賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

甲武国境の山村・西原に「食」を訪ねて(その27)

 (『あるくみるきく』1986年10月号 所収)

オオムギとコムギ

 西原でつくられている雑穀類と芋類を脇坂芳野さんの詩を中心にしてみてきたが、これらの畑作物は西原の食生活を支える柱になってきた。それともうひとつ、麦類もそれらに勝るとも劣らず重要な作物になっていた。

 昭和30年代以降、米が常食になってからというもの、西原での麦類の栽培は雑穀類と同様に激減したが、それ以前はほとんどの家でオオムギとコムギをつくっていた。

 とくにオオムギの栽培が盛んだった。

 麦類の中でもオオムギが8割、コムギが2割といった割合で、西原では単にムギといえばオオムギを指すほどであった。

 なお西日本で多くつくられてきたハダカムギは、西原ではまったくつくられていない。ハダカムギの栽培が西原を含めた東日本でほとんど見られないのは、冬期間の気温の低さが影響しているのだろう。

オオムギは10月中旬から下旬にかけて種をまく。直播である。芽が出たあと、冬の間に2、3度、麦踏みをする。

 冬が過ぎ、春になるとグングン伸び、5月になると穂が出る。5月の下旬にはヤタと呼ぶ木の枝や竹をたてて倒れるのを防ぐ。そして6月の中旬から下旬にかけて、根元から刈り取って収穫する。

 オオムギの脱穀はセンバコキでこいで穂を落とし、筵に広げ、エブリでたたいて実を落とす。それをトウミにかけてゴミを取り除き、いったん干してから穀櫃やカマスに入れて保存した。

 オオムギはオバクと呼ぶ麦粥にしたり、麦飯にしたり、麦こがしにして食べた。

 麦粥のオバクだが、オオムギを精白した丸麦をとろ火で4、5時間炊き、夏にはインゲン、冬にはダイコンなどを入れて食べた。ハレの日にはアズキの入ったマメオバクをつくった。オバクは1年中食べられ、おかずにはネギ味噌がつくくらいであった。

 それに対してコムギは煮込みうどんにしたり、酒饅頭にして食べる。

 両者は同じ麦類とはいっても、オオムギは粒のまま食べる粒食(りゅうしょく)、コムギはいったん粉にして食べる粉食(ふんしょく)と、食べ方がまるで違うのである。

 なお、終戦後の一時期、コムギの押し麦が配給されたことがあった。それを米に混ぜて炊くと赤飯風の色になるとのことだが、オオムギの押し麦を混ぜて炊いた麦飯とは比較にならないほど味が落ちたという。

 このようにコムギは粉食、オオムギは粒食という穀物としての適性がある。