賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

甲武国境の山村・西原に「食」を訪ねて(その28)

 (『あるくみるきく』1986年10月号 所収)

西原の食の伝統

 この項では米が常食となる以前、昭和30年代以前の西原の食生活を整理してみよう。

 まずは日常食である。

 朝食には麦粥のオバク(お麦)を炊いたり、アワ飯やヒエ飯の雑穀飯を炊いたり、サトイモを塩ゆでにした。

 昼食には、朝炊いたオバクや雑穀飯の残りを食べたり、塩ゆでしたサトイモを焼いて食べた。

 夕食には煮込み(煮込みうどんのこと)をつくった。

 間食にはサトイモやジャガイモ、サツマイモの芋類やそばがき、麦こがしを食べた。

 次にハレの日の食べ物である。

 アワ餅やキビ餅などの雑穀餅を搗いたり、アワやキビで赤飯を炊いたり、雑穀類の団子や饅頭をつくった。小麦粉でうどんを打ったり、酒饅頭をつくった。さらにソバを打ったり、米だけの飯を炊いた。

 副食としては豆類や野菜類のほかに、セリ、ノビル、フキ、ワラビ、タラノメ、ウド、コーレ、ネネンボウなどの山野草、さらにはキノコ類を盛んに食べた。

 このような西原での食事をみると、雑穀類、麦類、芋類の畑作物の重要性があらためて浮き彫りにされ、それらが西原の食を支えてきた3本の柱であったことがよくわかる。

 ここで西原の主な作物の生産暦をみてみよう。

 1年生夏作物の雑穀類は種類の違い、早生、晩生の違いはあるが、4月から5月にかけて種を播き、9月から10月、11月にかけて収穫する。

 それに対して冬作物の麦類は10月下旬から11月上旬にかけて種を播き、6月から7月にかけて収穫する。

 芋類の栽培は雑穀類と似ている。4月、5月にかけて植えつけ、10月から11月にかけて収穫する。

 このように西原では1年中、休みなく畑を使っているわけだが、近年では雑穀類や麦類をつくらなくなった家が増えた。雑穀類、麦類をつくっている家は西原全戸の1割程度になっている。

「オバクの味が、この歳になると、なつかしく思い出される。もう1度、オバクをたべたい…」

「お正月にはやっぱり、アワ餅やキビ餅を食べたい…」

 年寄りたちと話していると、そのような話をよく聞く。

 日本からあっというまに消えていった雑穀食だが、西原もその例外ではない。

 近い将来、西原から雑穀食が完全に姿を消してしまう可能性もないとはいえない。しかし、私はその反面、これほど深く、濃くしみついた食の伝統がそう簡単に消え去るとは思えない。

 次の世代をになう西原の若い人たちは、今、大半が勤めに出ている。その若い世代が日曜日とか休日になると畑で鍬をふるっている姿をよく見かける。

 雑穀栽培も雑穀食も、今よりは薄らぐかもしれないが、しっかりと次の世代につながっていくのではないだろうか。