賀曽利隆 STILL ON THE ROAD !

世界を駆けるバイクライダー・賀曽利隆(かそりたかし)。地球をくまなく走り続けるカソリの”旅の軌跡”をまとめていきます。

シルクロード横断:第29回 ナリン→イシククル湖

 ナリンではキャンプ地の宿舎に泊まったが、朝はいつものように7時には起きる。新疆の7時というとまだ真っ暗だったが、中国とは2時間の時差のあるキルギスではすっかり明るくなっている。

 朝食はパンとバター、チーズ、オムレツ(卵のみ)。全員で取り分けるのではなく、一人一人用の朝食。そんなヨーロッパ風の朝食を食べていると、「中国を離れた!」という事実がひしひしと実感として感じられた。中国から中央アジアに入ったのだ。

 2006年9月15日10時、ナリンを出発。天山山脈のドーロン峠に向かっていく。

 街道沿いには、馬乳酒を売る露店が並んでいた。馬乳酒はモンゴルを思わせる味。「草原の国」キルギスと、同じく「草原の国モンゴル」はよく似ている。キルギス人もモンゴル人もともに牧畜民だ。

 ドーロン峠に向かって登っていくと気温は下がり、バイクに乗っていると寒いくらい。やがて雨が降ってくる。タクラマカン砂漠では晴天つづきだったので、久しぶりの雨。峠道はダートで雨に濡れツルツル滑る。そんなスリッピーな峠道での走行を楽しんだ。

 周辺の山々の稜線周辺は雪をかぶっている。ゆるく大きくカーブする峠道を登りつめ、標高3038メートルのドーロン峠に到達。気温はさらに下がり、身震いするほどの寒さ。冷たい風が峠を吹き抜けていく。

 ドーロン峠を下ったコシュコルの町で昼食。ナンとスープ、サラダ。スープにはライスが入っている。果物が山盛りになってテーブルにのせられている。ここからは天山山脈の雪をかぶった4000メートル級の山々が間近に眺められた。

 バリクシーの町からイシククル湖の湖岸の道を行く。琵琶湖の9倍もあるような大湖だ。

 標高1610メートルの高地に位置するイシククル湖は大湖としては、南米のチチカカ湖に次ぐ第2位の高所の湖。透明度も大湖としては、シベリアのバイカル湖に次いで第2位。

「クル」はキルギス語で「湖」を意味するので、イシククル湖というと「イシク湖湖」になってしまう。だが、このような例はいくらでもある。アメリカとメキシコの国境を流れるリオグランデ川の「リオ」は「川」の意味なので、リオグランデ川というと「グランデ川川」になる。アフリカのサハラ砂漠も「サハラ」はも「砂漠」を意味するので、サハラ砂漠というと「砂漠砂漠」になる。

 そんなイシククル湖を右手に眺めながら走る。左手には天山山脈の支脈が連なっている。この山並みの向こうはカザフスタン。イシククル湖の対岸に連なる山並みが天山山脈の主脈になる。湖岸の道を50キロほど走り、ダリンカ村にあるイシククル湖のリゾート地でひと晩、泊まった。

 夕暮れの湖岸を歩く。冷たい湖では泳いでいる人がいる。天気は回復し、対岸の天山山脈の山々は夕日を浴び、雪が淡い紅色に染まっている。この世のものとは思えないような美しさ。一列に連なる山並みの奥に天山山脈の最高峰、標高7439メートルのポベダ峰がそびえている。その向こうはシルクロード・天山南路のオアシス、アクスあたりになる。

 イシククル湖越しに見る天山山脈を目に焼き付けたところで、レストランでマカロニとサラダ、ハンバーグの夕食を食べるのだった。

キルギス人のガイド、ジャニベック(ジャニ)。日本語が上手だ
キルギス人のガイド、ジャニベック(ジャニ)。日本語が上手だ

街道沿いの馬乳酒を売る露店
街道沿いの馬乳酒を売る露店

天山山脈のドーロン峠
天山山脈のドーロン峠

イシククル湖の対岸に連なる天山山脈の山々
イシククル湖の対岸に連なる天山山脈の山々