賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

カソリと走ろう!(2)「夢のタクラマカン砂漠」

(『ゴーグル』2004年7月号)

 

 人間は夢見る動物だ。

 夢を見て、夢を追いつづけてこその人間。夢を見なくなったときは人間廃業といっていい。「夢」を「憧れ」に置き換えてもいい。これは年には関係のないことで、棺桶に足を突っ込みかけても夢を見つづけている人もいるし、まったく夢を見ない、夢が見えない若者もいる。

 

「道祖神」のバイクツアー、「カソリと走ろう!」シリーズの第2弾目、中国西部のタクラマカン砂漠走破は、まさにぼくの子供のころからの夢を追ったものだった。

 

 小学校4年生のときのこと。国語の教科書にスウェーデンの探検家、スウェン・ヘディンの「タクラマカン砂漠横断記」が載っていた。命がけで大砂漠を越え、ホータン川の河畔にたどり着くまでの物語は、胸がジーンと熱くなるほどに感動的だった。

 

 それ以降ぼくは夢中になって、学校の図書館にあった小供向けの「中央アジア探検記」を読みあさった。

「大人になったら、絶対に中央アジアの探検家になってやるんだ!」

 ぼくは子供心に「中央アジアの探検家」に憧れた。

「中央アジア」への夢は中学生になっても、高校に入っても持ちつづけ、というよりもますます膨らみ、シルクロードはいつの日か、「必ずや踏破してやる!」と思うほどの存在になっていた。

 

 だが、高校も2年、3年となり、受験が重荷となるころには、現実に目覚めてしまったとでもいうのだろうか、

「中央アジアの探検家だなんて…、なれる訳がないか…」

 と、「中央アジアへの夢」は遠のいた。

 

 タクラマカン砂漠に憧れてから30数年後のこと。

「道祖神」の菊地優さんが、「カソリさんの夢、実現させましょうよ」といってくれた。ホータン川沿いにバイクを走らせ、タクラマカン砂漠を縦断するというもの。成功すれば、世界でも初となる快挙。このバイクツアーには12名のみなさんが参加した。

 

 我ら「新疆軍団」は1994年9月、北京経由で中国・新疆ウイグル自治区の中心、ウルムチに飛び、さらに天山山脈の南側のアクスに飛んだ。プロペラ機の小さな窓から見下ろした天山山脈の雪山は目の底に焼きついた。小さいころからシルクロードに憧れていたので「天山北路」や「天山南路」を通して、天山山脈の名前はぼくの頭の中で大きな部分を占めていた。その天山山脈を実際に、間近に見たという感動には、ものすごく大きなものがあった。

 

 バイクツアーの出発点となったアクスはシルクロード「天山南路」の要衝の地。ここで12名の中国側のスタッフが我々を待ち構えていた。ランドクルーザー3台、ニッサンのピックアップ1台、我々の乗るバイクを積んだトラックが1台。

 

 バイクは新疆モーターサイクル協会が所有するホンダのモトクロッサーCR80とCR125、CR250だった。

 このような大部隊でアクスからホータン川沿いに南下し、崑崙山脈北麓のホータンを目指すというもので、その距離は700キロになる。

 一大エクスペディションの「タクラマカン砂漠縦断」。

 

 長い隊列を組み、ダートの土けむりを巻き上げながら走り、タリム川の大湿地帯に入っていく。赤っぽいタマリスクやトゲの多いラクダ草が見える。「タリム川」や「タマリスク」といえば、中央アジア探検記では何度も登場するのもので、その実物を目にして感動するカソリだった。

 

 タリム川の大湿地帯突破が大きな難関だ。

 この地点で北の天山山脈から流れてくるアクス川と西のパミール高原から流れてくるカシュガル川、南西のヒンズークッシュ山脈から流れてくるヤルカンド川、そして南の崑崙山脈から流れてくるホータン川が合流し、タリム川になる。

 

 だが、何日か前に崑崙山脈に降ったという大雨で、なんとタリム川の大湿地帯は水びたしになっていた。なんということ。日本でいえば、中国山地に降った大雨で関東平野が水びたしになるようなものだ。

 

「何としても、このタリム川の大湿地帯を突破してやる!」

 とカソリ、必死の形相でCRを走らせ、大湿地帯を突破できそうなルートを探し求めたが、そのどれもが大湿地帯の水の中に消えていく。

 万事休す。

「タクラマカン砂漠縦断」を断念しなくてはならなかった。

 

 中国側スタッフはタクラマカン砂漠縦断は不可能なので、アクス周辺のタクラマカン砂漠を走りましょうと提案したが、カソリとしてはとても飲める案ではない。

「何がなんでもホータンまで行きたい!」

 という参加者全員の同意をとりつけると、「道祖神」の菊地さんに中国側との交渉をしてもらった。こういう場面での菊地さんは、滅法強い。

 

 強引に中国側のスタッフを口説き落とし、我々はタクラマカン砂漠の西半分を一周するルートでホータンに向かうことになった。

 とはいってもCRはなにしろ競技用のモトクロッサーなので、保安部品は一切、ない。

 

 そのようなバイクでホータンまでの1000キロの公道を走ろうというのだ。そのリスクを背負っての旅立ち。公安の検問所にさしかかるたびに、我々は冷や冷やしなくてはならなかった。

 

 天山山脈南麓の「天山南路」を走る。右手には天山山脈の山並みが長く、どこまでもつづいている。「天山南路」をカシュガルの手前で左に折れ、世界第2の高峰K2から流れてくるヤルカンド川沿いに走り、ヤルカンドの町で崑崙山脈北麓の「西域南道」に入っていく。

 

 ヤルカンド周辺のオアシス群を抜け出ると、「西域南道」の両側にはタクラマカン砂漠の砂丘地帯が茫々と広がっている。右手に連なっているはずの崑崙山脈は砂のベールに隠れ、まったく見えなかった。

 

 アクスを出発してから5日目、我ら「新疆軍団」は1000キロの公道をCRで走りきり、ホータン川の河畔のオアシス、ホータンに到着した。

 我々の宿となる「和田(ホータン)賓館」の玄関前でビールのビンごと持ち、ホータン到着を祝って乾杯した。

 

 ぼくはホータンで日本に帰る「新疆軍団」のみなさんを見送ったあと、CR250に乗り、さらにタクラマカン砂漠の旅をつづけた。ニッサンのピックアップに乗る新疆モーターサイクル協会の孫さんと運転手の人民解放軍の郭さん、トヨタのランドクルーザーに乗る達坂城旅行社の高さんと運転手の張さんの4人の中国人スタッフと一緒に、タクラマカン砂漠の東半分を一周するルートでウルムチへ。

 タクラマカン砂漠の一周を目指したのだ。

 

 崑崙山脈北麓のオアシス、ニヤでひと晩泊まり、チェルチェンに向かっているときのことだった。この区間でとんでもないアクシデントが勃発。なんとニッサンのピックアップが走行中に大音響とともに爆発し、運転席の真下から突然、火を噴いた。

 孫さんと郭さんはからくも火だるまになった車から飛び出したが、郭さんは腕にかなりの火傷を負った。

 

 火は荷台に積んだガソリンに引火し、車はあっというまに猛烈な炎に包まれた。全員で砂をかけて火を消したが、見るも無残な残骸だけがあとに残った。予備のバイクとして荷台にCR125を積んであったが、残ったのはフレームとギアだけ。エンジンはあとかたなく溶け、合金の固まりになっていた。両輪のリムも溶け、まるで紙くずが燃えたようにまったく跡形もなかった。

「あー、これでタクラマカン砂漠一周の夢も絶たれた…」

 と、カソリ、ガックリときた。もうこの難局は、突破のしようがないと観念した…。

 

 爆発現場をあとにし、ランドクルーザーと一緒にチェルチェンへ。

 日が暮れてからがなんとも辛い。まったく保安部品のないCRなので、当然のことだがヘッドライトもない。

 

 ランドクルーザーのライトを頼りに、その前を走ったが、真っ暗闇の中をライトなしで走る恐怖感といったらなかった。チェルチェンに到着したのは真夜中。グッタリだった。

 

 翌朝、「カソリさん、予定通りにウルムチに行きますよ」と、中国人のスタッフのみなさんにいわれたときは心底、驚いた。いったいどうやっていくというのだ。

 とにかくみなさんにおまかせすることにしたが、ぼくは中国人スタッフたちの図太さには心を打たれた。

 

 朝食後、高さんはチェルチェンの町中をかけずりまわり、2サイクルオイルを手に入れた。信じられない。バイクなど1台も見ないようなタクラマカン砂漠のオアシスで、だ。

 さらに新たなジェリカンをみつけ、予備のガソリンを確保した。こうしてCR250で走れるようにしてくれると、高さんは事故の後始末でチェルチェンに残るといった。

 

 すべての準備を整え、高さんに別れを告げ、チェルチェンを出発したのは午後になってからのことだった。目指すのはチャリクリク。チェルチェン→チャリクリク間は450キロ。

 

「西域南道」のダートが崑崙山脈に向かって一直線に延びている区間は圧巻だった。

 ちょうど夕暮れ時で、崑崙山脈の雪山は夕日を浴びて紅に染まっていた。崑崙山脈にぶち当たると、今度は山裾を走る。右手には崑崙山脈の山々、左手にはタクラマカン砂漠の大砂丘群。CRに乗りながらぼくはもう夢を見ているかのような気分だった。

 

 日が落ちると前夜同様、ライトなしで真夜中まで走ったが、それにも大分、慣れた。

 崑崙山脈北麓のチャリクリクからは天山山脈南麓のコルラへ。

 その間では砂漠に消えるタリム川の最先端部を見た。全長2000キロを超える砂漠の大河は最上流部が一番水量が多く、最下流部になると水がなくなり、砂漠に消える。こういう川も世界にはあるのだ。

 

 コルラからはトルファン経由でウルムチに戻った。ホータンから2000キロを走ってのウルムチ到着。「タクラマカン砂漠縦断」が「タクラマカン砂漠一周」になった。

「タクラマカン砂漠一周」を走ったことによって、ぼくはますますシルクロードに心ひかれた。

 

 いつの日か、古都、西安を出発点にして「天山南路」を走り、パミール高原を越え、

「イスタンブールまでバイクで走りたい!」

 と、新たな夢をみるのだった。