賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

東アジア走破行(1)

 ぼくが初めて海外に飛び出していったのは1968年4月のことで、20歳の旅立ちだった。250㏄バイクのスズキTC250を走らせ、2年あまりをかけてアフリカ大陸を一周した。22歳になって日本に帰ってきたときは、「自分の生きかたはこれしかない!」と強烈に思い込み、「これからはトコトン世界を駆けまわるゾ!」と心の中でそう叫ぶのだった。22歳のときの決心どおりとでもいおうか、それ以降、世界の6大陸をバイクで走り続けている。

 ところでぼくは今までに世界の130ヵ国を旅してきたが、バイクでまわるのが一番難しいのは日本の近隣諸国の東アジアである。日本からフェリーは出ているが、これらフェリーにバイクを乗せるのはそう簡単なことではない。日本から大勢の観光客がこれらの国々に押しかけているが、バイクでまわるとなると、まったく事情は異なってくる。

 ぼくは20代のころはアフリカを中心に世界をまわったが、日本の近隣諸国はいつでもまわれるという頭があったので、東アジアはあとまわしになった。東アジアがあとまわしになったもうひとつの理由というのが、これらの地域にはバイクだときわめて行きにくいという事情があったからだ。

「よーし、今だ!」

 と、その気になったのは2000年になってからのこと。今が東アジアをまわるときだと決心した瞬間、自分の血の流れに熱いものを感じた。初めて海外に飛び出し、アフリカをまわってから30年以上が経っていた。

 2000年8月、「サハリン縦断」を目指し、バイクで東京を出発した。

 津軽海峡を渡って北海道へ。日本本土最北端の宗谷岬に立ち、宗谷海峡の水平線上に霞むサハリンを見たときは、思わず「待ってろよ!」と声が出た。稚内港でサハリンのコルサコフ港行きのフェリーに乗り込んだ。フェリーが稚内港を離れていくときは感動で胸が高ぶった。この「サハリン縦断」が一連の「東アジア走破行」の皮切りになった。