝早くから地元のみなさんでにぎわっていた。湯につかりながらみなさんのさりげない会話を聞くのが、何ともいえない旅の楽しみ。

「今、自分は岩井温泉にいる、鳥取にいる、山陰にいる!」

 といった旅の実感を味わえるのだ。

「ゆかむり温泉」の湯から上がり、「大和館」に戻ると、朝食が用意されていた。朝湯のあとの朝食はメチャうま。お櫃のご飯をひと粒も残さずに食べた。

「大和館」を出発。親切にしてくれた女将さんにお礼を言って走り出す。まずはR9で鳥取・兵庫県境の蒲生峠を目指すのだ。

 

山陰道の蒲生峠

 岩井温泉を出るとすぐにゆるやかに連なる山並みに入っていく。峠下には蒲生の集落。蒲生峠の峠名は蒲生からきている。ゆるやかなカーブが連続する峠道を登り、蒲生峠を貫く蒲生トンネル(1745m)に入っていく。トンネルを抜け出た兵庫県側には何軒かのドライブインが並んでいる。現代版「峠の茶屋」には、大型トラックが何台も止まり、にぎわっていた。峠に着くとひと休みしたくなるのは昔も今も変わらない。

 蒲生峠を下り、湯村温泉でDJEBELを止め、温泉街を歩く。湯元の「荒湯」は98度の高温湯。湯気がモウモウとたちこめている。

 山陰の名湯、湯村温泉は平安時代に慈覚大師によって発見されたといい伝えられているほど歴史の古い温泉。NHKのテレビドラマ「夢千代日記」の舞台となった温泉で、「荒湯」の近くには夢千代の像が建っている。

 温泉街を歩いたあとは共同浴場「薬師湯」(入浴料280円)に入る。湯上りに飲んだ冷たいリンゴジュースがうまかった。岩井温泉、湯村温泉と朝湯のハシゴ湯なので、少しふらつく体でDJEBELに乗り、来た道を引き返した。

 蒲生峠の兵庫県側の入口まで戻ると、左に折れ、R9の旧道に入っていく。2車線の舗装路だが、交通量はほとんどない。新道よりもはるかにタイトなコーナーをクリアし、R9との分岐点から1キロほどで兵庫・鳥取県境の蒲生峠に到達。切通しになった峠にDJEBELを止める。峠周辺の木々の緑がまぶしいほど。透き通るような空気。ウグイスがすぐ近くで鳴いている。

 標高335メートルの蒲生峠は昔からの山陰道の要地。江戸時代には鳥取藩などの大名行列がこの峠を越えた。

 京都を起点にする山陰道は丹波の亀岡、福知山、但馬の和田山を通り、蒲生峠を越えて因幡に入っていく。蒲生峠はまさに山陰への入口なのだ。

 蒲生峠を越えて鳥取県に入ると旧道を下り、蕪島の集落を通っていく。歴史を感じさせる古い家並みの残る集落だ。

 

古代山陰道の十王峠

 蒲生峠を下った蕪島で道は二又に分かれる。右に行くとR9の新道に合流し、蒲生から岩井温泉に行く。左に折れる道は十王峠を越える雨滝街道で、国府を通って鳥取に通じている。

 地図を広げてみればすぐにわかることだが、蕪島から鳥取まではR9よりも雨滝街道経由の方がはるかに距離は短い。そのため古代山陰道は海側のルートではなく、山側の十王峠を越えるルートを通っていた。十王峠を越えた国府はその名の通り、古代因幡の中心地になっていた。ここにある宇倍神社は因幡の一宮だ。時代が下って因幡の中心は鳥取へと移っていった。

 蕪島から雨滝街道を行き、十王峠を越える。峠道は車がやっと通れるくらいの狭路。覆いかぶさってくるような緑のトンネルが目にしみる。

 岩見町と国府町の境が標高430メートルの十王峠。「十王」といえば、死者たちを裁く10人の王のこと。閻魔大王もその一人。そんなオドロオドロしいというか、恐ろしげな名前のついているところが、街道の難所の峠らしい。

 十王峠を越えると道幅は広くなる。古代山陰道は現在は県道31号になっている。十王峠を下ったところが雨滝の集落。ここで雨滝に寄り道をする。県道31号から2キロほど行ったところにある高さ40メートルの滝。「日本の滝100選」にも選ばれているだけあって、なかなか見ごたえのある滝だ。

 雨滝と雨滝渓谷の風景を目に焼きつけ、県道31号で国府へ。因幡の一宮、宇倍神社を参拝し、鳥取へ。鳥取は城下町。鳥取城跡を見てまわった。鳥取藩は江戸時代、因幡、伯耆の2国を支配した。32万石の、山陰道では松江藩、萩藩と並ぶ大藩だった。

 

若桜からの峠越え

 鳥取からふたたびR9を走り、岩井温泉を通り過ぎていく。蒲生峠下の塩谷でR9を右折し、さきほどの県道31号に入っていく。十王峠を越え、雨滝の集落の手前で今度は左に折れ、河合谷林道に入り、展望抜群の河合谷高原へ。このあたりは「氷ノ山・後山・那岐山国定公園」の北端になる。

 河合谷林道で鳥取・兵庫県境の扇ノ山(1309m)の西側をぐるりと巻くようにして走り、次に扇ノ山林道でR29の八東町に下った。

 八束からR29で若桜へ。若桜鉄道終点の若桜駅前でDJEBELを止め、駅前の喫茶&レストランで昼食にする。エビフライランチを食べ、若桜を出発。若桜発若桜着の峠越えの開始。まずは鳥取・兵庫県境の桑ヶ峠に向かう。

 若桜の市街地を走り抜け、R29に出る。鳥取・兵庫県境の戸倉峠に向かってわずかに走った所で左折する。目印は「わかさ氷ノ山9㎞」の看板だ。この道は今年(1993年)の4月から国道に昇格し、京都府の宮津市と鳥取県の米子市を結ぶR482の一部になった。

 R482を8キロほど走ると、峠下の集落の春米(つくよね)に到着。目の前には氷ノ山スキー場。ここから4キロほど登るとダートに突入し、すぐに鳥取・兵庫県境の桑ノ峠に到達。大山(1729m)に次ぐ中国地方第2の高峰、氷ノ山(1510m)北側の峠だ。峠からは県境の稜線に沿って東因幡林道が走っている(残念ながら通行止め)。

 桑ノ峠を越えて兵庫県側に下っていく。途中、大きな崖崩れの現場があって通行止めになっていたが、そこはバイクの強み、工事しているみなさんに「すいませ~ん」を連発して通してもらった。

 桑ヶ峠から5キロ下ると舗装路に出た。和牛の産地として知られる美方町を走り抜け、村岡町の長坂でR9に出た。R9の春来峠のトンネルを抜け、湯村温泉を素通りし、蒲生峠の手前5キロの地点でR9を左折。県道262号に入っていく。

 R9との分岐点から11キロで二又にぶつかり、そこは右へ。すぐにダートに突入し、畑ヶ平林道を走る。兵庫・鳥取県境の峠に向かって一気に登っていく。登るにつれて山々には残雪が見られた。山菜採りの車が奥山まで入り込んでいる。

 ダートに入って10キロで県境の峠に到達。扇ノ山の東側になる。峠を越えて鳥取県側に入り、扇ノ山林道を下っていく。東因幡林道、河合谷林道との分岐点を過ぎ、17キロのロングダートを走り切って八東町でR29に出た。そして出発点の若桜に戻ったのだ。

 

我が思い出の地

 若桜ではまた若桜鉄道終点の若桜駅前でDJEBELを止め、駅前の喫茶&レストランでコーヒーを飲んだ。コーヒーを飲みながら、20年前のA子さんとの出会いが思い出されてならなかった。

 1972年の秋、スズキ・ハスラーTS250での「世界一周」を終えて日本に帰ってくると、「鈍行列車乗り継ぎ」の旅に出た。寝袋ひとつを持って駅泊したり、駅周辺で野宿しながらの旅だった。

 京都から山陰本線に乗り、鳥取への乗り継ぎのため、いったん福知山駅で降りた。ちょうどその時、福知山線で大阪からやってきたA子さんに出会ったのだ。楚々とした小柄な女性。大阪の専門学校の学生で、彼女の実家が若桜だった。

「お金がないので…」

 といって、A子さんも鈍行乗り継ぎで鳥取に向かうところだった。ぼくたちはすっかり意気投合し、福知山始発の鈍行列車で鳥取に向かった。車内ではA子さんと向き合って座り、夢中になって話した。

 鳥取に着くとA子さんは「鳥取砂丘を案内してあげる」というではないか。もちろん案内してもらった。バスに乗って鳥取砂丘まで行き、夕暮れの砂丘を彼女と手をつないで歩いた。夢を見ているような気分。それがぼくにとっての初めての鳥取砂丘だ。

 鳥取砂丘から鳥取市内に戻ると、夜の町を歩き、一緒に夕食を食べた。食事が終わるとA子さんは、

「ねえ、若桜に来ない? 家に泊まっていってもいいのよ」

 といってくれた。

 ぼくの気持ちは揺れ動いたが、結局、彼女とは鳥取駅で別れ、山陰本線の米子行きの列車に乗った。A子さんは因美線経由若桜線の若桜行きの列車に乗った。

「あれから20年か…」

 もしあの時、A子さんと一緒に若桜に行っていたら…。もしあの時、彼女の家に泊まっていたら…。

「鈍行乗り継ぎ」の旅から帰ると、A子さんとは何度か、手紙のやりとりをした。だがぼくはまた、「六大陸周遊」という長い世界への旅に出、A子さんとの関係はいつしか途絶えてしまった。

 若桜をなかなか立ち去りがたくて、もう1杯、コーヒーを飲んでから出発した。R29で鳥取へ。30キロほどの距離。夕暮れの鳥取に着くと、大きな夕日が千代川の川面を赤々と染めていた。