賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

東アジア走破行(4)ソウル→北朝鮮(その1)

1通のFAX

「韓国一周」の翌年、2001年3月22日に50㏄バイクでの「島めぐり日本一周」に旅立った。「本州東部編」、「北海道編」、「本州西部編」、「四国編」、「九州編」、「沖縄編」と、6分割での「日本一周」だ。

 最初の「本州東部編」を走り終えて帰宅したのは5月27日。その間に自宅に送られた郵便物やFAX、メールの中に、韓国モーターサイクル連盟(KMF)会長の申俊容さんからのFAXがあった。

 それは何と、朝鮮半島の南北分断後、初となるソウル発の北朝鮮金剛山)ツーリングにぼくを招待したいという内容のものだった。それを目にしたときは信じられないような思いで、「ウソーッ!」と叫んでしまったほどだ。

「そんなこと、できるわけがない」

 という思いだった。

「韓国一周」での一番感動的なシーンは、韓国最北端の「高城統一展望台」からの眺めだった。そこから朝鮮半島随一の景勝地、「海金剛」を見下ろした。風の強い日で、東海(日本海)には無数の白い波頭が立っていた。海に落ち込む山々は白っぽい山肌を剥き出しにし、南北の軍事境界線上には鉄条網の長い線が延々と延びていた。トーチカが点在する丘陵地帯の左手には、朝鮮半島の名峰、金剛山が雲を突き破ってそびえていた。

「高城統一展望台」からの風景を眺めながら、

「いつの日か、北朝鮮に入って、今度は北朝鮮側から海金剛を見てみたい!」

 と熱望した。

 このような「海金剛」への熱い想いがあったので、翌朝、半信半疑でKMFに電話した。すると北朝鮮ツーリングに出発するのは6月2日だとのことで、まだ、間に合うという。すぐにパスポートのコピーをFAXで送り、デジカメでとった自分の顔写真をメールで送った。「これで必要なもの、すべてが整いましたよ」とKMFから折り返し電話が入ったときは、何か、キツネにつままれたような気がした。北朝鮮への入国手続きはすべてKMFがやってくれるという。

ソウルへ…

 5月31日にソウルに飛んだ。完成してまもない仁川国際空港に降り立つと、KMF申会長の美人秘書、ジュリア・キムさんが出迎えにきてくれていた。「ほんとうにバイクで北朝鮮に行けるのだろうか…」と、半ば賭けのような気分でソウルにやってきたので、まずはほっとひと安心といったところだ。きれいな英語を話すジュリアは「もうすでに(北朝鮮行きの)すべての用意は整っていますよ」とうれしいことをいってくれた。

 KMFの車でソウル市内へ。「ホテル・ニューワールド」に部屋が用意されていた。1泊20万ウォン(約2万円)の部屋。自分1人の旅だったら、まずは泊まれないような高級ホテルだ。部屋に荷物を入れ、ひと息ついたところで、ジュリアは「日式専門店」に連れていってくれた。そこではすしや刺し身、てんぷら、豆腐といった日本料理の夕食を腹いっぱいに食べた。美人で聡明なジュリアと一緒なので胸がときめいた。

 翌日は朝食後、ジュリアが迎えにきてくれた。「BMWコリア」の本社へ。そこでドイツ人社長のフリンガーさんに会った。今回の北朝鮮ツーリングはBMWが全面的にバックアプしているとのこと。「BMWコリア」は、1150ccのR1150RTの新車をぼくのために用意してくれていた。それに乗って「ホテル・ニューワールド」に戻ったが、北朝鮮が一気に近づいたような気がした。

 その夜は中華料理店での夕食会。KMF会長の申俊容さん、FIM(国際モーターサイクル連盟)のウィルソンさん、BMWコリアのフリンガーさん、それとカソリが一同に会した。ウイルソンさんはイギリス人。日、韓、英、独と国際色豊かな顔ぶれがそろった。

 北朝鮮ツーリングにはそのうちカソリ、ウィルソンさん、フリンガーさんの3人がバイクで行き、申さんは車での同行になる。「(朝鮮半島が南北に分断された以降)ソウルからバイクで北朝鮮に行くのは初めてのことになる」と申さんは強調したが、南北融和の進展を強く感じさせるソウル発の北朝鮮ツーリングだ。

 申さんは韓国ではよく知られたレーシングドライバー。韓国と北朝鮮の双方に太いパイプを持っているので、このソウル発の北朝鮮ツーリングが実現したという。そんな申さんは世界中から300台以上のバイクを集めての北朝鮮ツーリングを計画していた。今回はそのプレラン(事前走行)。日本人ライダーにも大勢来てもらいたいとのことで、それでぼくを招待したようだ。

朝鮮半島横断

 6月2日午前8時、BMWのR1150RTに乗って、ソウルのオリンピック記念公園に行った。そこが「北朝鮮ツーリング」の出発点。BMWやハーレーなど、全部で13台のバイクが集合した。ウィルソンさん、フリンガーさん、カソリの3人の外国人のほかに10人の韓国人が参加している。彼らは韓国内のバイククラブの会長やバイク誌の編集長だという。

 オリンピク記念公園前でのセレモニーの後、大勢の見送りやテレビカメラの中を走り出したときは、ふと「パリ・ダカ」の出発シーンが目に浮かんだ。1982年、冒険家の風間深志さんと2人だけの「チーム・ホライゾン(地平線)」を結成して参戦したときは、パリのコンコルド広場が出発点だった。大観衆で埋めつくされたシャンゼリゼ通りを走り抜け、凱旋門をぐるりと回ってパリ郊外に出たが、そんな20年前を思い出させるようなソウル出発のシーンだった。

 ソウルから東海(日本海)側の港町、東海を目指す。そこから船にバイクを積んで北朝鮮の長箭港に渡るのだ。国道6号で漢江沿いに走り、北漢江と南漢江の合流点からは南漢江に沿っていく。BMWのR1150RTは車体の大きさと重さが気になったが、走るほどに慣れていった。

 国道6号→国道42号→国道38号というルートで朝鮮半島を横断し、夕方、太白に着いた。太白山脈の山中にある町。市庁舎で市長の歓迎を受けたあと、パトカーに先導されて市内を回り、焼肉店で夕食。そのあと郊外の「ヒル・ハウス」という洒落たホテルに泊まった。韓式のオンドルの部屋で、布団をそのまま床の上に敷く。畳と床、このあたりが日韓の違いだ。

 翌日は太白郊外に申さんが総力を上げて建設中のサーキットを見学する。「テベック・シン・ジュヨン・サーキット」。完成すれば韓国初の国際級サーキットになるという。

 太白から東海へ。国道38号で太白山脈を下っていく。R1150の車体の大きさ、重さにはもうすっかり慣れていたので、急勾配、急カーブの山道もそれほど気にならなかった。こうしてソウルから366キロ走って東海港に到着した。

東海港を出港

 東海港の岸壁には現代商船の「ヒュンダイ・クンガム(現代金剛)号」(2万7000トン)が接岸していた。真っ白な船体の大型客船。岸壁に13台のバイクを並べ、1台づつクレーンで甲板につり上げる。バイクをのせるのは初めてのことなので船員たちはとまどっていたが、メンバー全員で協力し、無事に13台のバイクを積み終えた。

 イミグレーションでパスポートに出国印をもらい、北朝鮮入国の許可証を首からぶらさげ、「ヒュンダイ・クンガム号」に乗船。19時、出港。レストランでのバイキング形式の夕食を終えると、ミーティングルームでの北朝鮮入国に際しての説明会が始まった。この船には500人あまりの金剛山登山の韓国人が乗っている。観光客は船が長箭港に着くと、専用バスで金剛山に向かっていくのだ。

 ミーティングでいわれた事項は次のようなものだった。

(禁止事項)

 1、長箭港の写真を撮ること

 2、移動中のバスから軍事施設や兵士、住人の写真を撮ること

 3、移動中のバスから風景の写真を撮ること

 4、北朝鮮人ガイドの写真を撮ること

 5、移動が禁止されている物の運搬

 6、指定場所以外に巻きタバコ、紙くず、空きビン、ビニール袋を投げ捨てること

 7、指定場所以外での喫煙

 8、指定以外のトイレと風呂の利用

 9、旅行者用施設を傷つけたり、破壊すること

 10、自然環境を傷つけたり、汚すこと

 11、岩や木をスケッチすること

 12、植物、岩石、土壌を採取すること

 13、動物を捕まえること

 14、山火事を起こすこと

(持ち込み禁止の品物)

 1、10倍を超える倍率の双眼鏡や望遠鏡

 2、160ミリを超えるレンズを付けたカメラ

 3、24倍を超える倍率のビデオカメラ

 4、個人的な医療目的以外の内容が記述されたラベルが付帯する怪しい物

 5、旅行目的に反する印刷物、写真、カセットテープ

 6、韓国通貨

 7、ニセ札

 8、医学的な意図をともなわない毒物、薬、有毒な薬品

 9、武器、銃弾、爆発物、放射能物質

 10、引火性の物質

 11、軍用のアクセサリー

 12、無線機器

 13、そのほか旅行目的にそぐわない物

 それにつけ加えて伝染病の汚染地域から来た人は入国が禁止されるという。

「現代」の租借地

 東海港を19時に出港した「ヒュンダイ・クンガム号」は翌朝、韓国・北朝鮮国境の海を北上していた。水平線から朝日が昇る。北朝鮮の山々がはっきりと見えてくる。高城の沖合を通過し、7時、「ヒュンダイ・クンガム号」は真っ白な船体を長箭港の岸壁に横付けした。長箭港の港湾施設のすべては「現代」によってつくられた。ここは「現代」の租借地のようなものだ。

 金剛山観光を取り仕切っているのは「現代峨山」。峨山は韓国最大の財閥、「現代」の創業者、鄭周永の生まれ故郷の峨山里にちなんだもの。峨山里は今の北朝鮮領内で金剛山北側の50戸ほどの集落だという。金剛山観光の現代商船の大型客船といい、金剛山観光拠点の長箭港といい、「現代峨山」の会社名といい、「現代」の北朝鮮に寄せる想いの深さを感じるのだった。

 朝食後、韓国人観光客はバスに乗って金剛山に向かっていったが、我々は東海港のときと同じように13人のメンバー全員で協力し、13台のバイクを船から下ろした。緊張の北朝鮮入国。ここでは日本のパスポートは一切、見られることはない。日本とは国交のない国だからだろうか。

 入国手続きは想像していたよりもはるかに簡単なもので、「北朝鮮ツーリング」の参加者リストに照らし合わせ、写真つきの北朝鮮入国許可証にポンとスタンプが押されるだけ。パスポートに入国印を押されることもなかった。こうしていよいよ「北朝鮮ツーリング」が始まった。

田植えをする若い女性たち

 長箭港から前に3台、後に2台の車に挟まれて、13台のビッグバイクが走りはじめた。高城と元山を結ぶ鉄道に沿った道に出る。道の両側にはフェンスが張られ、それこそ100メートルおきぐらいに若い兵士が立っている。彼らは上官からそう言われたからなのだろう、炎天下、誰ものが無表情で、直立不動の姿勢で立っていた。

 ちょうど田植えの季節。若い女性たちが田植えをしていた。田植え機などの機械は一切見られない。全員が手植えだ。昔なつかしい光景。「早乙女」の言葉を思い出す。日本でもひと昔前までは若い女性たちが田植えをしていた。

 朝鮮半島では「南男北女(ナムナムプクニョ)」といわれるとおり、田植えをする女性たちは美人ぞろい。中には手を振ってくれる人もいる。バイクを走らせながら手を振りかえすと、すかさず車から降りてきた監視員に「手を振ってはいけない!」と注意されてしまった。田植え前の水田では男の人が牛に犂を引かせ、田を耕している。田を耕すのは男の仕事、田植えは女の仕事とはっきり分かれているようだった。

 道をはさんだ反対側は麦畑。そこはまさに「麦秋」の風景。実った麦が重そうに穂を垂れている。麦刈りをしている畑もある。ソバ畑では白い花が咲き、ジャガイモの白い花も咲いていた。

「海金剛」の展望台に立つ!

 舗装が途切れ、ダートに入っていく。もうもうとした土ぼこりを巻き上げながら走る。やがて道幅が狭くなり、峠を越えて海岸に出た。そこが「海金剛」だった。

 金剛山の山並みが東海(日本海)に落ちる海岸一帯が「海金剛」。朝鮮半島随一の海岸美を誇る景勝地なのにもかかわらず、ここには何もない。日本だったらみやげもの店や食堂などがズラッと並ぶ観光地になっているようなところなのだが…。

 駐車場にバイクを停め、海岸にせり出した展望台に立った。左手には白っぽい断崖が海に落ち、正面には岩礁がいくつか浮かんでいる。右手には韓国最北端の「高城統一展望台」が遠望できる。

「韓国一周」で「高城統一展望台」から「海金剛」を見下ろしたのは2000年9月。そのときの「今度は北朝鮮側から海金剛を見てみたい!」という願いが、わずか9ヵ月後にかなったことになる。ぼくの想いが通じたのだ。

 次に高城近くの三日湖に行き、展望台から「天女伝説」の湖を見下ろした。松林に囲まれたきれいな湖。その中央には小島が浮かんでいる。展望台から海は見えなかったが、山間の平地は一面の水田。山裾に家々が見えた。

 昼食は金剛山観光の拠点となる施設内のレストラン。ビビンバと、ひとつひとつが大きい北朝鮮風の餃子を食べた。