海を渡った伊万里焼を追って(6)
(『海を渡った日本のやきもの』1985年・ぎょうせい 所収)
マラッカではハング・ジェバット通りの骨董屋街には何度となく足を向けた。
思えば、博物館から骨董屋をまわるのは、この一連の取材行ではおきまりのコースになっている。
「能がない」といわれそうだが、イマリを探るためには定石も仕方ない。それにしても暑い。日中のマラッカのアスファルト道を歩くのは楽ではなかった。
ところでハング・ジェバット通りだが、古い町並みを貫く通りの両側には10軒以上の骨董屋が軒を連ねている。
仏像や金属器、古道具中心の店もあるが、大半の店は焼きものが主体の店頭だ。それも、東南アジアのほとんどの町がそうであるように、中心は中国の磁器。明や清の染付けや色絵の皿や壷に混じって、なかには宋や元のものもある。
イマリの染付けもけっこう見られる。花鳥紋様の染付け皿、色絵の皿、赤絵の壷や瓶などだ。それらは染付けの藍色や色絵の赤色などから、私は18世紀から19世紀のイマリとみた。
オランダ東インド会社が、「イマリ」を日蘭貿易の花形商品にして大活躍していた時代(17世紀~18世紀)とは少し、ずれているようだ。
それに、博物館で見たのと同様の、銅版転写によるコバルト釉の染付け皿もある。これなどはさらに新しいもので、明治期のものである。