賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

東アジア走破行(5)ソウル→北朝鮮(その2)

 北朝鮮に上陸した2001年6月4日の午後は、金剛山の登山口までバイクで登る。

 急勾配、急カーブの狭い道。日本でいえば舗装林道のようなもの。気温は30度を超える猛暑。それを1150ccのBMW、R1150RTで登っていくのだからたまらない。あっというまにオーバーヒート気味になり、エンジンから発する高温の熱で自分自身もオーバーヒート気味になってしまう。これならば小さなバイクの方がよっぽど楽だ。

 金剛山の登山口の駐車場に到着。川原に降り、渓流の冷たい水を手ですくって顔を洗う。そこには清水も湧き出ていた。キリッとしたうまい水。

「ムル(水)、チョータ(good)!」

 一緒に飲んだ韓国人ライダーは声を上げた。

 金剛山登山口から下り、金剛山温泉の湯に入る。北朝鮮の温泉に入れるとは思ってもみなかった。大浴場と露天風呂。湯につかりながら金剛山の山並みを一望した。湯から上がると、北朝鮮製のアイスクリームを食べた。1個1ドル。

 夕日が金剛山の山々に落ちていくころ、長箭(チャンジュン)港に戻り、現代商船「現代金剛(ヒュンダイ・クンガム)号」の船室でひと晩、泊まった。そこは北朝鮮にいながら、韓国そのものの世界。東の空からは満月が昇る。

 北朝鮮をバイクで走れたのはこの日、1日だけだった。

 走行距離も87キロでしかなかった。だがぼくは、これを“偉大なる第一歩”だと思っている。

 北朝鮮に風穴があいたのだ。きっと近い将来、夢の「北朝鮮一周」や「朝鮮半島縦断」ができるようになる!

 翌日は金剛山登山。

 昨日の登山口まではバスで行き、チョンソンデー(天仙台)とマンヤンデー(望洋台)の2つの岩峰に登った。

 山道の途中には、北朝鮮側の監視をも兼ねているのだろう、男女がペアになって立っている。韓国人たちは北朝鮮の人たちにすごく興味があるようで、何度となく座り込んで話しているシーンを見かけた。女性たちは美人が多く、「南男北女」をいたるところで実感した。

 一緒に歩いた韓国人女性は、

北朝鮮に来たという気があまりしない。みんな無表情で、北朝鮮人に会ったという気がしないのよ。自由がないのね。ここへ来る途中の家々には電気が通っていなかったし…。食料も配給だとのことで、それが十分ではないって聞いたわ」

 と、そんなことをいっていた。

 また年配の日本語を話せる人は、

金剛山に来ることができたので、もう私には思い残すことは何もありません」

 ともいっていた。韓国人にとって金剛山は、それほどの山なのだ。

 韓国KBSのチョイさんは、

「(同じ民族として)今の北朝鮮の貧しさを見ていると、悲しくなります。やせた人間、やせた牛…」

 といって目を伏せた。

 午後は世界でも最高レベルの北朝鮮サーカスを見た。

 北朝鮮で忘れられないシーンがひとつある。KMFのシン会長、副会長格のチョーさん、それと現代(ヒュンダイ)のチョーさんの3人と、北朝鮮側高官3人の会談に同席させてもらった。それはまるで板門店での南北会談を見るようだ。

 北朝鮮側はKMFの「北朝鮮ツーリング」に対して、ずいぶんと好感を持っているようだった。近いうちに、「必ずや、陸路、北朝鮮に入れるようにする」ともいっていた。

 ぼくは3人の北朝鮮の高官に「お会いできてうれしいです」と日本語でお礼をいって握手して別れたが、そのうちの一人の高官は「ようこそ!」と日本語でいってくれた。

 名残惜しい北朝鮮‥‥。2日間の北朝鮮での全日程が終了すると、その夜、「現代金剛(ヒュンダイ・クンガム)号」は長箭(チャンジュン)港を離れた。

 韓国の東海(トンへ)港に戻ったときの我々の第一声は「おー、フリーダム(自由よ)!」だった。

 東海(トンへ)港を出発したのは11時。帰路はBMW/R1200Cに乗った。アメリカン風のスポーティーなバイク。国道7号線で北の江稜(カンヌン)まで行き、そこから朝鮮半島を横断.韓国では一番有名な峠といっていい大関嶺を越え、296キロ走り、19時ソウルに到着した。全行程749キロの「ソウル→北朝鮮」だった。