海を渡った伊万里焼を追って(7)
(『海を渡った日本のやきもの』1985年・ぎょうせい 所収)
マラッカの骨董街、ハング・ジェバット通りは何度も歩いたが、ここでは「イマリ」という言葉はじつによく通じる。
とある店で私の求めに応じてイマリの赤絵の皿を見せてくれた青年は、流暢な英語で話してくれた。その話は興味深いものだった。
「イマリは中国系のちょっとした焼きもの通なら、みんな知ってるよ。
ミン(明代の染付磁器)よりは新しくって、チン(清代の色絵磁器)よりは古いのが、イマリだ。
ここの人たちはミン→イマリ→チンという流れで磁器の歴史をとらえている。
だから中国もののコレクターでも、何点かのイマリを持っているんだよ。
我々の店にでまわっているイマリは、中国人やイギリス人の富豪や高級官僚たちのコレクションくずれや、その後やってきた日本人の残したもの。18世紀以降のイマリがほとんどといっていい。17世紀のイマリを探すのは難しいね。
今の日本の焼きものは、何たってノリタケが有名だ。クアラルンプールの首相官邸やヒルトンホテルの食器は、みんなノリタケだっていうよ。
なに、ノリタケはイマリの系統ではないって。
ナゴヤモノだって。
それは初めて聞いた。我々にとって、日本の磁器はみんなイマリだからなあ…」
結局、マラッカの骨董屋街では17世紀までさかのぼれるイマリを見ることはできなかった。18世紀から19世紀にかけての赤絵や19世紀の染付けがほとんどだった。