甲武国境の山村・西原に「食」を訪ねて(その26)
(『あるくみるきく』1986年10月号 所収)
3編の芋の詩(うた)
以上、サトイモの詩、ジャガイモの詩、サツマイモの詩と、脇坂芳野さんの「芋の詩」の3編をみてきたが、どれをとってもわかるように、イモ類の調理には西原でいうところの「ひじろ」、つまりイロリが欠かせないものだった。
これはなにもイモ類にかぎったことではなく、雑穀飯を炊くのにも、汁をつくるのにもイロリを使ったが…。
しかし、かつての生活では欠かすことのできなかったイロリも、今ではつぶしてしまう家が多くなり、西原でも残っている家はごくわずかになってしまった。
また、「芋の詩」の3編とも「おいしいおやつです」で終っているように、芋類はおやつに最適だった。
おやつといっても現代人のクッキーを食べたり、キャンデーをなめたりといったものではなく、ずっしりと腹にたまるものであった。それは朝食、昼食、夕食の1日3度の食事に近いようなもので、そのような間食を朝食前、午前、午後、夕食後と1日に4回とっていた。つまり、1日7回の食事ということができる。そのくらいの食事が必要なほど、朝早くから夜遅くまで、1日を通して働いたのである。
西原で栽培している芋類には、サトイモ、ジャガイモ、サツマイモの3種のほかに、ヤマイモがある。自生種のヤマイモもあるが、西原周辺の山々は表土が薄いせいで、あまり長いものは取れない。
栽培種のヤマイモをナガイモと呼び、どの家でも家まわりでつくっている。
すりおろして食べることが多いが、主食にもなるサトイモと違って、ナガイモはおかずとして食べられている。